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9:新生ヒロインは女たらし

 他に隠れている害虫という名の幽霊はいないか、と彼女がガサガサ家探しをしていると、ノックの音が。


「はいよ、どうぞ」

 床に突っ伏し、ベッドの下をのぞき込んだまま返事をすると、茶色いボブカットの少女が扉を開けた。

 赤茶色のメイド服を着ており、年齢はヘザーより二・三歳上と思われる。


「失礼いたし――」

 取り澄ました顔で入って来た少女は、床に伏せたままのヘザーにギョッとなる。

 困惑顔で、しばしヘザーを観察する少女。

 しかしヘザーがこちらにお構いなしだと察したのか、ためらいがちに声をかけた。


「あのぉ……何を、なさっていらっしゃるんですか?」

 少し舌ったらずらしい。口調はとても丁寧だが、どこか可愛らしさもある喋り方だ。

「ん? おお、いや、さっきクモがいたから、探してた」


 ゴキブリにしようかと思ったが、一応気を使って、当たり障りがなさそうな虫をチョイス。ここでは自分が一番の新入りですし。

 ヘザーのクモ発言に、メイドの顔が曇った――クモだけに、としょうもないことを考えつつ、ヘザーもようやく身を起こした。

 そんな彼女に、メイドは深々と頭を下げる。


「申し訳ありません、ヘザー様。すぐにクモを追い払いますね」

「へ? あー、いや、いいよ。どっか行ったし。追っかけるのも可哀想だろ?」

「そうです、か?」

 あっけらかんと雑な口調で拒まれ、メイドは少し気の抜けた様子を見せる。


 たしか劇中でも、彼女が自分のお世話係だったか、とヘザーは考えた。

 なんとなく、おかっぱ頭の年の変わらない女の子だった記憶は、ある。このレンガみたいな色味のメイド服も、見覚えがある。


 しかし本来のヘザーは、本棚から本が飛び出して落ちるという怪奇現象に怯えていたため、初手で思い切り対応を間違えたのだ。

 メイドにも怯えっぱなしで、ロクに会話も出来ずに終わってしまった。


 おまけにメイド側も、どこの馬の骨とも分からぬ少女が養子入りすると聞き、色々身構えていたのだろう。こちらも警戒心ビンビンで、終始よそよそしかった。

 初対面時にこんな有様だったため、自分の世話をしてくれる少女とも交流が持てず、ヘザーは孤独感を抱えることになる。

 そして、それも彼女の精神を追い込む一要素となるのだった。


 だがヘザー feat. 高田の現在、そっけない小娘に怯えることなどないし、そもそも怪奇現象も己の拳で吹き飛ばした後だ。

 むしろメイドの方が、奇妙な体勢で自分を出迎えた出自不明の養女に、混乱している有様である。


(ここは年長者――っつっても、体は年下だけど、とにかくオレの方から、距離詰めてやらねぇとな)

 うん、と小さくうなずいて、ヘザーは手を差し出した。


「ヘザーだ。今日から世話になる、よろしくな」

 彼女の言葉でハッと我に返ったメイドが、

「しっ、失礼いたしました! わたしはティナ、と申します。ヘザー様の身の回りのお世話をするよう、伯爵様より任じられておりますぅ!」

そう答えてあわあわと膝を折ろうとするも、それより早くヘザーが彼女の右手を取った。やや強引に、ブンブンと握手する。


「別にオレは、いいトコの生まれじゃねぇし。年下だし。もっと楽にしてよ」

「いえ、ですが、ゆくゆくは伯爵家を継がれるお立場ですし……」

「どうせすぐに見限られるって。だからさ、知り合いの妹の面倒を見てやる、ぐらいの感じでいいから」

「は、はぁ……?」


 それでいいのだろうか。

 そんな疑問を抱きつつも、ティナはおそるおそるうなずいた。

 彼女が受け入れてくれたと判断して、ヘザーはニッと笑う。美少女の快活かつ無邪気な笑みに、ティナの頬がちょっぴり赤らんだ。


 ティナは挨拶も兼ねて、ヘザーの着替えを手伝いに来たらしい。

 なんでも晩餐ばんさんの席で、フリーリング伯爵と初顔合わせをするのだという。

「ですので目いっぱい、綺麗にいたしますねぇ」

 砕けた態度のヘザーを、どうやら快く思ってくれたらしい。そう言うティナの表情は、先ほどの取り繕った澄まし顔より柔らかだ。


「おう、頼むぜ」

 ヘザーとしては、むしろ動きやすいジャージや胴着に着替えたい気分なのだが、それを伝えるのはギリギリで我慢する。

 ――本当にギリギリだった。


 己の要望を伝える代わりに、ティナのセンスに全てを委ねることにした。女性の服や化粧の良し悪しなど、高田に分かるはずもない。

 なにせ彼女が髪を切ったことに一か月近く気付かず、思い切り激怒させた経験を持つ男だ。暴力と無頓着さには定評がある。あと、猫車の操作にも。


 ドレスがぎゅうぎゅう詰めのクローゼットから、ティナが選んだのは鮮やかなポピーレッドのドレスだった。

「伯爵様は赤がお好きですから。それに、ヘザー様の白いお肌やつやつやの黒髪にも、きっと似合うと思いますよぅ」

「おお、じゃあそれで頼むよ。あ、赤が好きだから――」


 ヘザーがティナのスカートを指さすと、彼女ははにかんだ。

「ええ、なのでわたしたち使用人も、赤いお仕着せを着ていますぅ」

「へー。徹底してんだな」

 そういえば部屋までの道すがらに見かけた、カーペットやカーテンも赤だったか。


 悪魔なので黒が好きそうなのに、意外に明るい嗜好しこうの持ち主らしい。

 いや、血の色だから好きなのか?


 ともかくティナの見立てたドレスは、ヘザーによく似合っていた。

 我ながら美少女度が更に上がった、とドレッサーの大きな一面鏡を見つめて、ちょっと感心する。

 ”名前が書ければOK”高校卒の高田ですら、一昔前の女性はコルセットでぎゅうぎゅうに締め付けられていた、と知っている。


 自分も同じ目に遭うのだろうか、と密かに戦々恐々としていたのだが、幸いにして着せられたのはコルセットが不要のドレスだった。

 胸の下に切り替えしが入っており、胸から下はドレープ状になっている。動けばふわりと、光沢のあるサテン生地が優雅に波打つ。なんとも上品な代物だ。


 ティナは更に、ヘザーに化粧を施して、髪もゆるくまとめた。そこに真珠の髪飾りを重ねる。

「ヘザー様はお美しいので、ドレスも見事に着こなされてますねぇ」

 仕上がった少女を見下ろして、なんとも誇らしげにほほ笑む。自分の仕事に満足しているようだ。


 女性の装いにほぼ興味がない高田ことヘザーは、もちろん不満などない。

 鏡に映る自分から、振り返ってティナを見上げてにっこり。

「ティナってスゲェんだな。アンタのおかげでオレも、本当にお嬢様になったみたいだ」

「ありがたいお言葉、痛み入ります」

 再び頬を染めて、ティナも照れ笑い。


 高田は生前、祖母から

「お客様は神様と言うけどね、神様の中には疫病神もいるし、死神も貧乏神もいるからね。お前は疫病神なんかに、なっちゃ駄目だよ。下の人にこそ、感謝し続けなさい」

と、口酸っぱく言い聞かされていた。


 またヤンキー社会は上下関係に厳しい一方で、下の者は必ず守らなければいけない。

 ただし礼を失してもいいと判断した上 (≒権力者)には、ガンガン噛みつくのだが……ともかくヘザーは、更にティナの手腕を褒めたたえた。


「いやいや、ほんと。ドレス見つくろうのもそうだし、化粧もすげぇ。これだけで、食っていけんじゃねぇの?」

「そんな、まさか。上には上がいらっしゃいますから」

「でもティナは若いから、その上よりもっと上に行くぜ、きっと。だってオレを、本物のお嬢様に出来たんだからさ」


 キラキラ輝く藤色の瞳に見つめられ、ティナははにかんだ。

「ふふっ、ありがとうございますぅ。でも、伯爵家のご令嬢になられるのですから、お言葉遣いもきっちりなさってくださいね」

「あー、うん、まあ、ほどほどに頑張るわ」

「もうっ。そこはもっと、やる気を見せてくださいよぉ」


 ヘザーの露骨に気のない返事に、ティナはプッと噴き出して、笑いつつたしなめた。

 初見で彼女の度肝を引っこ抜いたおかげか、どうやら良好な関係を築けそうである。

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