さて、ここで高田と『フロム・ジ・アビス』の出会いを振り返ろう。
当作の監督であるウィリアム・フーパー氏は、B級ホラー畑の出身だ。
一応はホラーの形態を取っているものの、限りなくコメディに近いバカホラーの名手だったのだ。当時の代表作は『霊媒探偵ライダー』である。
邦題からすでに、バカ臭がほんのり香って来るような気がするのは、高田の思い込み故か。
高田は祖母から、その『霊媒探偵ライダー』シリーズを見せてもらい、たちまちファンとなった。
長じて祖母に対して「年齢一桁の孫に、何見せてんだよ……」と思わなくもなかったが、そんなところも含めて祖母が好きだった。
『霊媒探偵ライダー』は、前述の通りバカホラーだが、その頃からフーパー監督の非凡な才能は見え隠れしていた。
B級らしいバカバカしくチープな演出に彩られた、意外に骨太で、観客の感動・興奮ポイントをしっかり押さえた熱い展開やストーリー。
そして低予算とは思えぬ画の美しさと、色気さえ感じられるクリーチャーの造形……
素人かつ、当時は一介の鼻たれ小僧だった高田ですら、「この監督はなんかすごいぞ」と思ったほどだった。
映画に詳しくない人間が、そう思うほどだ。制作会社も、彼の才能を伸ばしたいと考えるようになった。
B級ホラー作品ばかり撮っていても、カルト的人気の高い鬼才にこそなれど、万人に愛される天才の地位には届かない、と彼らは判断した。
そんな制作会社の意向により、フーパー監督はどシリアスで耽美な絵面が突出した、『アビス』を撮影したのだ。
「フーパー監督にもっと、金かけてくれよ。湯水のごとく予算をあげてくれよ」
と思っていた高田も、『アビス』の制作を知った時には歓喜した。
制作会社の思惑通り、当作は世界中で見事スマッシュヒットを決めた。
おまけにアカデミー賞の美術賞・主演女優賞をも、めでたく受賞することになった。
制作会社を始め、撮影に携わったスタッフや出演者も皆、それはそれは大喜びしたそうな。
しかし古からのファンとしては、気持ち複雑であった。
フーパー監督の魅力はあくまで、耽美な映像を作っているのに内容は能天気でバカ、という落差にあると思っているのだ。いわゆるギャップ萌えというやつだ。
これは高田と祖母だけの意見ではない。
彼と親しかったオタク君や、また海外のファンも同意見なのだ。
おまけにフーパー監督自身も、当作には色々と心残りがあったらしい。
「もっとああしたかった、こうしたかった……と、『フロム・ジ・アビス』を褒められるたびに色々思ってしまうんだ。この作品を愛してくれるスタッフにもファンにも、もちろん感謝しているし、僕も彼らのことをとても愛している。でも僕にとっては、悔いがいっぱいで……僕は根っこが陽気な人間だから、どうしても愉快な映画を撮りたくなるんだ」
『アビス』について、インタビューの際にこう語っていたほどである。
しかし本人の意に添わぬ忌み子と言えども、天下の受賞作品であり。
思いがけず名作を撮ってしまった監督は、多額の予算をもぎ取れる立場になった。
また彼に色々と無理強いをさせてしまった制作会社にも、情は残っていたのだろう。
次回作は、彼の趣味全開で撮っても構わない、とゴーサインが出た。
いよいよ、潤沢な予算にものを言わせて、彼らしいカルト作品を――
そう、本人を含めて誰もが思った矢先に。
彼はあっけなく死んでしまった。
家族でキャンプに行った際に、溺れる娘を助けようとして、代わりに自身が溺死してしまったのだ。
享年四十二歳。
あまりにも、若すぎる死だった。
彼の家族は無論、映画スタッフもファンも、深い悲しみに襲われたのだった。
――という悲惨すぎる後日談もあるように。
『アビス』には、徹頭徹尾笑いどころもないし、もちろん救いがない。
結果はもちろん、過程も終始一貫して物悲しいのだ。
その悲哀はヘザーと、伯爵の義理の弟が主に担っている。
そう、今ヘザーの目の前にいる、この陰の者な美男子だ。
伯爵の義弟であるクライヴは、表向きには病弱な義兄の補佐――本音を言えば、義兄に何かあった時の予備として養子に迎えられた、伯爵家の遠縁の男性だ。
しかし彼は先代伯爵のお眼鏡にかなわなかったらしく、結局跡を継いだのはほぼ寝たきりの、病弱な実子の方だった。
つまり彼は、引き取られた先で「いらない子」という
劇中で明かされた限り、先代伯爵が死んだ際に形見として譲られたのは、領地の主都にある小さなビルだけだった。
そんな鬱屈した半生を送っていた彼の前に、ある日突然、ビジュアル以外に取り柄のない養子がひょっこり現れる。
しかも彼女には、次期伯爵夫人の地位が、ほぼ内定されている。
教養も何もあったもんじゃない、若さと美しさだけの孤児に、残りの財産を総取りされる将来……そりゃ荒れるに決まっている。
ヘザーに辛く当たって、当然である。
彼はヘザーへの態度が、劇中でほぼほぼ一貫して最悪なため、一応は悪役に該当するのだろうが。
高田はクライヴのことを、初見時から嫌いになれなかった。
自身も彼のように周囲からはみ出していたし、実家からも「いらない子」扱いされていた。まるで自分の将来を見ているような、そんな錯覚さえ覚えたのだ。
おまけにクライヴは、ヘザーいじめによって観客のヘイトを集めまくった甲斐もあり、劇中でもっとも陰惨な死に方をする。
勝手に死ぬだけならまだしも、それがヘザーの目の前で行われるため、彼女の発狂にも大きく貢献するのだ。
つまりはヘザーにとって敵であり、かつとんでもない地雷でもある。いや、時限爆弾の方がふさわしいか。
ともかく関わり合いを持たぬが得策の相手である。
だが、逃げ出そうとしている今、ここで出会ったのは好機かもしれない。
ヘザーは目に覇気を込めて、彼を見据えた。