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4:陰属性イケメンとの遭遇

 清貧を誇っているものの、実のところはただの赤貧である修道院にとって、バザーは貴重な金銭獲得のチャンスなのだ。

 修道院でせっせと作った小物やお菓子、あるいはワイン等を売りに出すのである。

 門外不出の独自レシピで作ったお菓子は特に好評で、いつも完売御礼となる。

 売上はもちろんのこと、近隣住民との交流を持つ大切な機会でもあるので、シスターたちはいつも、このバザーに張り切って臨んでいる。


 それは生前のヘザーも、同じであった。

 内気な性格だったため表立っては動かないものの、裏方としてバザーのために汗水たらしていた。彼女は奉仕活動が好きな、根っからのお人好しだったのだ。


「ねえ、ヘザー。まだ病み上がりなんだから、今回ぐらいは安静にしておいた方がいいんじゃない?」

 生前と同じく、いやそれ以上の膂力りょりょくでせっせと荷運びするヘザーに、そう声がかけられた。

 振り返ると見舞いにも来てくれていたシスターが、しょんぼり眉で心配そうに、こちらを見つめている。


 華奢な肩をすくめて、ヘザーは思いの外力強く笑った。

「平気だって。もうなんともねぇから、ちょっとは手伝わせてくれよ」

「ちょっとじゃないじゃない。あなた一人で、ほとんどの商品を運んでくれてるわよ」

「そうか?」


 二人でぐるり、と会場となる修道院の前庭を見る。

 周囲を囲む木々から降ってくる、赤い落ち葉で彩られた前庭だ。

 そこには、あちこちにヘザーの運び出した木箱が、きちんと商品種別に分けて置かれていた。


 たしかに、院内と会場を何往復したのか、自分でも把握していない。

 把握する必要もないと思っていた。大事なのは時間と手際のよさ、なのだ。

 長年肉体労働に従事していたので、おそらく一般修道女より色々手際も根気も勝っているのだろう、きっと。


「まあ、ほら、オレも楽しみだったからさ」

「そうね、朝からウキウキしてたものね、あなた」

 ほんのり、とシスターが微笑んだ。

「でも休憩も必要よ? そのために安息日があるんだから」

「あー……ああ、うん、そうだな」


 安息日ってなんだっけ……と一瞬考えた末、遅れて聖書の知識が湧き出て来た。おそらく、ヘザーの肉体に宿っていた記憶だろう。

 高田の記憶とヘザーの記憶が同居しているため、時折タイムラグが出てしまう。

 そのため今回も曖昧な返答になり、シスターがどこか怪訝そうに目を細めた。


「……やっぱり疲れてるんじゃない? 後のことは任せて、少し休んでらっしゃいな」

「おう、ありがと」

 が、怪我で本調子ではないのだろう、と判断してもらえたようだ。

 これ幸いと、ヘザーは笑顔で引っ込むことにする。


 全くもって幸いである。

 他のシスターたちはほとんどが、バザー会場に出張でばっている。

 ヘザーは今、貴重な単独行動の機会を得ていた。逃げるなら今しかない。

 そそくさと部屋に戻り、数少ない普段着に着替えた。地味なことこの上ない、灰色のワンピースだ。

 だが、この圧倒的に目を引かない凡庸ぼんようさが、逃亡中の今は心強い。


 本来は退院早々に、こっそりあるいは堂々と逃げ出すつもりだった。

 しかし修道院は普段、超閉鎖的かつ集団行動特化型の施設であるため、サボり常習犯だった高田ですら逃げ出す隙を見つけられなかったのだ。

 わずか過ぎる軍資金も、ワンピースのポケットに突っ込む。その上から粗末な薄茶色のストールを羽織る。

 そして施設を取り囲む、木々の間を大股で進む。本日は曇天のため、背の高い木の下に入るとかなり薄暗い。


 脱走素人は、持てるだけの荷物を手に走って逃げがちだが、大事なのは身軽な装いで堂々とすることだ。

 ごく自然な顔を作り、胸を張り、「ここから出ていくのが当然ですが?」という雰囲気をかもし出すことこそが肝要かんようなのだ。

 そして悠々と、ヘザーは修道院の裏手に到着した。


 この時代にセキュリティなんて、あってないようなものであろう。鍵なんてかかっていなかった。

 粗末な木の扉を押して、裏口から出ようとして――一人の男性と出くわした。

 げぇっ、と叫ばなかった自分を、ヘザーは褒めたかった。


 目の前にいるのは二十代後半と思われる、赤みがかった金髪の長身の男性だ。精悍な顔立ちで体格もよく、ぱっと見は美形である。

 しかしよくよく眺めていると、愛想のない表情から漂う圧倒的陰気さで、こちらもどんより落ち込んでしまう。


 ヘザーにとっては初対面であるが、高田はばっちり彼の顔を覚えている。

 クライヴ・フリーリング。

 伯爵の義理の弟であり、『フロム・ジ・アビス』におけるいわば悪役だ。

 センターパートの長めの前髪から覗く、深緑色のジト目がヘザーをじろりと見下ろしていた。


 劇中と同じように、その視線には隠す気もない悪意がある。

 さすがのヘザーもその圧に緊張し、ごくり、と喉を動かす。


「君が、ヘザー・デュヴァルだな」

 顔と同じく暗い声が、上から淡々と降って来た。

 英語のネイティブ・スピーカーになって初めて分かる、彼の口調の真の陰気さよ。

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