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for Aluse

  煌めく宝石箱は石が入っていなければ見てくれの良い豪華な箱に過ぎない。台座に嵌められた石を取り除き、金装飾と宝石粉で彩られた下地を剥ぐだけで、それは何の変哲も無いただの木箱に成り下がる。


 無垢な白鳥、無辜なる金糸、穢れ無き深窓の君……。名のある貴族の御曹司は皆口々に私をそう呼び讃え、高尚な言葉で欲望を巧妙に隠し通す。一度私が笑い、面白い方と言葉を吐けば彼等はこの瞬間を待っていたとばかりに耳障りの良いセリフを並べ、中身の無い話を延々と繰り返した。その姿が実に滑稽で、馬鹿らしいとほくそ笑む私に気付かずに。


 中身が無いものが嫌いだった。薄っぺらい言葉など悍ましいにも程がある。欲望を滾らせ、虚栄に身を任せる男など見るに堪えない木偶の坊。親兄弟も私の見てくれを褒め称えるばかりで、空虚な心を満たすに至らない。


 世界は美しいと、目に映る全てが光り輝く新世界だと誰が言った。そんな詩に心踊らされる愚者の顔が見てみたいものだ。私が眺める窓の外に広がる光景は変わり映えしない陽光と緑の木々ばかり。そんな安穏な景色よりも、暖炉で燃え盛る炎を眺めていたほうがいい。燃え朽ちる薪の方が、何倍も美しい。


 空虚、虚栄、虚空……。今にして思えばと、過去の私を成り立たせていたのはという二文字なのだろう。楽観的な父と保守的な母、義務感や自立心に満ちた兄……。少しだけ背中を押し、足元を揺らせば崩れてしまう危うい家族。眺めている分には面白いが、口を開くには無駄の一言で片付けられる関係性。結局のところ、家族とは血の繋がりがあろうと人の群れでしかない。


 春が来て、夏を迎え、秋を巡り、冬を超える。一年が過ぎゆき、この変わらない生活に飽き飽きしていた私に転機……運命と呼ぶべきだろうか。変化が訪れたのだ。門兵として新たに登用された大柄な男、彼の観察が私の新たな日課に加わった。


 無口で無愛想、筋骨隆々の逞しい体躯、見るものを圧倒する威圧感……。父は街で見かけた彼こそが私を守る兵に相応しいと語り、門兵としての大役を任せたらしい。屋敷に招かれ、彼が務めを任された場に私も居たが、あの鉄面皮の頬が紅潮する様は中々に面白い。


 雨が振り、土砂降りになろうとも彼は槍を手に動かない。夏の日差しが鋼を熱し、茹だるような暑さであろとも彼は決して鎧を脱がない。雪が降り、白雪が積もろうと苦痛に顔を歪ませない奇妙な男。鋼の意志で己の務めを果たそうとする姿と云えば聞こえはいいが、私には自分の意志を持たないブリキの玩具に見えて仕方がなかった。


 一度、ただ一度だけ彼に聞いた事がある。それは、何故門兵の任を断らなかったのかだ。彼は私の顔を見て頬を朱色に染め「貴女を守る事、それ以上の幸福は無い」と一言語り、沈黙した。


 何故私を守ることに幸福を感じるのか。それが分からない。彼と私は他人同士、話もしたことが無い希薄な関係。次の日も、また次の日も私は彼に話しかけ、言葉を交わしたが門兵は依然「貴女が幸せならそれが私の幸福です。私の事は構わずに貴女は貴女の幸せを願って下さい」と話した。


 他人の幸福を何故そんなに願うのか? 何故私という個を大切に思うのか、それが分からない。何時の間にか、私は時と場所関係なく門兵へ言葉を投げかけ質問を繰り返していた。彼が何を思い、何を願い、何を祈っているのか知りたくなったのだ。


 そして、ある日。私に縁談が持ち上がった。相手は有力貴族の御曹司。私の家とは縁も由も無い大貴族。父と母は大層喜び、兄もまた相手に失礼が無いようにと釘を差す。


 正直に言えば私はこの縁談……強いては婚姻に乗り気ではなかった。教養、人格、家柄共に申し分ない出来た好青年。それが御曹司の印象だった。どう考えてもこの縁談を断る理由が存在しない。だが……個人的な思いを吐露させて貰えるならば、私は残される彼が……門兵が心配だった。


 身分差による悲恋の恋愛話。それは必ずと言っていい程悲劇的な結末を迎え、二人は死を以て別れを告げる。何故悲劇と成り得るのか……理由は至極単純なものだ。家族を名乗る他人と家柄の問題、持つ者と持たざる者との差、全てを捨てきれない甘さに起因する。


 私は彼に問うた。私が欲しくないかと。彼は縁談の話を知っていたようで、酷く悲しそうな顔をして不要と言った。


 私は彼を問い詰めた。誰かの女になってもいいのか、もうその手に触れることも、言葉を交わせなくなってもいいのかと。彼は項垂れ、太い声を震わせながら私の幸福を願った。


 幸福……彼が私の幸せを願うのなら、追求してみせようではないか。全てを捨て、焼き尽くし、終わらせてしまおう。彼が私の幸福を祈るならば……この空虚な心を満たしてくれるのならば、彼の全てと引き換えに、私の全てを捨て去ろう。


 真紅は美しい。燃え狂う炎の中に朽ちる屋敷は黒煙を吹き、誰もが寝静まった夜闇に舞う火の粉は血を思わせる紅い蝶。炎に巻かれ、落ちる柱から私を庇って火傷を負った彼へ、私は一生ものの傷を刻んだ。炎の中、彼は必死になりながら私を助け出し、焼け落ちる屋敷を眺めていた。


 火を放った犯人が誰か分からぬよう細工を施した。緻密な計算と計画は私がうっかりと口を滑らせない限りバレることはないだろう。全てを失い、己の死さえも偽装した私は家と他人を犠牲にして、空っぽな宝石箱を持ち出して彼に縋り、もう何も無いと、全てを失ってしまったと嘘の涙を見せた。私の家族を守れなかったという咎を背負わせて。



 ……私は筆を置き、日記帳を閉じると過去の記憶をなぞる。彼との生活に不幸を感じた事もなければ、一度も不満を感じたことも無い。よく働き、よく食べ、献身的な夫として生きる彼は人間的に素晴らしい人だと思う。


 「……貴女は」


 私と同じになるのかしら? それとも、違う風に育つのかしら? 透き通る瞳で私を見つめる赤子の頬を撫で、そう問うた瞬間、我が子は夫へ助けを求めるが如く泣いたのだった。

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