目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
最後の道化師

 高いビープ音と舞台を照らす一筋の光。真紅の幕が緩やかに上がり、一体のピエロが頭を垂れて右腕を胸の前に置く。


 「本日もようこそおいで下さいました。皆さまのご歓声と期待した眼差しこそが至福の光。私の名は……いいえ、道化師に名前など不要。実に勿体ない言葉で御座いましょう」


 シンと静まり返った大ホール。伽藍洞の観客席を一望したピエロは最前列に腰かける白い帽子を眼に映し、ピョンと飛び跳ねると俯く少女の前へ降り立ち、深々と礼をする。


 「おやおや、このお嬢さんはどうも気難しいシャイな御方のようだ。いえいえ、これはただの前座で御座います! 我が劇団は至高の技を貴女へ披露する為に日々腕を磨いております! ではご紹介しましょう! 彼は炎に愛され、火を自在に操る烈火の人! カモン! フレイミー!」


 ピエロの声と共に酷く割れた音楽が響き渡り、明滅するライトが躍った。所々色を失い、彼が呼ぶフレイミーが現れると思うや否や舞台には誰も上がらない。罅割れた音楽に合わせ、場を繋ごうとするピエロは壇上に舞い上がろうとしたが、足先を引っ掛け盛大に転ぶ。


 だが、これも彼の筋書きの一部だったのだろう。ピエロは見事な受け身を取り、流れるような動きで懐から造花の花束を取り出すと少女の胸へ放り投げる。道化師としての役割に徹し、フレイミーが来ないと判断すると「どうも炎の出が悪いようですね、水をたらふく飲んだのでしょうか?」と冗談を言った。


 「しかしご安心ください! 我々の劇団は如何なるアクシデントにも屈しない奇想天外、奇妙奇天烈な大道芸人であります! ……しぃ、御静かに。これは蛇の鳴き声で御座いましょうか? まさか、此処は密林かサバンナの荒野に迷い込んだのでしょうか? あぁっと! 蛇使いのシャイナが皆さまの席に!」


 相も変わらず音楽は罅割れ、雑音混じりの壊れた音。誰も居ない観客席を指差したピエロは埃が舞うスポットライトの先……灰色の塵が積もった通路へ視線を寄せる。


 しかし、シャイナと呼ばれた劇団員も現れなければ、他の団員を何度呼ぼうとも意味が無い。それもそうだ、ピエロ以外の自動人形は既に経年劣化で故障しているのだから。


 「申し訳ありません、お客様! いやぁシャイナは実に引っ込み思案な娘でしてね、その名の通りなのです! しかし」


 宙返りで少女の前に立ったピエロは胸の中から一輪の枯れた花を差し出し、茶けた花弁が落ちぬようゆっくりと帽子に差す。


 「誰も笑わず、観覧に来ないというのに貴女だけはずっと私の芸を見てくれていますね。いいでしょう、たった一人のお客様。私は貴女だけの道化師として気が済む迄おどけて見せましょうか! だから、私の願いを聞き届けて貰えないでしょうか?」


 今にも崩れてしまいそうな白い手をそっと包み込み、片膝を着いたピエロはおどけたように「貴女の笑った顔が、その沈黙の先にある歓声が聞きたいのです」と照れ臭そうに呟いた。


 何度、何万回と繰り返してきた舞台芸。ある者は彼を哀れみ、ある者はその滑稽な姿に笑い、ある者は緊張感を以てピエロを見ていた。だが、少女はくすりともしなければ、表情一つ変えることは無い。故に、道化師として何としてでも笑わせようとした。劇団員が動いていた時には日替わりで違う演目を披露し、許可が降りなければ使えない舞台装置も十数年ぶりに動かした。


 だが、それでも彼女は笑わない。俯いたまま、微動だにしない。ピエロが何を話し、おどけようとも、絶対に。


 「では、次の演目です! 彼の名は―――」


 瞬間、大ホールのドアが蹴り破られ銃を構えた男が踏み込んでくる。次いで鳴り響く銃声と弾丸に貫かれ、機械部品を飛び散らせながら崩れ落ちるピエロ。硝煙が上る銃を下げ、ホール内を見渡した男は舞台に近づくと少女を一瞥する。


 「状態が良いな。まだ探索されていない施設があったのは驚きだが……」


 何故この自動人形は少女の遺骨相手に芸を披露していた? それも、今時珍しい花を持っているなんて。俯く少女……白骨死体を見据え、人形の解体に取り掛かった男は怪訝な表情を浮かべ、砂だらけの手袋を脱ぎ。


 「しかしまぁ、良い状態の部品が手に入る事には違いない」


 軽く笑うと舞台袖に横たわる劇団員の自動人形を見据えた。





コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?