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ある王国

 昔々、ある王国に一人の王が居ました。


 淀んだ瞳と痩せこけた頬、窪んだ眼孔から覗く瞳はぎらぎらとした欲望の陰りを見せ、臣下と民はまるで王は全てを呪っていると思う程。


 ある一人の臣下は「王は悪魔に魂を乗っ取られ、全てを呪い尽くす御方になられてしまった……」と呟き、次の日には王城の前で首を断たれ、処刑されてしまいました。ある将校は「王は血肉を求められている御方。一日百の民を贄に捧げよ」と言い、王が振るう剣に貫かれ、命を奪われてしましました。


 悪辣な王を討てと民を扇動した貴族も処刑され、流行り病に喘ぐ村々を焼き尽くす煤の王。国の農地を視察してはその石高と村人の人数を詳細に記録し、役人へ言い付ける王は酷くしゃがれた声で民へ言うのです。


 「民よ、我が忠実なる下僕等よ。貴様等が貧困に喘ごうと、腹を空かせようと、我には貴様等の痛みなど知り得ぬ事実。命に背き、武器を掲げるのも自由と信ぜよ。対価を払い、我が命を欲しようとするならば力を付けよ。貴様等のような愚痴に理解し得る言葉で云うならば……規律と自由とは実に表裏一体なのだ」


 稲が実り、稲穂が垂れ、収穫の時期を見計らって現れる王は、全身を黒甲冑に包み込んだ地獄からの死者のよう。淀んだ瞳が刈り取られた穀物を睨み、その村を取り仕切る役人へ一言二言モノを申すと物置小屋と見間違う小さな一軒家に村長を招き、一日滞在した後何処かへ去る。


 村人が村長へ王に何をされたかと問い、質問を繰り返しても「何もなかった。彼の王は素晴らしい御方だ」と譫言のように繰り返し彼の姿が見えなくなるまで頭を垂れ続けるのです。


 やれ悪魔の御業だと一人が言い、人心を操る秘術を扱っていると噂する者も居る始末。しかし、そんな言葉も村長の耳に届いている筈がありません。何故なら、彼は既に心を彼に奪われているからです。


 王が王冠を戴き、玉座に座した数年後。王国は隣国との戦火に覆われました。臣下や将校の数を大幅に減らし、首を挿げ替えた王国に勝ち目など在る筈が無いと古い臣下が王へ提言します。しかし、王の瞳に燃える欲望は絶えることを知らず、在りもしない勝利だけを見据えていました。


 春の花々が炎に巻かれ、焼け落ち花弁が黒ずみ煤となりました。


 夏の暑さが屍を腐らせ、疫病を発生させ、隣国の民が病に喘ぎます。


 秋が齎す実りが食糧難に陥る隣国の民を苦しめ、戦争によって暴騰した穀物が黄金で取引されました。


 冬の寒さが前線で戦う兵の心身を蝕み、多くの兵と難民が王国へ捕虜という形で亡命しました。

 一年後……王国と隣国の戦争は王が率いる国が勝利し、隣国の有力貴族と一部の王族の首を斬首した後、属国として彼の手に落ちる形で終わりを迎えました。


 古い臣下は言います。何故全てを奪わないのかと。


 多くの兵を失った将校は王へ静かな怒りをぶつけます。死んでいった兵の為、残された家族の無念を晴らすべきだと。


 しかし、王は彼等の声に耳を傾けず、そんなものは無意味であると切り捨てるのです。


 「我は全てを望まん。この掌に握れるだけの人心も、この瞳に見える地平も、全てを掌握できるとは思っておらん。しかし、人の世が苦難と苦痛の道を辿るのであれば、それが神の意思だとするならば、犬にでも喰わせてしまえ。我々は人である。貴様等が信奉する神は我が内に存在せず、我が信ずるは己が内に宿る神のみ。故に、我が王国は明日を歩まねばならぬのだ。人という神が歩む為に」


 そして、王は臣下が集まる玉座から立ち上がり、聖書を煤へ変えるのでした。

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