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何でもない

 何でもない、結局自分はただの人間で、特別な存在じゃない。それを知ったのは、私が二十半ばを超えた年だった。


 夢も無ければやりたい事も無く、理想も無ければ何かを貫く意思も無い。日々降り積もる仕事に忙殺され、無意味に過ぎ往く日常は封がされた小瓶のように息詰まるものだった。


 厭な上司のご機嫌を取り、仕事を押し付けてくる御局の頬を叩く妄想をする。部下の尻拭いに奔走し、増えた仕事を笑顔の仮面を被って処理し続ける。私にとって仕事とは、やりがいや社会奉仕では無く、金を得る為の手段でしかない。


 深夜を回り、何時も通り屋上へ煙草を吹かしに行った私は自動販売機で買った缶コーヒーを片手にビルの屋上へ向かう。


 重い鉄扉を塞ぐ錠は実に三分の一の割合で締められていない。その日の警備員の顔を覚え、愛想を尽くしていれば彼等は簡単に心を許し、油断する。更に言えば、職務を全うしない連中が居た方が此方としても都合がいい。


 煙草を口に咥え、フリントを回す。瞬く火花が舞い散り、ぼぅっとした火が灯ると私は息を吸いながら煙草を近づけ、紫煙を肺いっぱいに吸い込む。


 辛味と苦み、その後から香るラムの匂い。


 昔、私は父が煙草を吸っている姿が嫌で嫌で堪らなかった。いや、そもそも両親が煙草を吸う人間であるのが嫌だった。


 何故嫌だったのか……。それは子供ながらに両親の健康を心配していた為だろう。他の大人が煙草は身体に悪いと口酸っぱく言う故に、子供だった私はその言葉を信じ込んでいたのだ。


 今にして思えば……二人は決まって外へ出て煙草を吸っていた。数分間、親という身分から開放された、一人で過ごす時間を設けていたと邪推してしまう。


 別にずっと親でいて欲しいと願ったことは無い。私個人、反抗期の頃は両親に対して些細な苛立ちをブツケていたこともある。だが、よくよく考えてみれば……いや、考えなくとも親という個人は結局のところ他人なのだろう。


 他人である故に、価値観の相違が生じ衝突する。血の繋がりと云う不確かな証で擁立された関係性。家族というちっぽけな社会は、合理性を排した感情の楔で繋がれている。


 紫煙を吐き出し、携帯灰皿へ灰を落とす。


 恐らく、私は人間という存在……他人が嫌いなのだ。彼等と交わした言葉は無意味なものでは無いと知っていても、腹の奥底では関わらないで欲しいと毒を吐いている。


 男に身体を触られる。女の甲高い声を聞く。下らない雑音が鼓膜を叩く……。それ等が厭だった。厭だから他人と距離を取り、一人で居た。孤独が……静かな時間を愛していた。


 自分は何者にも成れなければ、何でもないただの人。この過ぎゆく日常に溺れ、溺死しかけている小魚の一匹に過ぎないのだから。


 私は燃え尽きた煙草を灰皿へお仕込み、束ねた髪を解くと夜空を見上げた。

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