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第22話 奈落と勇者と日記

1944年6月19日から30968日目……。


今日も「奈落の地下空洞」は、その無限に広がる闇で私を包み込む。目に映るのは、微かな光すら飲み込む暗黒と、歪んだ影たちが息をひそめる静寂。そこかしこで微かに震える地鳴りが、空気をゆっくりと波打たせる。巨人たちの咆哮がこの静けさを切り裂き、日ごとにその振動が深く重みを増していた……。

それらまるで、目覚めに向かう鼓動のように活性化している。

私の開発した”無呈減算素数時計”の計算では、繁殖期には2190時間程の猶予があるハズだ。

通常、奈落の地下空洞に不測の異変など起こらない。

この地下世界は変質や変を嫌い、緩やかに流れる時間が流れている。 


だが、近頃は様子が変だ……。

不確定な因子、未知の干渉。

それらがこの地下にじわりと忍び寄っている。

奈落の息遣いに乱れが生じている理由は恐らく地上にあるのだろう。

魔人の進行か、人間同士の無益な戦争か……。

いずれにせよ私の興味を煽るシロモノではない。


私の使命は古代ドワーフが創ったとされる”彗星迷宮の城”だけだ。

この迷宮の探索・攻略こそが私の生きる目的。

二度と地上へは戻らない……。

かつて地上で与えられた役目――――勇者としての重圧、輝かしき女神アテネの囁き。

そのすべてを捨て、ここに沈んだ。

もう人間とも、女神アテネとも関わり合いになりたくない。


戦乱を避け、役目から逃れた結果がこの無尽蔵の闇だ。

ここには人間の意図も神の光も届かない。

あるのはただ、静かに蠢く黒の奥底、そして果てしない地底の神秘。

私は深淵を覗き、深淵は私を飲み込み続ける。

地上への未練など、とうに失せて久しい。







1944年6月19日から30972日目……。


冷え切った空気の中、私は「彗星迷宮の城」の探索を終え、傷だらけの体を隠れ処で横たえていた。

鋭い石の床に染みる血の匂いは、私が数時間前まで戦い続けていた証だ。

だが、その静寂を突如として破ったのは、地上から響いてきた轟音。

耳をつんざく音と共に、頭上の天井に不気味な亀裂が走り、そこから漏れ出した光――――――眩く輝く「地上の光」。

目を見開いても、それが現実のものであることが信じられなかった。

私の胸中に混乱が渦巻く。

まさか、まさかっ!! !!



この奈落の地下空洞が地上の穢れと繋がってしまったとでもいうのか……?!!

この暗闇の王国は、私の逃れた場所、全ての繋がりを断ち切った聖域だった。

なのに、その境界が脆くも崩れ去ろうとしている。

震える手で義足を支え、戦斧を肩に担ぎながら私は天井の”亀裂”へと急いだ。



長く曲がりくねった通路を進み、古代ドワーフたちが築き上げた幾多の扉を越える。

奈落の地下空洞はその複雑さゆえに、全容を把握することは不可能だ。

この数十年で何百回も迷い、無数の死線を潜り抜けた私だったが……今回は幸運だった。

私は短い息を切らしながら、亀裂の震源地にたどり着いた――――――地底湖のほとりだ。



蒼く微かに輝く水面は、不吉な光景を映し出していた。

焦げ付いた鉄屑、砕けた瓦礫、そして水中に沈んでいく「頭のない魔獣の死骸」。

私の足が自然と緊張し、戦斧を握り締めた手に力が入る。

ここにはただならぬ戦闘の余韻が漂っている。

瓦礫の音を踏み越え、一歩一歩注意深く進む。


その時、耳を貫いたのは、若い女性の悲鳴――



『た、助けて!!ミミ、ミズキが死んじゃうのっ!!!誰か来てよっ!!!』



心がざわめいた。

目を凝らして見ると、銀髪の少女を傍らに泣き崩れる若い少女の姿が浮かび上がる。

年は、私がこの異世界に転生させられた頃と同じくらいだろうか。

彼女の手には「薔薇色の大槌」が握られている。

その瞬間、私の中で警鐘が鳴り響いた。

あれは私の戦斧と同じ「勇者の武器」に違いない。

ならば、彼女は間違いなく女神アテネによって召喚された勇者だ。

あの女神がまた、厄介事を呼び込んだのか……。



私はその場で一度、背を向ける。

そして戦斧を肩に担ぎ、深く息を吸った。

落ち着け……私よ。

関わるべきじゃない。

何のためにここへ来たのかを忘れるな。

地上を捨て、人としての誇りを捨て、ドワーフとして生きることを選んだ理由を思い出せ。

私はもう、人間の事情に関わるべきではない。

私は、もう……。



『ミズキ、ミズキぃ〜……っ!やだ、やだやだやだっ!!死んじゃやだっ!!!お願いだから目を開けてよぉ……』



少女の泣き声は、私の記憶を揺さぶり、かつて地上で耳にした同じような叫びを思い起こさせる。

生物の死なんて珍しくない。

この世界では、毎日が誰かの”命日”だ。

だから私は走り出した―――――――彼女たちの元へ!

誰かが大切な者を失いかけるその瞬間を見逃していいハズがない!!!



『な、なにこれ!!?モフモフ??!ウサギ??!……へ?ミズキを、助けてくれる?!!!あ、ありがとう〜〜〜っ!!!!!』



駆け寄る私を見て、大槌の少女に驚きと歓喜の表情が広がる。

陽の光が射し込むこの地下で、私は再び運命を背負い込もうとしていた。









1944年6月19日から30975日目……。



愚かだと笑われても仕方がない。

私はまたもや余計なことに首を突っ込んでしまったのだ。

かつて地上で「勇者」として振る舞った頃の面影が、未だ私の心の奥底で燻っているのだろう。  

この奈落の底において、無関心でいられるはずの命に手を差し伸べるとは……滑稽でしかない。

古代ドワーフの技術を駆使し、私は銀髪の少女を治療する。


彼女は右腕が欠損し、胸には歪んだ刃が突き出していた。

普通ならば死を受け入れるべき状況であったが、私は機械仕掛けの心臓を彼女の体内に据え付け、その冷たい鼓動を蘇らせた。

ドクン、ドクンと鳴り響く生命の音の代わりに、彼女の胸からは機械の無機質な音――――チクタク、チクタクと時計の歯車の音が響く。


蘇生するかどうかは賭けだったが……心臓を機械仕掛けのモノに置き換え、彼女の肉体を修復したのだ。

右腕にも義手を装着させたので、今後は問題なく動き回れるだろう。

彼女が目覚めればだが……。



『ミズキ……』



小さな声で呟かれた名前は、銀髪の少女のものだろう。

大槌を抱えた彼女は、その名を呼びながら瞳に涙を溜め続けていた。

私が串し肉を焼き、焚き火の音がぱちぱちと響いても、彼女は一切手を伸ばさない。

よほど、銀髪の少女が大切らしい。

銀髪の少女への想いが、彼女を支配しているのが見て取れる。


私は食事の手を止めて、少女たちの様子を傍観していた……。

そして、遠い昔に思いを馳せる。

かつて私にも大切な仲間がいた。

笑い合い、共に戦った友人たち。

しかし、その顔も名前も、今では霞んで思い出せない。

この「奈落の地下空洞」での日々が、私の記憶を蝕み、削り取り、ただ時間の流れに紛れ込ませている。


ふと、誰かが言っていたことを思い出す。

「思い出したくない記憶は時間が消してくれる……」

確かに、それは正しいのかもしれない。


焚き火の赤々とした光が、少女たちの影を揺らめかせる。

炎の熱が私の顔を撫でるが、その温もりは心に届かない。

私は過去に囚われるべきではない。

あの栄光の日々、幸福だった時間、それらはもう私にとって何の価値もない。

失ったものを数え、その意味を問い続けることに、どれほどの意味があるというのか。







1944年6月19日から30977目……。


今日という日は、あまりにも異質で、忘れるべきではないのかもしれない。

銀髪の少女が目を覚ましたのだ。

冷たい地下の風が彼女の白い肌を撫で、無機質な機械音を胸の奥から響き渡らせている。


彼女は機械化された右腕と心臓にたいそう驚いていたが、私の方が驚いた。

あれほど深手を負い、命を繋ぎとめるのは賭けのようなものだった。

それでも彼女は蘇り、薄く笑みさえ浮かべている。

これが“勇者”の力かと感服せざるを得ない。

かつて私もこの身に宿した力――――今や失われたが――――その残響がここに在るのだと実感する。



その日、地下空洞では闇に似つかわしくない騒がしい食事会が開かれた。

久しぶりの喧騒だ。

ジュウジュウと香ばしい匂いが広がる中、銀髪の少女は目を丸くし、大槌を抱えていたもう一人の少女が、その香りに表情を和らげている。


私はそんな二人を眺めながら、名乗られた名前を何度も心の中で繰り返していた。

だが、記憶の底で何かが拒む。

彼女たちの名を覚えておくことに、意味はあるのかと問う声が私を苛む。

私はすでに、人間であった過去を棄て、ドワーフとして生きている。

名前はただの音だ。

だから、私はあえて言葉を崩して呼んだ。



『銀色人間さぁん、ハンマー人間さぁん……いっぱい、お肉ありますからねぇ……♪今日は、パーティーですぅ……お腹ぱんぱんになるまで、たくさん食べちゃいましょう……♪』



二人は肩を震わせて笑い出した。

何かおかしなことを言っただろうか?

しかし、洞窟の中に響く笑い声は、長いこと聞いていなかった心地よい音色だった。

火の照り返しが、彼女たちの頬を赤く染め、隠れ処の洞窟を彩る。

かつての仲間たちが、こうして共に焚き火を囲んでいた頃の記憶が一瞬だけ蘇る。


私は奈落の住人だが、たまにはこういうのも良いのかもしれない。







1944年6月19日から30980日目……。


どうやら、私は彼女たちに気に入られたらしい。

”彗星迷宮の城”を探索していると言うと、なんと協力を申し出てきたのだ。

気持ちはありがたいのだか、私はキッパリと断った。

あの城は古代ドワーフの技術が封じ込められた神秘であると同時に、この地を支配する恐ろしき番人の住処なのだ。



『魔人ですよね、その番人は……』



驚いた!

銀髪の少女は心が読めるらしい。

私のセリフを先読みして、ズラズラと言葉を並べる。


『番人の正体は落日・デネブ……。西大陸に”寝返ったハズの”魔王軍幹部……。彩喰・オリオンと同じ大禍時七魔将の一人です……。そんなのが何故、オリオンと秘密裏に繋がっていた”帝国武器工場の地下”にいたのか……?勇者として、話を聴く必要があります……。ローズさん、手伝って下さい……』



勇者という言葉が私の耳に刺さる。

かつて私もその名で呼ばれていた時期があった。

だが、その過去は奈落の闇に飲み込まれ、今では重りとなっている。

そんな私の感情を他所に、ハンマーの少女が眉をひそめ、大袈裟に肩をすくめて叫ぶ。



『えぇ〜〜〜っ?!!めんどくさっ!!なんでそんな厄介事に頭突っ込まきゃなんないのよっ!!!』



『勇者としての性ですよ……。それに、ヤツに会えば”奈落の地下空洞”から脱出するためのヒントとか得られるかもです……。ローズさんの転移魔法は、建物の中とか洞窟内だと天井に頭をぶつける”不便な時代のルーラ”ですし……』



『”リレミト”は使えないのっ!!!天井の亀裂が地震で塞がんなかったら、とっくに地上に出れたわよっ!!!!!』



『その地震が”たまたま”なのか……。それとも私達を”奈落の地下空洞”に閉じ込めて置くために行った”デネブの攻撃”なのか……。確認が必要です……。ルーナさん、”彗星迷宮の城”の案内、宜しくお願いしますね』



ルーナ――――そう、かつての私の名だ。

その名を口にされるたびに、過去の重みが心に押し寄せる。

だが、目の前の彼女たちの決意を無視することはできなかった。

勇者というのは厄介なもので、危機に直面した時、その胸中に眠る本能が目を覚ます。


女3人寄れば姦しいというが……勇者が3人集まれば厄介事のオンパレードだ。

私はため息をついて、串し肉にかぶりついた。


焚き火の炎が揺れ、影を描く。

これが、かつてのような無駄な希望か、それとも新たな闇への入り口かはわからない。

ただ一つ確かなのは……この先に待ち受ける試練が、再び私の命を試そうとしていることだ。






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