帝国が抱える秘密の武器工場は、海風の吹かない閉ざされた湾岸に静かに、しかし雄々しくそびえ立っていました。
その存在は、まさしく監獄のように圧倒的。
無数に立ち並ぶ巨大煙突から吐き出される煤煙は、昼夜を問わず空を黒く染め続け、地上のすべてを覆い尽くしています。
周囲の村々からも隔絶されたこの地では、奈落の底のような陰鬱とした空気が立ち込め、労働者たちの息苦しさが空気に溶け込んでいました。
(うっ……うぅっ……)
(もうイヤだ……っ)
(助けてくれぇ……誰かぁ……!)
工場内部……。
私の脳裏に直接響くのは、労働者として働かされている”帝国下層民”の悲鳴、嗚咽、怨嗟の声でした。
彼らは重労働に苦しみながらも、家族のため、帝国への忠誠を示すために、耐え忍んでいます。
逆らえば、反逆罪として家族ごと処刑されてしまう過酷な現実が、彼らの心を蝕んでいるのです。
生きることすらも苦痛とでも言わんばかりに、彼らの目には絶望だけが色濃く塗り込められています。
「まったく……廻聖教会も腐っていましたが、帝国も大概ですね……ローズさんが謀反を起こすのもムリないです」
私は呆れたような声をこぼすと、炉に石炭を放り込む作業を中断し、額の汗をぬぐいました。
武器工場の労働環境は劣悪そのもの。
常に轟音と煤煙に溢れ、空気は淀み、労働者の肉体と精神は日々すり減っていきます。
私も熱い鉄が焼ける匂いと、汗と油の混じった臭いでむせ込み、思わず顔をしかめました。
「社畜……というよりはもはや奴隷ですね」
この場所にいる限り、下層民の声は消えることがなく、私の心に響き続けました。
耳鳴りのように響く彼らの悲痛な叫びが、私の胸を締め付けます。
どれほど多くの者たちがこの場所で命を削り、夢を捨てているのか……。
その事実が、重くのしかかるのです。
(元の世界に比べたら……最前線に向かわされない分、比較的ラクな業務ではあるんですけどねぇ……)
ここで強制労働を強いられてから丸々一ヶ月。
無情な機械音とともに流れる時間の中で、私は武器工場のあらゆる労働に駆り出され、毎日飽きることなくコキ使われていました。
業務内容は鉄筋資材の運搬や炉の温度調整、石炭運び、鉄を溶かしたり溶接する作業などなど……中々ハードなものばかり。
(しかし……昔のマンガで似たような状況の話があったような……?確かギャンブルマンガで、アゴの尖った人が地下の労働施設に放り込まれる展開……。はてはて、なんて題名だったかな――――――)
「おい!そこの新入りボウズ!!サボってないで手を動かせ!!母親にも一緒に労働施設入ってもらうか?!!」
「す、すみませんっ!スグに作業に……あっ、あぁあっ!!!」
私が一人過去の記憶を思い出そうと頭を捻っていると、隣から監視官の怒鳴り声が飛んできました。
怒鳴られているコは、私と同じ時期にこの施設に入れられた、私より年下の小柄な少年。
名前は確かトパーズくん……。
そばかすと琥珀色の瞳がチャーミングポイントのショタっコです。
彼は積載中の石炭を床にブチ撒けてしまい、幼さの残る顔を真っ青に染めていました。
「これだから下層民のガキはっ!!教育だっ!!!」
「ヒィっ?!!だ、誰かぁ!!!助け……」
しかし、周囲の作業員はそんな彼を見向きもしません。
いや、正確には目を合わせようとしない……っと表現した方が正しいでしょう。
もしも変にかまってしまえば、矛先が自分に向けられてしまうから……。
「鞭打ちの刑だっ!軟弱な下層民に、屈強な帝国人の意識を植え付けてや――――――――ぐぇおばぁ゛ッ?!!!!」
「すみません……工場内では静かにしてもらえます?うるさいと気が散るんですよ……」
私の拳がだらしのない贅肉にめり込み、トパーズくんに危害を加えようとした監視官がおえっとゲロを吐きます。
やれやれ、人を軟弱呼ばわりする割には、随分とひ弱な体をしていらっしゃるようで。
「ご心配なさらず……適度に加減はしたので死にはしません……たぶん」
「……ぁ……かっ……」
私の話が聞こえていないのか、監視官は目を見開き、パクパクと口を開閉するばかり。
その姿があまりにも滑稽だったので、私は思わず口角がニチャァっと吊り上がってしまいました。
偉そうなヤツが無様に地べたを這いずり回る姿を見るのは、いつ見ても楽しいものですね♪
「ふっ……くふふ……!」
「オイそこっ!いったい何を――――――っ!!」
そうこうしていると、騒ぎを聞きつけた他の監視官がゾロゾロと集まってきました。
その中心にはこの工場のボスであるアメジストさんも。
紫の瞳がぎらりと光り、冷酷な威圧感が工場内に漂います。
しかし私の姿が目に入った瞬間、彼女の顔が瞬時に引きつり、後ずさりました。
「貴様……っ!」
「ん〜……?あぁ、どうも。お久しぶりです……ど」
私は軽く会釈をして挨拶をしました。
しかし、それだけで彼女は私が病原菌でも持っているかのように後退しました。
なんて失礼なのでしょう?
一ヶ月間無給で働いてあげてるのにこの扱いとは……。
「作業に戻れ……」
「あれあれ?あれれ〜?何が起きたのか聞かないんですか〜……?貴方の部下が一人、”また”のされちゃったんですよ〜……?これでもう5人目なのに……もっと部下は大切にしなきゃですよ……?」
「作業に戻れ……!」
「怖いですか……?またまた情報を抜き盗られるのが……。会話するだけで機密情報をダダ漏れしてしまう恐怖は、何物にも代えがたいですよね……。なのに帝国本部からは何の指示も与えてくれない。奪われた”魔王の腕”の件で手一杯。だからコッチは現状維持のまま放置……。ホントは今すぐギロチン刑にかけたいのに、宮使いはこういうとき不便ですね〜」
「作業に……戻れ……っ!」
アメジストさんは目を伏せ、徹底的に私の言葉を無視します。
しかし言葉の刃のように鋭く、彼女の心をえぐったのがはっきりとわかりました。
私はやれやれと深いため息を吐き、腰を抜かしているトパーズくんを立たせます。
「あ……りがと……、ごさいま……痛っ!」
「あらら……足を擦りむいちゃってますね。これじゃあ作業なんて出来ません……。今日はもう休みにしませんか?いいでしょアメジストさん、ねっ?」
「何を勝手な……っ!」
アメジストさんの怒りと焦りが、声ににじみ出ている。
けれど、その声の中には確固たる威厳も、四鉄華としての自信も感じられません。
あるのはただの恐れ。
あの尋問の日から、彼女は私の言葉に囚われたまま……。
私はその心理状態をさらに煽るように、何気ない調子で言葉を続けました。
「脱走……しちゃおっかナ〜……。南側の通路……監視をサボってサイコロ振ってる馬鹿がいるんで警備が手薄なんですよ……。ね、アメジストさんの斜め右後ろにいる糸目の方……?」
「っ?!!」
その瞬間……糸目の監視官が慌てて身を縮め、アメジストの方に視線を向けました。
その動揺が、場の空気をさらに重くする。
私は心の中で冷たく笑います。
情報の力をこうやって使えば、人は自ら崩れていく……♪
「なっ!あ、いや……ワ、ワシは……っ!!!」
アタフタと言い訳をする糸目の監視官。
名前は知りませんが、この人はちょっと”お喋り”がすぎましたね〜。
だから”余計な情報”を与えることになるのです……。
「……そこの馬鹿者を連れて行け。鞭打ち10時間の刑だっ!」
「まっ、待って!!話を――――――」
アメジストさんの声は怒りに満ちていましたが、その裏には恐怖が隠れている。
彼女は、自分の権威を示すために叫ぶしかない。
けれど、その声は空虚だ。力がない。
私は口元を歪め、追い打ちをかけるように挑発する。
「10時間じゃなくて、1050年の方が良くないです?鞭打ち1050年の刑……♪」
「キサマは黙っていろっ!今日はもう休みだ!散れっ!!散れぇっ!!!」
アメジストが叫んだその声は、どこか哀れみを含んだモノでした。
まるで駄々をこねる子どものよう……。
アメジストさんは顔を真っ赤にして叫び、私たちを追い払いました。
その姿を見て、私は再び冷たい笑みを浮かべる。
彼女は自分の手で、自らの支配力を失いつつあることに気づいていない。
「ふふっ、結局、力で抑えるしかないんですねぇ……。」
私は小さく笑いながら、トパーズくんの肩に手を置いきます。
彼は驚きと恐怖に目を大きく見開きましたが、私の手のぬくもりに少しだけ落ち着きを取り戻した様子でした。
「さ、今日はもう休んでいいらしいですよ……。ほらほら、みなさんも呆けてないで!撤収撤収〜……♪」
私は軽やかな声で作業員たちに呼びかけます。
労働者達は困惑しながらも、私の言葉に従って動き始めました。
彼らも、四鉄華のアメジストさんが私の前で無力であることに気づき始めているのです。
「本当にこの場を掌握しているのは……果たしてどちらなのでしょうね」
私は前世で知っているのです。
支配とは、力だけではない。
恐怖と不安を操ることで、人は簡単に屈する……。
私はただ、その恐怖心に小さな裂け目を作り出しただけ。
それだけで、この武器工場は私の手の中にあったも当然だった。
――――――
――――
――
「いや〜!今日は助かったよ銀色さん!!」
「あのデブ、銀色さんにのされてざまあねぇぜっ!!!」
「マジであれは痺れた!スカッとしたよ銀色さん!!今日はもう飲もう!」
「業務用アルコールだけど飲もう飲もう!!」
「やめなさい 」
夜の大部屋は重苦しい労働から解放されたように、ほのかな笑い声と酒の匂いに包まれていました。
粗末な布地の敷物の上、薄暗い灯りに照らされた男達の顔が私の周りで浮かび上がります。
皆、疲れ切っているはずなのに、今だけはその疲れを忘れているようでした。
労働の痕跡が残る手で、彼らは粗末な食べ物と酒を口に運び、笑い声を上げます。
私が来るまではあり得なかった、ささやかな時間が彼らの心を癒しているのです。
「しかし、あのケツデカ四鉄華も銀色さんには何も言い返せねぇのな!」
「流石銀色さんだよな!!!」
「最後はガキみたいに叫ぶことしかできなかったよな!泣く子も黙る恐怖の四鉄華サマがとんだ笑いモンだぜ!!!」
私の周りで労働者たちが大声で笑い、私の武勇伝で盛り上がっています。
この一ヶ月で彼らの中の私という存在が、自分達と同じ奴隷労働者ではなく、誰もが憧れる存在ヒーローのようなモノになっていました。
まあ、私はヒーローではなく勇者ですが。
「それからサイコロ博打の監視官もな!アイツも嫌なヤツでな〜!薄っい給料をどれだけピンハネされてきたか……!」
「最後のは貴方にも問題があるのでは……?金輪際、ギャンブルには手を出さないことをオススメしますよ」
「がははっ!!ちげぇねぇや!」
その瞬間、彼らはまたがははと一際大きな笑い声を上げます。
ここでは笑うことでしか、心の隙間を埋めることができない。
どんなに暗くても、どんなに厳しくても、それが唯一許された自由だから……。
「よし……。これでテーピングは終わり終わりです。ロクな物資がないんで、本当に最低限の処置ですけどね」
私はそんな彼らを横目に見ながら、トパーズくんの小さな足に丁寧にテーピングを巻きました。
彼の足はまだ震えていますが、先ほどよりも幾分か落ち着いたようです。
「あ、ありがとう……ございます……?」
「ふふふ、何で疑問形なんですか……?」
微笑を浮かべ、私はトパーズくんの頭を優しく撫でました。
くすぐったそうに目を細める彼ですが、先ほどまでの陰鬱な表情が少し晴れたように思います。
「いいな〜!銀色さんに頭ナデナデしてもらえるなんて!オレもなでて〜!!」
「……うーん、どうしようかな?」
私は戯けて首を傾げる。
下層民の労働者達は冗談交じりに笑い、宴の場はますます賑やかになりました。
私が放り込まれた最初の日とは比べ物にならないほど、皆が私に心を開き、親しく接してくれるようになっています。
その感情は単なる信頼以上のもの――――彼らは私のそばにいることで、何かを感じ、求めているようにも見えました。
「でもやっぱりさぁ、帝国はもうダメだよ……な?」
宴の最中、労働者の一人が不意に口を開きました。
どこか思いつめた表情で俯く彼に周囲の視線が注がれます。
「……ウワサじゃ西大陸への戦争が始まるって話だろ?だとしたらオレたち下層民も無事じゃあ済まねぇ……」
「あぁ……間違いなく戦いに駆り立てられる。テイのいい特攻要員か……もしくは実験道具にされんのかもな……」
「逃げ出しても飢え死にするか魔物に食われちまうだけだしなぁ……」
「せっかく西大陸の勇者さんが魔王を倒して、太陽を取り戻してくれたってのに……なんだってこんな……」
「このままオレたち、帝国に蹂躙され続けるだけの人生か……?世界は救われたのに、オレら下層民は使い捨ての駒……?」
「でもよ!オレたちが帝国に逆らえば、それこそ皆殺しにされちまうぜ?帝国の奴らは平気でやるさ!」
彼らの言葉は、どれも絶望に満ちています。
その切実な悲哀が、私の胸に重く響く。
けれど私にとって、その負の感情はこの上ない好機でもありました。
彼らが抱える未来に対する絶望こそが、私の言葉をより深く彼らの心に染み込ませる土壌になる……。
「逆らえば……死ぬ……それが現実さ……」
「そう……だよな……」
「あぁ、それにな……オレら下層民には”魔法”もねぇんだ……!武器もねぇし、戦う術なんてねぇよ……!オレ達には、何もっ!」
「――――――……本当に、そうでしょうか?」
私の声が静かに響くと、沈みかかっていた宴の空気が揺れ動きます。
労働者たちは目を丸くし、私の次なる言葉を待っている様子。
私は小さく笑みを浮かべ、彼らに語りかけます。
それは教師のように、あるいは道を示す賢者のように……。
その言葉が、彼らにとっての救いとなるように……。
「魔法もない……。武器もない……。でも、貴方達には私がいるじゃないですか……」
その瞬間、彼らの目に熱が宿ります。
光を失いかけていた瞳が、私の言葉に反応してかすかに揺れる。
彼らの心の中で何かが芽生え始める瞬間を、私は見逃しません。
「私は……貴方達の味方です。なぜならそれが勇者だから……」
「銀色、さん……!」
私はさらに彼らに寄り添い、優しく、慎重に言葉を続けます。
ここでの一言一言が、彼らの心にどう響くかを知っているからこそ、慎重に選び抜かれた言葉を。
無論、ただ無責任に彼らを励ますためでもなければ、彼らの感情につけ込んで甘い言葉を投げかけているワケでもありません。
彼らの心に小さな灯を灯し、”自分自身の意思”で未来を選択させるためのひと押し。
絶望と諦念で乾いた心に、渇望と闘争心の花を咲かせるための……文字通りの”魔法の言葉”――――。
「私を見てください。魔王を倒し、世界に光を取り戻した勇者の妹……銀色勇者と呼ばれる私が、ここにいます」
私の言葉で再び、部屋に静寂が広がります。
しかし、その静寂は先ほどのモノとはまったく別種の熱いモノ……。
その瞳に映るものが彼らにとっての『希望』へと……『依存対象』へと変わりつつあることは明らかでした。
「ねえ、どうですか?一緒に、立ち上がってみませんか?自分たちの未来を、この手で掴み取るために。私を『推し』て、ついて来て下さい……」
「ぼく……ぼくは……」
トパーズくん含め、皆が顔を見合わせる……。
信じてもいいんじゃないのか……?といった顔で……。
「必ず、貴方達を救ってみせます……!それが勇者の約目ですから……」
人の心には『扉』があります……鍵のついた扉が。
その鍵は既に解錠済み。
あとは自分から扉を開けてもらうだけ――――。
「助けて、ほしいです……お願い……勇者さん」
トパーズが絞り出すように口にした言葉を皮切りに、他の労働者たちも立ち上がり、次々と私に向かって頭を下げました。
(あぁ……いい光景ですね……)
私は満足げに笑みを浮かべながら彼らのつむじを見下します。
『心酔』とも『信仰』とも呼べる感情が、彼らの心に根を下ろしているのが理解る。
私はそんな彼らを救い、光ある未来へと導かねばなりません。
勇者は、いつだって弱い者の味方ですから……♥
「さあ、今日はもう休みましょう♪明日も、私たちにはやるべきことがありますから……。もし眠れないのなら、私が横で囁いてあげます……。ほら、遠慮しないでいいですよ……」
私は灯りを消し、彼らの手を引いて闇の中へと誘います。
光の届かない空間では私の言葉だけが、彼らの唯一の道しるべとなる……。
「ほら、リラックスして……私の声を聞いて。あなたたちが安心して眠れるように、私がここにいますから」
囁くような声が薄暗い空間を漂い、不安が一つ、また一つと霧散していく。
私の存在が彼らの心の奥深くに、そっと根を下ろしてゆく。
彼らの心の深い部分に隠された扉が、静かに開かれていく様子が見てとれます。
満ち足りた夢の中に吸い込まれるように、疲弊した魂が私の色で包まれていくのを感じるのです。
「明日、私たちは一緒に新しい未来を掴み取ります。それを信じて、今は安らかに眠ってください……」
思考を奪い、理性を溶かし、常識を塗り替える。
言葉は魔法……。
その魔法は彼らの心を溶かし、私に全てを捧げ
る私兵へと変える……。
「大丈夫、私が守るから……」
静寂の中、彼らが心地よさに身を委ねていくのを見下ろしながら、私はその瞬間を堪能する。
計画は順調、私の存在は彼らの心に深く刻まれた……。
彼らの中に潜む力が私の導きに応じて、静かに目覚めているのを感じる。
これで”手駒”は揃った。
あとは、実行に移すだけ……。
「戦争なんて起こさせない……。”この世界”は私が守る……」
だから明日、私達はこの武器工場を破壊する……。
これはそのためのASMR魔法なんですから……♪