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第11話 破滅の舞妓―勇者は堕ちる―

「”ラディアンス・ジャベリン"!!!」




紅色の豪雨が割れ、槍状の閃光が一直線に緋色の悪魔へ迫ります。

……が、敵は事も無げにその攻撃を回避し、嘲笑うように私たちを見下ろました。


「マリーさん、次は偏差撃ち作戦です。私が感応魔法でヤツの心を読んで行動を先読みします。ヤツが攻撃を回避した所を狙い撃ちして下さい」



「了解ですわ!!誘導は激しくいきますわよ!!”イリディセント・フラワー”!!!」




空に花が咲き乱れるかのように、敵へ放たれた光の玉が次々と炸裂し、美しい花弁の軌跡を残して緋色の悪魔へ殺到します。

花火のような爆発音が立て続けに鳴り響き、緋色の悪魔は煩わしそうに顔をしかめました。

直撃したらタダでは済まないと理解しているのでしょう。

翼を羽ばたかせ、空を蛇行して光の玉を回避していきます。

私は感応魔法の範囲を最大まで拡大し、それらの動きを読み取っていく……。




(右、左、右右、上、左、下、右、左、右上、下下、右、下、左左……)



「4秒後に右へ距離500、その後左下へ回避です!」



「任せてくださいまし! ”ブリリアント・フフルーレ”!!!!」



マリーさんは私の言葉に即座に反応し、呪文を詠唱。

杖先からレイピアのような光の剣が放たれ、敵の回避した先へと回り込みます。

緋色の悪魔はそれを目にし、一瞬だけ翼を強く羽ばたかせ、加速することでギリギリ直撃を免れました。

ですが、その軌道も既に私には読まれている。




「右上に一直線っ!今です!!!」



私は叫び、マリーさんも同時に再び大杖を振る。




「”ルミナス・スパークルシャワー”!!!」



眩い光と共に、幾重にも連なった光の槍が雨粒を切り裂き緋色の悪魔へ殺到する。

広範囲かつ光速の連続攻撃。

回避は不可能。

……の、筈でした。



「なっ……?!」




しかし、マリーさんの放った魔法は高度すると共に威力が減衰。

当たる直前で完全に消滅してしまいました。

敵の周囲を取り囲むように、光の粒子が漂っています。




「ヤレヤレです……。どうやらこの紅い雨、人をゾンビ化させるだけでなく魔法そのものを弱体化させる効果もあるようですね……」



「とりあえず、一階へ退避しますわよ!バカスカ撃ち抜いたので屋根が穴ぼこだらけ!!このままでは紅い雨粒に触れてしまいますわ!!」



「仕方ありませんね……」



階段を下り、一階へ。

ゾンビ化してしまった宿泊客の方々を拘束しているアザレアさんとガーベラの所へ合流します。

敵の強襲からもう5時間……。

緋色の悪魔は街全体を覆うほどの巨大な魔法陣を展開していました。

その魔法陣から無尽蔵に降り注ぐ”紅い雨粒”で街中がゾンビパニック、故に宿から脱出は不可能。

私たちはバリケードの隙間から、その地獄のような光景をただ眺めることしか出来ません。街では人々が次々とゾンビへと姿を変え、逃げ遅れた方は諸々ゾンビの餌食になってしまいました。

静かな街が怒号と悲鳴に包まれ、血の匂いで満たされています。





「しかし困りましたわね……。これは闇雲に閃光魔法ぶっ放せば済む話という簡単な話ではありませんわ……。紅いの豪雨の中ではわたくしの魔法の威力も半減してしまう……」



マリーさんはため息を吐き、金糸の髪を指でクルクルと弄りました。

その横顔には焦りが滲んでいます。

流石に街の被害が甚大なだけに、いつもの余裕はなさそうです……。



「ウニャァ~……っ!!この臭い、キライなのニャア~ッ!!鼻が曲がっちゃうのニャー!!!」



そんなマリーさんとは対照的にアザレアさんは鼻を摘まみながら大絶叫です。

彼女の鼻は非常に敏感ですからね。

その苦痛は想像を絶するものがあるでしょう。

私は「可哀想に……」と同情しつつ、アザレアさんの背中をさすってあげました。




「ウゥ……勇者サマは優しいニャア~……っ!」




「いえいえ、このくらい当然ですよ」



「アザレアちゃん、勇者サマに一生ついていくのニャア~……っ!」



「大袈裟ですよ」



私は苦笑しつつ、アザレアさんの背中をさすり続けます。

しかし、これではアザレアさんは役に立たなそうですね……。

私はチラリとマリーさんを見やります。



「さて、どうします?このまま籠城し続けますか?」



「……いえ。それではジリ貧。いつかは食料も尽きてしまいますわ。それに、あのゾンビたちがここを嗅ぎつけないとも限りませんし……」



「たっ、戦いましょう!!!わたしが先陣をきりますっ!!勇者さんはまだ本調子じゃありませんから、わたしがっ!!!」



マリーさんの言葉にガーベラさんが拳を握りしめ、鼻息荒く宣言します。

翡翠の森では碌な活躍もなく退場でしたから、挽回したいのでしょう。

その気持ちはわかりますが……。

私はガーベラさんの肩を優しく叩き、首を横に振りました。



「ガーベラさん、無理です……」



「うぐっ、た、確かにわたしは弱いですけど……でも、それでもっ!」



「いえ。あのゾンビの群れはまだ生きているんです……。だから無闇に攻撃するワケにはいかない」



「えっ?」




私の一言に、ガーベラさんの目が点になりました。

どうやら彼女は気づいていなかったようです。



「アザレアさん、解説を……」



「ウッ、ニャアァァァ〜……。しょうがないにゃあ……!このアザレアちゃんが教えてあげるのニャ!あのゾンビたちは死霊術の一種で、死んだ獣の魂を人に取り憑かせる呪いなのニャ!昔、パ……イカツイ顔のおっさんが教えてくれたのニャ!」



「えっと……つまり……??」



「正確には死体が動いているワケではなく、人に畜生の霊が取り憑いて襲っているんです……。だからあの緋色の悪魔さえ倒せばゾンビ化した住民はまだ助かります……」



「逆に言えば、助かるからこそゾンビ化した住民を下手に攻撃して刺激するのは得策ではありませんわ。……うっかり殺してしまえばそれこそ大惨事に……」



「そ、そんな……」



ガーベラさんの顔が絶望に染まります。

ですが、こればかりは仕方がないことです。

私たちは人々を救う為に駆り出された勇者一行。

悪魔一匹の為に善良な市民を犠牲にするワケにはいきません。



「では、どうやって市民を傷付けずにあの悪魔を倒すか……。それを考えましょう」



緋色の悪魔は遥か上空。

マリーさんの閃光魔法なら届く範囲でしょうが、豪雨のカーテンで威力が弱体化。

しかも今は夜、分厚い雨雲に覆われていて月の光も届きません。

湿気の多い所で火炎魔法を放っても十分な威力は望めないのと同じ理屈で、閃光魔法は常闇では威力も射程範囲も半減してしまいます。

翡翠の森では十分な太陽光が差していたからこそマリーさんの魔法は有効に機能したのです。

そして私の感応魔法も、アザレアさんの鼻と盗賊スキルもゾンビには無意味。

敵は私たちパーティーの弱点を的確に突いています。



「肉薄しようにも外はゾンビの群れ……。雨に濡れたら自分もゾンビ化してしまいますし、迂闊には動けませんわね……」



「でもでも、ずっとここに隠れてるワケにもいかないのニャ~……っ!」



アザレアさんの言葉に、マリーさんと私は同時にため息を吐きます。

さっきからグルグルと堂々巡り……。

打開策は一向に浮かびません。

雨音だけが静かに響く、そんな長い沈黙。

私たちは、ただただその沈黙の中で考えを巡らせ続けました。

焦燥感が徐々に広がり、胸の奥で重くのしかかるような感覚が強まっていきます。

このままでは駄目だ、何かしなければならない──そんな焦りが、冷静な判断を曇らせます。




「もう時間がありません……これ以上は彼らが保たない……」



私は自分にそう言い聞かせるように呟き、窓の外を見やりました。

外の景色は、紅い雨が降り注ぐ中で、まるで悪夢のような光景が広がっています。

ゾンビ化した住民たちが、朦朧とした歩みでさまよいながら、肉を求めるように手を伸ばしている。

彼らの虚ろな瞳に、生者の光はもう残っていません。

それでも、彼らはまだ生きているのです……。




「何か策を見つけないと、彼らを助けられない……」



私は小さな声で、そう自分に言い聞かせました。

頭の中でどうにか可能性を探るものの、やはり打つ手は見当たりません。

現状のカードではどうしても突破口が見つからないのです。

攻撃は届かない上、ゾンビに囲まれ逃げることも出来ない。




「勇者サマ……」



アザレアさんの小さな声が、私を現実に引き戻しました。

彼女は泣きそうな顔で、私を見上げています。



「このままじゃ、アザレアちゃんたちも……」



彼女の言葉に、私は拳を握り締めました。

待つことしかできない状況に、無力感が押し寄せてきます。

けれど、それでも諦めるわけにはいかない。

私たちは勇者一行、どんなに絶望的な状況でも、人々を守るために戦わなければならないのです。

でなければ兄の愛した世界が壊される……穢されてしまう……っ?!

兄の世界がが、が???



「えっと、マリーさんの魔法で雨を一時的にでも止めることはできないのでしょうか……?」



ガーベラさんの声が遠くに聞こえる……。

怒りと吐き気で頭が割れそうです。

あんな出来損ないに、兄の世界が穢されていいハズがない。

何がなんでもコロさなくては……




「……わたくし一人では不可能ですわ。古来より自然現象を媒体とした魔法は非常に強力で、打ち破るにしても規模が規模だけにどうしても人手が――――――」




「では、他の選択肢を考えましょう。手段は選びません……この美しい世界を守る為なら、私はどんな犠牲も厭いません……」




私の言葉に、マリーさんは一瞬だけ驚いたような表情を見せましたが、すぐにその身に冷たい雰囲気をまといました。



「ミズキ……貴女まさか……」



「”奥の手”を使い、あのクズを”暗黒世界”へ道連れにします……」



「ニャ……で、でもそれは……」



アザレアさんが私の服の裾を掴みます。

彼女は悲しげな瞳で私を見上げていました……。

マリーさんは口を閉ざしたまま、静かに光を映さない瞳で私を見据えています。

二人の不穏な感情を受けつつ、私は冷たい笑みを浮かべました。

そしてゆっくりと口を開き――――――――


「……あの」



そんな中、ガーベラさんが恐る恐る手を上げます。

私は彼女に視線を移し、「どうしました?」と問いかけました。




「……あの悪魔が降らせる雨は人をゾンビ化させるだけで、ゾンビになった彼らを操ったりは出来ないんですよね?」



「ええ、まあ……そうですわね……」



「一人か二人なら兎も角、これだけ大量に使役してるなら、その線が濃厚ニャ……」



マリーさんとアザレアさんの言葉に、ガーベラさんはある事に気づいたのか「あっ!」と声を上げます。

そして目を輝かせると、私たちを交互に見やって言いました。



「……作戦があります!わたしたちがアレをどうにかするのではなく、ゾンビの皆さんに緋色の悪魔をやっつけてもらいましょう!!」



――――――

――――

――



”雨”を降らせて20時間。

ターゲットが籠城している建物から出てくる様子はまだない。

オレは上空で旋回しつつ、ターゲットの様子を観察し続ける。



「ウ、ァ……ア……」



オレの眼下には夥しい数のゾンビの群れが蠢いている。

彼らは人をゾンビにする雨……”ブラッドレイン・カース”を全身に浴びた事で、その身を人喰い獣へと変貌させていた。

だが、まだ足りない。もっと多くの人間を殺さねば今までの鬱憤を晴らすことは出来ない。



「ウゥ、アァ……ッ!!」



オレは咆哮を上げ、翼を羽ばたかせる。

魔力の限り雨を降らせ続けるオレの固有魔法――虹の序曲(オーバーチェア・レインボー)――。

殺傷能力はないが、オニオンの創り出したウイルス型魔導生物”レッド・バグ”をオレの血液に混ぜることによって人間をゾンビ化させる効果が付与されている。

いわばこの雨は、オレの復讐の為だけにある魔法だ。



「アァ、アァァ……ッ!!」



オレは咆哮を上げ続ける。

しかし、まだ足りないのだ……。もっと人間を殺せと魂が叫んでいる……! だが、もう魔力も残り少ない……。そろそろ潮時か? そう考えた時だった。



「く……ぅ……」



フラフラと建物から出てくる影が一つ。

それは一人の少女であった。

髪は白銀で、瞳は血のようにおどろおどろしい赤……。

ターゲットがようやく飛び出して来たことに、オレは歓喜した。



「アァァ……ッ!」



オレは少女を喰らわんと急降下する。

距離2000……800……500……120……10……。

少女は逃げる素振りも見せず、ただ佇むのみ。



「……ア、ゥ?」



そしてオレは少女の異変に気づいた。

彼女の周囲に漂うのは魔力の残滓……。

身体が朧げに霞み、実態が掴めない。

そもそも雨に濡れていない。

コレは、一体……???



「――レンズ・ミラージュ――貴方の雨をレンズ代わりにし、光を屈折させることで虚像を生み出す光の幻影魔法ですわ!微弱ですが、貴方の魔法も利用して創り出しているのがミソですわね!」



どこからか勝ち誇った声が聞こえる。

オレは急いで空に舞い上がって、その場から離脱しようと―――――――――。



「逃さないのニャ……♪」




――――ズドンッ!!



凄まじい轟音と共にオレの右翼に衝撃が走った。

見れば右翼には大きな穴が開き、そこから数多の鎖が伸びている。

鎖は建物の陰に隠れていた猫耳の少女の手に握られていた。



「ウ、ガ……ッ!?」



「捕縛用のトラップ兵器なのニャー!これでもう空には逃げられないニャ!」



「アァアアア、ゥ……ッ!!」



オレは慌てて翼を羽ばたかせるが、鎖は解けない。

それどころか、オレの身体を雁字搦めに縛り上げていく。

身体が地べたに叩きつけられ、オレは無様にもがき苦しんだ。



「アァ……ッ!アァァ……ッ!!」



「ウニャ~?苦しいのニャ?でも、これは自業自得なのニャ!街の人たちもたぶん同じ気持ちニャ!勇者サマみたいに心は読めないケド、気持ちはわかるニャ!!」




「ッ……!ァァ、ァ……!!」




ズリズリと引きずるような足跡と共に、オレがゾンビ化させた人間たちが近づいて来る。

皆、血走った目でオレを見下ろし、口を三日月のように吊り上げて笑っていた……。



――――オ前ノ、セイダ

――――シネ、シネ、シネ、シネ

――――コッチハ、死ンデシマッタンダゾ?

――――コロセ!コロシテヤル!!

――――喰イ、コロシテヤル!!!



「ウ、ァ……ッ!アァアアアアアア!!あがっ、ぐ、ごぼぉお……ッ!?」




バカな!バカな!バカな!バカな!バカな!!!

腐った死体ごときが緋色の勇者であるこのオレを……このオレをォオオオ……!!

四肢を拘束され、身動きの取れないオレにゾンビたちが群がってくる。

ある者はオレの首を噛み、またある者は爪や牙で肉を削ぐ。

オレはただ悲鳴を上げることしか出来なかった……。




「オ、レハ……!ユウ者!!!ユウ者ダゾ……?!!世界ヲ、救イ……民ヲ、守ル……勇者ダゾ……?!!」



ゾンビに喰われながら、オレは必死に叫んだ。

激痛と紅い豪雨で淀む視界の端に、白銀の少女が映る。

少女は宿の中から血のように紅い瞳を細め、オレを見下ろしていた……。



「貴方は魔人の類でしょう?この世界を、人々を……兄の救った世界を壊す無法者です」



少女は静かに語りだす。

オレはその言葉に反論しようともがくが、首をガジガジと噛みつかれては声を上げることすらままならない……。




「貴方の存在は世界にとって害です。……ですから、私がここで終わらせます」



「ア、ァ……!ヤメテクレ……ッ!!オレハ……マダ、死ニタクナイ……!オレハ、教会ニ……利用サレテ……ッ!!」



「……なるほど。同情はしますが、魔人の手先に堕ちた貴方を見逃すワケにはいきません。……さようなら、”緋色の勇者”。」



「っ??!!!」



白銀の少女から放たれた一言。

それは怒りに満ちていて、それでいて哀れみと悲しみが滲み出ていた。

これで、オレの冒険は終わりなのか……?

こんな腐った死体に喰われて……?

オレは、何も成せずに終わるのか? 嫌だ!イヤダイヤダ!!! オレハ、マダ、死ニタクナイ……!!



――――オ願イダ……!誰カ……誰カ助ケテクレ!!



オレは最後の力を振り絞って叫んだ。

だがその叫びは誰にも届かない。

結局、あの時と同じだ……。

ああ、意識が遠のいていく……。

肉を喰われ、赤い雨を浴び続けながら、オレは仲間との冒険の日々を走馬灯のように思い返すしかなかった。




―――――――

――――

――



雨が止みました。

空にぽっかりと穴が開き、ほんの少しだけ月の光が差し込んできます。

街の人々のゾンビ化は止まり、全員が安らかな寝顔を見せていました。

私は一息吐き、額の汗を拭います。



「ウニャァ~……疲れたのニャア~……」



アザレアさんもその場にへたり込み、大きく息を吐きます。

ガーベラさんはそんな私たちに駆け寄りました。




「みなさんお疲れ様です!本当にすごいです!!」



「いえいえ。ガーベラさんの作戦が上手くハマったお陰ですよ」



私はニッコリと笑い、ガーベラさんの頭を撫でました。



「あっ……えへへ♪」



彼女は照れくさそうに微笑みます。

本当に可愛らしい人ですね。

”奥の手”も温存出来ましたし、彼女は自分が思っている以上に有能です。



「……けれど、これで終わったワケではありませんわ!」



マリーさんがため息を吐きつつ、ゾンビ化していた方々の治療を行います。

命に別状はなさそうですが、人肉を喰らうゾンビになっていたのです。

精神面のケアは必須でしょう。

マリーさんの魔法は閃光を炸裂させるだけでなく、心を浄化する効果もあるのです。

さすがは天輪七聖賢、序列三位。



「あれ、勇者さん……そっちは……」



「ガーベラさんはマリーさんの支援をお願いします。私はやることがあるので……」



紅い水面にプカプカと浮かぶ、緋色の勇者だったモノ。

彼は絶望に満ちた瞳で私を見上げていました。

その姿は、まるで虚無の中で朽ち果てる古の神話のよう。

私はそれを見下ろしながら言いました。




「ギリギリ生きていますが、これじゃもう助かりませんね。その前に……――遡及回想(メモリーミラー)――」




兄だったらこの状況、どうするでしょうか?

私は彼の身体に触れて、感応魔法で彼の悲惨な過去を追体験します。

日本にいた頃の記憶、この世界に召喚されてからの記憶、仲間との冒険と壮絶な戦いの日々、廻聖教会に見限られ、挙げ句に実験台にされた時のこと……。

そして大禍時七魔将、彩喰・オリオンとの取り引き、そして……。


数々の記憶と痛みを通して私は緋色の勇者の真の姿を見ました。



――――そうか……貴方は、本当に……正義の味方”だった”のですね。



それは失望でもあり、安堵の念でもあったと思います。

兄の信念と彼の願いが重なり合い、今の世界があることを知りました。



「でもね、やっぱり分かり合えません……。”その程度の理由”で、この美しい世界に絶望して、壊そうとするだなんて……」



私は緋色の勇者に語りかけます。

彼は、何も言い返してきませんでした。



「貴方の罪は”世界の破壊者”に加担したこと……。それは兄の気持ちを踏みにじるのと同じこと。だから、私は貴方を許しはしません。」



私は剣を構えました。

かつて世界を救おうとした緋色の勇者に、引導を渡す為に……。



「兄の守った世界を穢すものは何人も許すわけにはいきません。……さようなら」




私の言葉は、冷たく、無慈悲に響く。

剣の刃を真っ直ぐに彼の心臓へ向ける。

その瞬間のために磨かれてきたかのように、剣は鮮やかな輝きを放っていました。




「リヨウ、サれ、た……アイツらの、セイ……で……ナカマが……」




彼のか細い声が、私の耳に届く。

その声には、これまでの彼の戦いと苦しみが籠もっています。

けれど、そのどれもが、世界を破壊するための正当化にはならない。

私の決意は揺るがない。



「貴方が何を感じようと、私の使命は変わりません。」



刃が肉と骨を貫き、緋色の勇者の体が大きく跳ねました。

私は彼の目が見開かれ、その生命がゆっくりと失われていく様子を、じっくりと網膜に焼き付けます。



「……せめて、安らかに眠ってください」



心にもないことを呟きつつ、私は剣を引き抜き彼に背を向けます。

空は清らかで、雨の跡も残さずにすっかり晴れてしまった。

けれど、その静けさは私の心をさらに激しく揺さぶる。

静かな夜の帳が、私の中の嵐をいっそう鮮明に浮かび上がらせていました。



「フフ……ふふふ……」



星々の光が冷たく降り注ぎ、倒れた勇者の亡骸を照らしている。

その光景がヒドく私を惹きつけて止まない。

心の中を満たしていたのは悲しみや苦悶ではなく、朗らかな”歓喜”。



(ああ、私は今……すごく気持ちがいい……!)



彼が不条理な人生を送ったのは分かっている。

彼の痛みも、絶望も、全てこの目で見て、心に共有した。

だけど、それでも……兄を世界を穢そうとした男の無様な死に様は、私とってこの上なく甘美な美酒に感じるのです……。



(ああ、なんて美しい世界でしょう)



心の中で暗い喜びが疼きます。

彼の死が私の使命を完了させるための一部であり、それが私にとってどれほど大切なことなのか、他の誰にも理解できないでしょう。

それでもいい。

兄の愛した世界が、これからも美しく在り続けますように……。

それこそが私の使命であり、兄の願いなのですから。



「さて……」



私は仲間たちの方へと歩き始めます。

その一歩一歩が、私の冷徹さと決意の象徴です。

背後には緋色の勇者の死体が横たわり、その死体が私の内面にさらなる冷酷さを刻み込んでいく。

私の歩みは、今後の闇の中でますます深くなり、確固たる決意へと変わ

っていく。



「これからも……変わらず、使命を全うしますよ」



その声には、揺るがぬ決意が込められている。

それは冷酷でありながらも、使命感に満ちた声でした。



――――……でも、本当にこれでよかったのか?



不意に、兄の声が聞こえました。

私は一瞬足を止めます、が……すぐにまた歩み始めます。

えぇ、これでよかったに決まってます。

兄さんの世界を穢すものは、どんな過去があろうと例外なく万死に値するのですから……。




――――……でも、俺は彼のことも救いたかったよ。彼だって”世界の一部”だもの



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