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【第10話 破滅の舞妓―静寂を蝕む死者の合唱―】

「ここ、は……?」



深い眠りの底から意識が浮上していくのを感じます。

ああ……眠っていたんだ……私。

翡翠の森で感応魔法を限界まで使い続けた後、新種の魔蟲に寄生された魔樹を片っ端に切り倒して、最後の一本を切り捨てたところで……意識が途切れちゃったんだ。

あぁ~あ……疲れたなぁ……。

久々の全力戦闘だったし、ちょっと張り切りすぎちゃったかもしれません。



「まぁ、これも勇者の務めですよね……」



気怠い身体を起こして私は周囲を見渡します。

シーツと布団が敷かれた質素なベッドの上、窓から差し込む優しい光と路上の喧騒……。

窓の外に目を見やれば人が豆粒のよう。

うん、何処かの街の宿屋……といった所でしょうか?



「勇者さんっ!良かった……目が覚めたんですね!」




「ガーベラさ、んん……???」



部屋の扉が開き、中へと入ってきたのは栗色の髪を一つに纏めたガーベラさんでした。

彼女は私を見るなり、安堵の息を吐いて私の傍へと駆け寄ってきました。

そして私をギュッと抱きしめ「本当に良かったです……」と涙ぐみます。



「良かった……っ!勇者さん、ずっと目を覚まさないから心配したんですよ?でも、本当に良かったです……!」



「え~と……?あのぉ、状況がイマイチ飲み込めないんですけど……?」



「あぁ、すみませんっ!私ったらつい嬉しくて……!」



戸惑う私に気が付いたのか、ガーベラさんは慌てて私から身体を離します。

彼女の目元は赤く腫れていて、泣いていたことが伺えました。

うむむ、反応から察するに相当寝込んでいたようですね……。

まだまだ鍛錬が足りません。

私は深くため息を吐いて、苦笑しました。



「ごめんなさい、私……全然覚えてなくて……。あの後、どうなったんですか……?」



「それは―――――」



「伐採カーニバルでしたわっ!!!人の静止も聞かずに大剣を振り回しては魔樹の森をバッサバッサと切り倒しまくって、はっちゃけるんですもの……!!本当に見ていてヒヤヒヤしましたわ!!!」


ガーベラさんの言葉を遮るようにして、マリーさんも勢い良く部屋へと入ってきます。

手には水が入った桶を持っていましたので、水を汲みにいっていたのでしょう。

彼女は私の傍まで歩み寄ると、濡れタオルを差し出してきました。

それを有難く受け取り、私は顔を拭きます。

あぁ……冷たくて気持ち良いですね……



「マリーさん、ありがとうございます……」



「お礼をおっしゃる前に、自分が無謀極まりない行動をとったことを反省なさってくださいませっ!まったく、魔力が枯渇した状態であんな大暴れして……。一歩間違えれば死んでいたのですわよ?」



マリーさんは腰に手を当てて、私の額を指で突きます。

その指先は普段よりも力強いモノでした。

どうやら相当ご立腹のようですね……。

私は「すみません」と苦笑いを返しました。

するとガーベラさんもマリーさんの言葉に同意するように頷いています。



「本当にそうですよっ!勇者さんが倒れてから、私もう気が気じゃなくて……!」



「うぐ……っ」



二人の剣幕に私は思わずたじろぎます。

美人が怒ると怖いと言いますが、本当なんですね……。

私は気まずさから目を泳がせ、苦笑いを浮かべるしかありませんでした。



「まあまあ♪お二人さんもそのくらいで勘弁してあげるのニャ!勇者サマのお陰でアザレアちゃんもこの通り毒が治ったわけだし、万事OKニャ!」



「で、アザレアさんはいつの間に私のベッドに潜り込んだんですか……?暑苦しいのですが……。早く私のベッドから退いてください……。それと、重いです……」



「重くないニャ♪これは猫たんぽなのニャ♪アザレアちゃん、前回はほとんど出番ナシで役立たずだったからこうして勇者サマのベッドに潜んで安眠を守ってたのニャ〜♪感謝感激、アザレアちゃんをもっと褒めて欲しいのニャ!」



そう言って、アザレアさんは私の胸元にスリスリと頬擦りをしてきます。

なんと厚かましい猫ちゃんなのでしょう?

しかし旅をするならこのくらいの図太さは必要なのかもしれません。

私はため息を吐いて、「はいはい」とアザレアさんの頭を優しく撫でてやりました。

すると彼女は気持ちよさそうに目を細め、喉をゴロゴロと鳴らします。



「まぁ、勇者ミズキがご無事で何よりですわ!今後はもっと仲間を頼る事ですわね!」




「うっ……耳が痛いです……」




マリーさんにビシッと言われて、私は思わず肩を落としました。

確かに今回は皆の制止を聞かずに突っ走り過ぎてしまった気がします……。

反省ですね、これは。

私がションボリと項垂れていると、ガーベラさんが優しく微笑んで私の頭を撫でます。

その優しい手つきに、私はついウトウトしてしまいました。

「勇者さん、今はゆっくり休んでください!また無理をして倒れられたら大変ですからっ!」



「ガーベラさまの言う通りですわ!良いですわね、勇者ミズキ?」



「はぁい……」



二人のお説教に、私はただ頷くことしか出来ませんでした。

すると二人は満足したように頷き返します。

そしてそのまま部屋を出て行ってしまいました。

まるで嵐のような方々ですね……。



私はなんだかどっと疲れが押し寄せてきて、再びベッドに倒れ込みました。



「ウニャニャ〜♪勇者サマはお説教が嫌いみたいニャ!」



「ええ、大嫌いです。特にホームルームの帰りの会なんて、最悪ですよ……。アレはある種の拷問ですから……」



思い出すだけで嘔吐がこみ上げてくるような苦行です。

一人だけ立たされて、やれアレが悪いだのコレを反省しろだの、グチグチと説教をされるあの時間が私は大嫌いでした。

あんなのが毎日あるなんて、本当に信じられません。



「ウニャ?ホームルームってなにニャ?」



「あぁ……ガーベラさんやマリーさんにはわからない話でしたね」



遠い過去を思い出し、私は自嘲気味に笑いました。

あれはもう、何年前の事でしょうか……?

私がまだ勇者になる前。

普通の女子高生として生活していた頃のお話です……。

今となってはもう、どうでもいい話なのですが。



「ホームルームというのはですね、学校での一日の終わりに行われる集会みたいなものですよ」



「ニャ?勇者サマは学校に行ってたのニャ?お貴族サマだったのかニャ??」



「別にそういうワケでは……」



この世界、特に獣人族にとって学校というのは上級貴族や裕福な家庭の子供しか通えない場所です。

士官候補生や文官を目指す者ならともかく、普通の庶民が通う事など殆どありません。



「ニャ~♪アザレアちゃんはずっと盗賊一筋だったから学校とかよくわかんないのニャ〜♪」



「はあ……そうですか」



「ウニャッ!?反応が冷たいのニャー!」



アザレアさんは不服そうな声を上げ、頬を膨らませます。

しかしすぐに笑顔に戻ると、私の胸に顔を埋めました。



「まぁいいニャ♪それより勇者サマ、もっとお話しするのニャー!」



「はいはい……」



アザレアさんは本当に自由奔放な方です。

でも不思議と憎めないというか、彼女のペースに巻き込まれている内に毒気を抜かれてしまうというか……。

そんな不思議な魅力を持っているんですよね、彼女は。

私は小さくため息を吐いて、彼女の頭を撫でながら話を続けます。



「―――――――それでですね、私がその同級生の手足をまとめてへし折ったらクラス全員の前で謝れって担任教師に言われまして……。あれは屈辱でしたよ!」



「ウニャッ!?バイオレンスな話なのニャ!勇者サマはやっぱり怖い人なのニャー!」



「そうですか?でも、あの担任教師も悪いんですよ。私はちゃんと”ごめんなさい”って言ったのに……。それなのに『誠意が足りん!』って怒鳴られて……。まあ、私は悪い子でしたから仕方のないことでしょうケド」



私がそう言うとアザレアさんはクスクスと笑いました。

何がおかしいのでしょう? 私は首を傾げます。

すると彼女は私の胸に顔を埋めて、上目遣いでこう言いました。



「……勇者サマは悪い子なんかじゃないニャ!ちょっと不器用なだけ。あのヒトと同じニャ……」



「……兄のことですか?」



元々、マリーさんとアザレアさんは私の仲間ではなく兄の仲間でした。

兄が逝ってしまい、代理として私が勇者になった時に二人は私についてきてくれたのです。

だから、アザレアさんは私の事を兄と重ねているのでしょう。



「懐かしいニャ……。あのヒトも不器用さんで、毎回無茶ばっかりしてマリーちゃんに叱られていたニャ……」




私のお腹の上に頭を乗せ、アザレアさんがポツリと呟きます。

それはきっと独り言なのでしょう……。

私は黙って彼女の言葉に耳を傾けることしか出来ませんでした。



――あのヒトはいつだってそうニャ。

自分が危険に晒されても、誰かの為に命を懸けて戦えるのがあのヒトだったニャ……。

そんな強いヒトだからみんな惹かれていったニャ……。

でも、あのヒトは優しすぎたニャ。

だからいつも自分の事は後回しにして、他人ばかり優先して……。

そんな生き方してたらいつかきっと壊れてしまうのに……。



「アザレアさん……?」



私は彼女の名を呼びました。

しかし彼女はそれ以上口を開くことはありませんでした……。

ただ静かに寝息を立てて、夢の世界へと旅立っています。

どうやら寝言だったようです。



「兄は異世界でも罪づくりな人だったんですね……。こんなに可愛い女のコを残して逝ってしまうなんて……」



私はアザレアさんの柔らかな肉球をプニプニと指で押しながら、そう呟きました。

彼女に私の声は聞こえていないでしょう。

けれどそれで良いのです……。

だってこれはただの独り言なのですから……。

窓の外に目をやれば、いつしか空は茜色に染まっていました。

夕日によって赤く照らされた街はどこか寂しく、同時に幻想的でもありました。




――――ポツポツ……ザザザ……ザザザザザザザザザっ!!!!



ふと、雨粒が窓を叩く音が聞こえてきました。

どうやら雨が降ってきたようです。

路上では蜘蛛の子を散らすように、人々が走り去っています。



「夕立でしょうか……?」



私はアザレアさんを起こさないよう注意を払いながら、ベッドから抜け出します。

窓に近づいてみれば、雨脚はどんどん強くなっていくようでした。

商人、女、観光客、老人、物乞い、商人、子ども、物乞い、犬、ゾンビ、観光客、……。

みんなズブ濡れになりながら、建物の軒先へと避難していきます。



―――――ん?



いま、あからさまにオカシイのがいたような……。

観光に来た女性、物乞いの老人、人肉を貪る腐った死体、逃げ惑う人々、発狂する女性、口から血を吹いて徘徊する死体、死体、死体、死体、歩く腐乱死体の集団……っ!!!



「アザレアさん起きてくださいっ!!!敵です!!」



「ニャ~?敵って……にゃぁに?」



「私たちは街ごと攻撃されていますっ!!!!」



私は慌てて窓を開け放ちます。

すると”紅い雨粒”と共に強烈な腐乱臭が部屋の中へと流れ込んできました。



「ウニャッ!?なにコレ……っ!臭いのニャー!!」



アザレアさんは鼻を押さえて、床を転げまわります。

私は感応魔法を使用し、街の人たちの心を覗き見ました。



『痛いよぉおおおおっ!』『苦し、い……!!誰かぁ!!』『な、なんなんだコレぇ??!』『雨に濡れたら、肌が焼けるっ?!!』『怖いよお母さんっ!!!』『いやぁアアアアアア!!!!』『痛い痛い痛い痛い!!』『かゆい』『うまい』『もっと、人食う』『ハラ……減っタ……ニ、肉……』『かゆ、うま』



「これは……」



脳内に直接流れる阿鼻叫喚とゾンビ化した人々の声。

吐き気を催す強烈な怨嗟に、私は口元を押さえました。

そこら中から恐怖の叫び声が響き渡り、街全体が混乱に包まれているのが感じられます。  

この異常な状況は一体……?

私は混乱する頭を無理やり冷静に保ちながら、感応魔法をさらに深く探り、雨に触れた人々の体内で何が起きているのかを調べます。



「この”紅い雨”……ウイルスですね。濡れた瞬間、感染して人喰いゾンビにしてしまう……。なんて恐ろしいモノを……」



私は窓の外に目をやりました。紅い雨粒が降り注ぐ空は、不気味なほど赤黒く染まっており、その色合いがますます街全体を異様な雰囲気に包み込んでいます。まるで誰かが意図的にこの状況を引き起こしたかのような、そんな嫌な予感が胸を突き上げます。



「アザレアさん、急いで準備を整えてください! このままでは街が滅びます!」



「ニャ……なんかすごく嫌な感じがするニャ……」



アザレアさんも、私と同じくこの状況の深刻さを察しているようです。普段は軽い調子でふざけている彼女も、この時ばかりは真剣な表情を浮かべ、素早く腰に短剣を装備します。


私は一度深呼吸して、魔力を集中させます。

感応魔法で街全体の状況をより明確に把握するためです。

しかし、私が感じたのは、街中に広がる絶望と痛み、そして狂気の波動のみ……。

紅い雨が街の人々をゾンビ化させ、彼らの理性を奪い去っていることしか分かりません。



「まずい……。このままでは全員がゾンビ化してしまう……!」



私は急いでベッドサイドに置かれていた大剣を手に取り、アザレアさんと共に部屋を飛び出しました。

廊下には、他の宿泊客たちが混乱しながらも外へ避難しようとしています。

しかし、その中にはすでに変貌を遂げた者たちも混じっており、彼らは無差別に周囲の人々に襲いかかっていました。



「勇者サマ、どうするのニャ?! これじゃ、誰が敵で誰が味方かわかんないのニャ!」



アザレアさんの言う通り、今や街は敵味方の区別がつかない混沌の中にありました。私は迷わず一つの決断を下しました。



「とりあえずこの宿にいる方を片っ端から殴り飛ばして昏睡させます!」



「野蛮すぎるニャ!!!」



「後からゾンビ化されて襲われても面倒でしょう?アザレアさんは私が昏睡させた方をロープで縛って拘束して動けないようにしてください!」



「ニャ……了解したニャ! でも、本当にやれるのニャ?」



「やるしかありません! 勇者が諦めるわけにはいかないのです!」



私は決意を固め、大剣を握りしめて宿の階段を駆け下りました。

1階に降り立つと、そこも地獄絵図のような光景でした。

ゾンビ化した宿泊客たちが生存者に襲いかかり、血まみれの死体がそこかしこに転がっています。

私は拳に力を込め、迫り来るゾンビたちを殴り飛ばしていきます。

しかし、次から次へと押し寄せてくるゾンビたちに対して私は防戦一方です。


「……くっ!」



「ニャニャニャァ!!数が多すぎるのニャ!!」



そしてついに私たちは壁際へと追い詰められてしまいました……。

迫り来るゾンビの群れに、私は思わず息を呑みます……っ!


……が、その時でした!

視界の端で光の玉が弾け、強烈な衝撃波がゾンビたちを吹き飛ばしたのは。



「まったく……!!先ほどの言葉をもうお忘れ?仲間を頼れと、そう言ったばかりでしょうに」



「勇者さん! 無事で良かった!!!」



そう言って現れたのは、杖を構えたマリーさんとロープを片手に抱えるガーベラさんでした。

マリーさんは次々と光の玉を放ち、ゾンビたちを次々と沈黙させていきます。

それをガーベラさんがロープで拘束し、一箇所に集めていく。



「マリーちゃん!ガーベラちゃん!ありがとうなのニャ!」




「お礼は後ですわよ?まずはこのゾンビたちをなんとかしないと……」


「えぇ。この雨、普通の雨じゃありません……。街全体をゾンビ化させる魔法です。何者かが意図的にこの災厄を引き起こしている……!」



「そのようですね……。街の周囲にはバリアが張られていて、外部との連絡も遮断されてますわ。これは完全に計画された罠ですわ……!」



マリーさんも険しい表情で報告してくれました。

彼女の言う通り、これはただの偶然ではなく、明確な敵意を持った誰かがこの街を襲撃しているのです。



「勇者さん!アレって……」



ガーベラさんが窓の外を指差します。

この惨状を引き起こした元凶は……上空にいるようでした。

私は視線を赤黒い雲が覆う空へと向けます。

大きな羽を生やした不気味な存在が空を旋回している。

それは人の形をした”緋色の悪魔”でした……。









――――――――――――――――――――――――



【ブラッドレイン・カース】

”緋色の悪魔”が生み出す変異した固有魔法。

この魔法は、勇者・ツバキの憎悪とオニオンの創り出した魔導生物の融合によって生み出された。雨に触れた者のゾンビ化させる広範囲型の魔法。

血の雨が静かに降り注ぐたびに、犠牲者たちは意識を失い、やがて意志を持たないゾンビへと変貌していく。



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