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第7話 翡翠の森より熱中症警戒アラート

「あっついニャ〜!勇者サマ〜!!おんぶ〜!!!」



「まだ二時間しか歩いてません。あと、暑いなら猫ちゃんらしく脱げばいいじゃないですか……毛皮を」



「脱げないニャ!!!そもそも毛皮なんてついてニャいから!!ついてるのは耳と尻尾だけニャ!!」



ガーベラさんの故郷ナイシー村を出て四日が経ちました。

ここは西大陸中部にある"翡翠の森"……。

名前の通り、鮮やかな翡翠色の木々が生い茂る森です。

多種多様な虫の大合唱が響き渡り、うるさいったらありません。

どこを歩いても虫の声が聞こえて、どこまで歩いても翡翠の木々が目に入ります。

この森は西大陸でも有数の絶景スポットですが、私としては一刻も早く抜け出したい気持ちでいっぱいです。



「近道だからと横着したが失敗でしたね……」



アザレアさんは暑さでへばって、マリーさんは虫が苦手でさっきからずっと悲鳴を上げてばかり……。

ガーベラさんはというと、私と同じかそれ以上にピンピンしています。

思いの外タフな方です。

だというのに……アザレアさんは耳と尻尾をペタンと寝かせて愚図りながら私の背にのし掛かります。



「重い」



「重くニャぁい!!むしろ軽いくらいニャ!!」



「自分で歩いてください……」



「や〜だ〜ニャ〜!勇者サマのおんぶは最高なのニャ!この背中の広さと温もり……まるでお母さんに抱かれてるみたいな安心感があるのニャ〜!」



「誰がお母さんですか」



アザレアさんは私の背中から降りる気配はありません。

それどころか、更に密着して頬擦りまでし始めました。

猫耳少女との触れ合いは悪くありませんが、この蒸し暑い中でこれは鬱陶しい……。



「それにしても本気で暑いですね……。この時期の森は普段からこんなに暑かったでしょうか?」



「これは虫のせいですわ〜!!蒼天月から陽炎月の森には"翡翠甲虫"という背筋がゾゾゾ〜っとくる気色悪い虫が大量発生しますの!この虫は翡翠色の外殻に、羽が四枚あるのが特徴で太陽の熱を殻に吸収し溜め込む性質を持っていますわ!!そのせいで、翡翠甲虫が密集した森は熱が逃げず蒸し暑くなるのですわよ〜!!!」



「魔王が消滅してからさらにその数を増やしたんですよね……?命が増えるのはいいことですけど、流石にこれは勘弁してほしいです……」



マリーさんの解説に、ガーベラさんがうんざりした様子でため息を吐きます。

魔王が消滅してから魔獣の生態系は目まぐるしく変化しています。

その最たる例が"魔蟲"です。

魔獣ほど危険ではないにせよ、農作物や家畜を食い荒らしたり、時には人間を襲ったりと被害が後を絶ちません。

私は虫は平気ですが、マリーさんみたいに羽音だけで震え上がる人からしたら地獄でしょう。

案の定、マリーさんが「うぅぅ〜っ!!」と、呻いて耳を塞ぎました。



「こ、こうなったらぁ〜っ!!」



「マリーゴールドさま?」



「どうするんですか……?」




「光精よ、集まりて我が道を照らせ――"陽光の燭台"」



マリーさんが何やら唱えると手のひらに小さな火の玉が浮かび上がりました。

蝋燭のように仄かな灯りを放つそれはゆらゆらと揺れながら私達の周りを照らします。

索敵魔法の一種ですね。

この光は幻影を祓い、周囲の正しい地理情報を浮き彫りにする優れモノ。

マリーさん曰く、術者の魔力に比例して大きく広い範囲を照らし出せるそうです。



「南の方向、距離にしておよそ三キロ先に湖を発見!ひとまずはそこを目指しましょう!」



「スゴい!魔法ってこんなことまで……!!」 


「いやいやいやいやいやいや!!!もうそんなに歩けないのニャ〜!!」



「アザレアさん、くっつかないで下さい……歩きにくいです……」



アザレアさんは私に抱きつき、猫のように頬を擦り寄せてきます。

自分のニオイをつけて所有権を主張する動物のアレですね。

女の子同士ですから別に気にする程のことでもありませんが、鬱陶しい……。


マリーさんは「仲がよろしいですわね」と、クスクス笑っています。

ガーベラさんは……なんだか複雑そうな表情。



「あの、勇者さま……?その……アザレアちゃんとはどういう関係なんですか……?」



「……え?ただの旅の仲間ですけど」



「そ、そうですか……!良かったぁ……」



私の答えにガーベラさんはホッと胸を撫で下ろしました。

何がそんなに心配だったのでしょう?

私は人の心が読めますが、彼女から読み取れるのは安堵や喜びといったポジティブな感情だけ……。

そこに至るまでの考えまでは分かりません。

人の心というものは複雑で厄介ですね……。



「勇者サマ〜……」



「はいはい、わかりましたよ……」




私はアザレアさんをズルズル引き摺りながら歩き始めます。

ポタポタと汗が滴り落ち、喉が渇いてきました。

私はうんざりしたように空を見上げます。

憎らしい程に真っ青な空。

雲一つない晴天に燦々と輝く太陽……。

ジリジリと肌が焼けるように痛いのは太陽の光を木々が遮断しないからでしょう。

まるで森が私達を蒸し焼きにしようとしているよう。

早く水場へ辿り着きたい……。



「それにしても暑いですわね〜……。このままじゃ干からびてしまいます……」



「アザレアさん、いい加減自分で歩いて下さいよ……獣人なんですから体力は人よりもあるでしょうに……」



「無理ニャ……。力を使い果たしたニャ……。せめて水、が……」   



「アザレアさん……?」



突然、首元にかかっていた腕の力が抜け、アザレアさんの身体が崩れ落ちます。

咄嗟に抱き抱えましたが、彼女はグッタリしたまま動きません。

まさかとは思いますが、この暑さで……?!

いや、そんなはずは……




「ア、アザレアちゃん?!どうしたんですか?!」



「日射症……とはちょっと違いますね。これは……」



アザレアさんの首元には何かで刺されたような小さな穴が空いていました。

恐らくは針……。

私はアザレアさんを木陰に寝かせ、マリーさんに目配せします。

マリーさんはアザレアさんの容態を見て、すぐに首を横に振りました。



「これは……毒ですわね。恐らくは"忌蜂"。それもかなり強力な個体……」



"忌蜂"……。

針を飛ばして対象を毒で蝕み、徐々に弱らせ時間差で命を奪う厄介な魔蟲です。

その毒は身体の自由を奪う痺れに加え、発熱を誘発する効果があります。

そして、その毒が全身に回った時……対象の心臓は止まってしまう……。



「やはりですか……。しかしいつの間に……?アザレアさんの鼻なら近づかれた時点で気付くハズ……」



「わかりません。アザレア様も気付かれない遠距離から針を放たれたのか……もしくは魔蟲以外にもナニかがいるのか……」



マリーさんはそう言って、周囲を見渡します。

私もそれに倣い、周囲の気配を探ろうとしました。

しかし、この暑さと虫の鳴き声のせいで上手く集中出来ません……。

理解るのは逃げ場のない自然の圧迫感……。

ギラギラとした青い空が、今はとても憎らしい……。

私はため息を吐きました。

どうやら私達はいつの間にか敵の胃袋の中に誘い込まれてしまったようです。



「ガーベラさんも気を付けて下さい……。どこから魔獣やら魔蟲が現れるか分かりませんからね」



私は大剣を引き抜き、ガーベラさんに忠告します。

しかし、返答が聞こえない。



「ガーベラさん……?」



私は彼女の名を呼びながら、振り向きました。

しかし、そこにガーベラさんの姿はない……。

さっきまで傍にいたハズの仲間が煙のように消え失せてしまった。



「マリーさん……っ!」



「ええ!これはかなり……マズいですわね……!」



私は深紅の大剣を、マリーさんは背丈ほどある大杖を構え背中合わせになりながら、周囲を警戒します。

虫の鳴き声がうるさい……。

森が、木々が私達を嘲笑っているように感じる……。

"ここはお前達の墓場だ"とでも言わんばかりのプレッシャーです……。

私は大きく息を吐きました。

恐らくは……いや、確実に私達は何者かに誘い込まれた。

この森には何かがいる……。

だけど、それが何なのか正体がまるで見えない。

ポタリ、ポタリと玉のような汗が額から滴り落ち、目に入ります。

私はそれを拭いながら、マリーさんに尋ねました。

この森はいつからおかしくなったのか……と。

すると彼女は冷たい声でこう答えます。



"最初からおかしかった"と……。




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