楽な仕事のハズだった。
ただ村から女を拐って船に乗せ、変態ジジイども売り捌くだけ。
世界に太陽が取り戻されてから2年……平和な時代が来たと腑抜けたマヌケ共を騙してその身体を搾取するだけの簡単な仕事、だったのに……。
あんな化け物がこの船に乗り込んでくるなんて聞いてない……っ!!
「高ランクの魔獣討伐で金貨10枚……質素に生活すれば一ヶ月は暮らせるくらい。でも賊どもの鎮圧には銀貨以上のものは出ない。なぜなら魔獣の方が人類に与える損害が遥かに大きいから……だとかなんとか。」
コツコツと近づく足音は、俺の心臓を恐怖で鷲摑みにする。
40人以上いた仲間は全員冷たい床の上に伏して、ピクリとも動かない。
ヤツは背中に真っ赤な大剣を背負っているが、俺達との戦闘で1度もそれを抜いていない。
つまり単騎かつ素手でこの多人数を制圧したのだ。
ちくしょうっ!もう無事なのは俺だけか……?
一歩、また一歩と近づく足音に比例して、心臓は鼓動を速めていく。
明確な死の匂いが、俺の脳をジワリジワリと締め上げていく。
落ちつけ、落ちつけ―――――っ!
一番奥の船室に逃げ込み、適当な物陰に隠れて息を整える。
大丈夫だ……ここは俺らの海賊船、地の利はこっちにある。
それに人質だっているんだ……っ!
「―――っ!――〜〜っ!!」
俺は脇で呻いている新米冒険者……。
この田舎娘は拐われた村人を助けるだとかで俺らの船に潜入したが、呆気なく捕まったドアホだ。
コイツを盾にして時間を稼いで、その間に態勢を立て直して、そして……それから……っ!
その時、不意に船室の扉が開け放たれた。
「不思議だと思いません?魔獣なんかより快楽によるもので人を拐って売っぱらう低俗な人間の方が悪質性は高いし、危険度も高い。なのに何故、廻聖教会は取り締まりもせず魔獣討伐ばかりを推奨するのでしょうか?そこの棚の影で、女の子を盾に隠れてる貴方も疑問に思いません?魔獣よりオマエラの方がよっぽど醜悪で臭い存在なのに……。」
「っ!」
バレている――!
しかも人質の存在まで……。
「まぁ、そんな疑問はどうでもいい事ですよね。私はただ女神から祝福を享受された勇者として依頼をこなし、世界を汚すゴミ共の掃除をするだけ……。元引きニートには荷が重い話なのですが……」
来る!クソったれ、こうなりゃヤケだ!!!
ヤツの正面に踊り出た俺は人質の女の髪を鷲摑みにし、その首筋に抜身の剣を押し当てる。
この手の正義感に溢れたバカは見ず知らずの人質にさえ価値を感じてしまうものだ……!
ヤツが一瞬でも躊躇えば、一気に形勢逆転。
「お、おい!それ以上近づくとコイツがどうなっても知らねぇぞ!!」
「……。」
「っ!……な、なんだ?その目は……っ!俺は本気だぞっ!!本気でこの女を……っ!」
人質を取られながらも、ソイツは俺への興味を一切感じさせない。
まるで路傍の石ころを見るような冷たい目……。
いや、違う。この目はそんな優しいモンじゃない……っ!!!
コイツの目は、これから踏み潰す虫けらを見る目だ。
「人質を取れば、私が躊躇うとでも? ……その程度の浅知恵しか働かない無能さはもはや哀れとしか言えません。私の脳ミソをチョビっと千切って分けて上げたいくらいです。そしたら人並み程度にはなるでしょう……?」
「バっ、バカにしやが……っ!ぎゃぁあああああっ〜〜〜っ!!?!?」
剣を持っていた手から鮮血が舞い、激痛が脳天を直撃する。
手の甲には、いつの間にか白銀のナイフが深々と突き立っていた。
「あ゛っ!あ゛ぁあっ!!?」
「その程度の痛みでイチイチ大袈裟な……。オマエラ海賊共の被害にあった方々はもっと苦しんだでしょう?この程度で済むと思わないで下さい……よっ!!」
バキッ!!と鈍い音がして俺は船室の壁に叩きつけられた。
アバラが砕けて内臓に突き刺さる感触が嫌でも分かる。
「あ゛……っ!がっ、はっ!」
「この程度じゃ人は死なないから安心しなさい。でも、その傷はオマエラが犯した罪の痛みです。その痛みがオマエラの心を蝕み、魂を汚し、やがては死へと導くでしょう……。」
「ひっ!ひぃいいい……っ!!」
俺は這いずるように船室の出口を目指す。
だが、そんな俺をこのバケモノは逃してくれない。
「待ちなさい、まだ話は終わっていませんよ……?色々聞かなきゃいけないことがあるんでね」
「ぐぁ……あぁあ゛っ……!!」
首を掴まれ、俺は強制的に視線を上げさせられた。
目の前には、銀髪に鼻筋の整った美しい顔。
しかしその蒼い双眸は、まったく暖かみを感じない無機質なもの。
まるで人形……いや、人形だってもう少し人間味のある目をしている。
「失礼ですね。私だって好きでこんなんになった訳じゃありません。」
「なっ?!!」
心を読まれた……?
なんなんだ、コイツは……!?
勇者にこんな能力があるなんて聞いたことが――――
「余計なことは考えなくてよろしい。首の骨を折られたいのですか?」
「ひっ……あ゛ぁ゛……ぁ゛!」
抑揚のない声だったが、その中に宿る確かな殺意に俺は恐怖した。
片手で持ち上げられた首がミシミシと音をたてる。
「さて、私達は旅の道中に立ち寄った小さな村でとある依頼を受けました。拐われた娘を救い出してほしい……と。なんでも相手は最近巷を騒がせている人拐い専門の海賊だとか。魔王から太陽を取り戻した後も貴方達みたいな薄汚いのが羽虫みたいにワラワラ湧いて出てくるんですから、まったく嘆かわしい世界です。」
「あ゛……ぁ……っ!」
首の骨が軋んで息が出来ないっ!!
この細腕のどこにこんな力が?
「それで人拐い海賊が根城にしている海賊船に乗り込んだワケですが……拐った方々はどちらに幽閉されているのでしょう?この馬鹿デカい海賊船を端から端まで探しても見つからない。“気まぐれなピンク猫”の鼻も、“ポンコツ爆乳魔術師”が探知魔法を行使しても、ジャミングされているのかそれとも巧妙に隠されているのか……まったく反応しないのですよ。まあ、だからこうして強硬手段に出ているのですが……」
「あ゛ぁ゛!た、頼む……見逃してくれぇ!!俺は、ただ命令されただけだっ!この船だって、俺は今日初めて乗ったんだよ!!!」
「嘘つき。オマエは10年以上前からこの船で人拐いを繰り返しているでしょう?今さら言い逃れしようなんて往生際が悪いんだよゲボカス野郎」
怒りを宿した双眸に睨まれ、俺は恐怖に震えた。
このバケモノは……人を殺した経験がある。
しかも1人や2人なんかじゃない……もっと多く――――
「まぁいいでしょう。これ以上アナタに聞いても埒が明きそうにないので、船長の所に案内して頂けますか?アナタ方を束ねるボスです。そこで改めて話を聞きましょう」
「そ、れ゛は……っ!」
言えない……。
もし喋ってしまえば、俺は船長に殺される!
あの人は……あの人は……!
「ふぅ。まぁ、なんとなく見当はついていますが……仕方ない。――
「がっ……ぁ゛!あ゛あ゛あ゛!!」
瞬間、脳みそに手を突っ込まれて搔き混ぜられるような感覚に俺は絶叫する。
ガキの頃の記憶から海賊になった経緯、そしてこの船に乗っ取ってからの悪行の数々が脳内を駆け巡り、俺は白目を剥いて絶叫した。
痛い痛い痛い!止めろぉおおお!!!!
しかし無情にも目の前のバケモノは記憶の閲覧を続行する。
「なるほど。船長は女性で、魔術師……。7大属性の魔法に依らない“固有魔法”を有している。配下にも詳細は教えておらず、実際にその力を直に見た者もいない。厄介ですね、こういった類の相手は骨が折れるんです。」
「た゛……すけ゛……っ!」
「ダ・メ・で・す。取り敢えず船長室の場所は分かったんで、アナタは用済み。このまま首をへし折って海に捨ててもいいんですが、――
その声が聞こえた瞬間。
俺の意識は急速に闇の中へ落下していった。
最後に見えたのは……。
「コッチの世界に来て早1年……。“銀色勇者の代わり”も楽じゃないですね……フフ、兄さんも余計な仕事を残してくれました。まっ、最善は尽くしますよ……」
そう呟いて、歪んだ笑みを浮かべる”女”の顔だった。