現場は他の人に任せてきたとかで、社長は溜まっている事務処理を始めた。
ついでというとあれだが、わからなかったところを教えてもらう。
「あ、これってのりめんって読むんですね。
で、道路とかのあの、斜面になってるところ、と」
「そう。
専門用語とかわかりづらいよね」
「いえ!
ちなみに工事現場の専門用語を解説してる、オススメの本とかありますか」
「ちょっと待ってね」
立ち上がった社長は事務所から出ていった。
もしかしたら二階の自宅に行ったのかもしれない。
「これ。
よかったら」
少しして戻ってきた社長が、一冊の本を渡してくれる。
「ありがとうございます!」
ありがたく、それを受け取った。
これでもっとできるようになって、山背部長に無駄とか言わせないんだ。
「戻りましたー」
夕方になり、作業員さんたちが現場から帰ってくる。
「おかえりなさーい」
「今日、アイツ来たんだって?
大変だったね」
「セクハラとかされたら、おじさんたちに言いなよ?
ガツンと一発、かましてやるからさ」
口々にみんな、私を心配してくれる。
本当に優しい人たちだ。
「まあ、そんなことしたら、仕事がなくなるけどな!」
ひとりの言葉でみんな笑い出す。
が、それは次第にフェードアウトしていき、憂鬱なため息で終わった。
みんな親会社と山背部長の横暴をよく思っていないが、どうにもできないのが悩みなのだ。
「璃世ちゃん」
私も帰り支度をしていたら、渡守さんに呼び止められた。
「ごめんな、今日は嫌な思いさせて」
「え、渡守さんが謝らないでくださいよ!」
彼が電話に出てくれたから、すぐに社長と連絡が取れた。
もう、感謝しかない。
「今度アイツが来たら、現場まで呼びに来いよ」
「はぁ……?」
これってどういう意味なんだろう?
やっぱり仕事中に電話は迷惑とか?
「そしたらアイツから離れられるし、社長とも連絡つくし、一石二鳥だろ」
片頬を歪め、にやっと彼が悪戯っぽく笑う。
「お気遣い、ありがとうございます」
事務所に山背部長をひとり残していいのかはあれだが、こうやって気遣ってくれるのは嬉しい。
「次からはそうしろよ。
社長にもいっとくし」
「そうですね」
私も彼に笑い返す。
まあ、現場に向かう足がないので、実現は無理そうだけれどね。
「そういや今日、後輩と行く店、決まってるのか」
「いくつか候補は出したので、後輩に決めてもらおうかと思って」
「じゃあさ」
彼が携帯を操作し、すぐに私の携帯が通知音を立てた。
「ここ、オススメ。
友人がやっている店なんだ。
行くなら、サービスするように言っとくけど」
送られてきたリンクを開いて確認するとお洒落な肉バルが出てきた。
ここなら後輩も喜びそうだし、それに元気も出そうだ。
「え、じゃあここにします!
よろしくお願いします!」
「了解。
今、落とそうと思って頑張ってる子だから、めちゃくちゃサービスするように、って言っとく」
悪戯っぽく彼が、片目をつぶってみせる。
おかげであっという間に顔が熱を持った。
「楽しんでおいで。
帰り、あれだったら連絡して。
迎えに行くし」
「えっ、あっ、いいですよ!」
「俺が。
心配なの」
渡守さんの長い指が、私の額を突く。
「痴漢とかナンパとかに遭ったら、危ないだろ。
だから、遅くなりそうなら連絡」
「うーっ」
小突かれた額を押さえる。
私を落とそうとしている渡守さんと彼らは違うのかと思ったが、少なくとも渡守さんは私を無事に家へ送り届けたらそれ以上は期待せずに帰りそうだ。
「……わかりました」
「うん」
満足げに彼が頷く。
その笑顔に胸がぽっと温かくなった。