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貴方と私の境界線(5)

「お疲れさま、上手くいった?」

「大丈夫でした!」

 企画課の部屋に帰ってきたタイミングで、真中さんから声を掛けられた。今日は入社一年目の社員同士でディスカッションがあったので、前々から準備して臨んでいたのだ。グループリーダーに指名されたのには驚いたが、他のメンバーが協力的だったので大きなトラブル無く終えられた。次は十月に実施するらしいので、また頑張らないと。

「それなら良かったわ。早速で悪いんだけど、これ見てみてくれる?」

「……この前の新商品の追加店頭ポップですか?」

「そう。試作らしいんだけど、意見を求められてね。貴女はどう思うかなって」

「なるほど……色合いとかは可愛いと思いますけど、もうちょい文字の部分をはっきりした色にした方が分かりやすいのかなって思います」

「他は?」

「後は……『新発売』は大丈夫だと思うんですけど、その次の『夏ニキビに効く!』は変えた方が良いんじゃないのかなと。化粧品は医薬品じゃないから、効果ありますって表現は出来なかったですよね?」

「その通りよ。薬事法……いえ、今は別の名称に変わっていたわね。そちらに引っかかるし、景品表示法にも関わってくる。気づいたようで何よりだわ」

 にっこり笑った真中さんは、そう言って席を立った。気づいたようで何よりと仰っていたという事は、私が気づくかどうか試していたという事だったのだろうか。どちらも化粧品検定の勉強をする中で知った法律だったのだけれども……こんな風に抜き打ちテストをされると言うならば、今後も精進していかねば。とりあえず、まずは今日の業務を頑張ろう。

「真中さん、お疲れさまでした」

 気合いを入れ直して業務を再開し、無事定時までに本日の分を終える事が出来た。そんな訳で、取引先への返信メールを書いている真中さんへ挨拶をして会社を出る。途中のスーパーで夕飯のおかずだけ買ってから、そわそわしながらマンションへと帰った。今夜大一番があるので、験を担いでトンカツである。

「……よし」

 トンカツを食べ終え、後片付けをした後で。正座して背筋を正しながら、ローテーブルと向き合った。まずはノートに下書きして、何度も何度も確認してからスマホを手に取りメールアプリを起動する。本文を打ち込んで更に確認をした後で、間違えないように彼の電話番号を入力し……最終確認をして、深呼吸をし送信ボタンを押した。送信済みボックスに先程のメールがある事を確認してから、スマホの画面を消してテーブルの上に置く。手が震えて落ち着かなくて仕方ないので、一旦お風呂に入ってくる事にした。

「うん、良いお湯だった」

 入浴剤を入れた湯船にゆっくり浸かって、髪を洗って体を洗って。まだまだ落ち着かない心地ではあるけれど、いくらかはマシになった。こんな真夏でもそう思うのだから、余程緊張していたのだろう。

「……ん?」

 いつも通り、お風呂上がりの麦茶を飲もうとキッチンへ向かおうとしたら。テーブルの上のスマホのランプが、ピカピカと点滅していた。それはつまり……そう気づいて、温まって緩んだ体に一気に力が入り、再び心臓がどっどっと激しく駆け始める。

「うわあああああ!!!」

 恐る恐る画面をつけると、メール着信が一件と表示されていた。そして、一緒に表示されていた差出人は……菊野蒼治。先程メールを送った相手なのだから、ある意味では当たり前の差出人なのだが……まさか、こんなに早く返信が来るなんて思っていなかったので、心の準備が。

 座ったまま何度も深呼吸して、どうにか手の震えを落ち着かせる。何とか足に力を入れて、もう一度正座した。

『連絡ありがとう。直近だと、来週の日曜が空いてるよ』

 来週の日曜か。スマホのカレンダーを確認して……うん、私の方も大丈夫だ。

「返信ありがとうございます。では、日時は来週の日曜にしましょう。場所のご希望はありますか……っと」

 彼の返信に返信し、スマホをテーブルの上に置く。何となく目が離せなくてそのまま画面を眺めていると、スマホが再びメールを受信した。場所はどこでも大丈夫との事なので、私が決めても良さそうだ。

(……こっちも験を担いじゃおうかな)

 確か、彼は隣の駅の近くに住んでいると言っていた。それなら、あの場所はそんなに遠くない。

「数駅先に植物園があるんです。駅からは直通の無料バスが出ていますし、レストランもカフェもあるのでご飯にもお茶にも困りません。敷地が広くてベンチも多いし、展示されている植物の品種も様々で楽しめると思います。どうでしょう?」

 送った後で、もし菊野さんが花粉症持ちだったらどうしよう……という考えが脳裏をよぎった。いや、でも、万一そうなら別の場所を提案してくれる筈だ。気にし過ぎなくても大丈夫な筈。

『市営のやつかな? そこで大丈夫だよ』

「ありがとうございます。開園は九時ですけど、あんまり朝早いと大変でしょうし……午前十一時に現地集合で如何ですか?」

『良いよ。入場口の前で待ち合わせようか』

「そうしましょう。では、当日は宜しくお願い致します」

『うん。楽しみにしているよ』

「ありがとうございます。おやすみなさい」

『おやすみ』

 会話が一段落したので、スマホをテーブルの上に乗せる。そして、鞄の中から手帳を取り出し予定を書き込んだ。

「来週の日曜日……!」

 鼓舞するように声を張り、ぐっと拳を握り締める。着る服、持って行く鞄、靴、メイク……考える事が沢山あるし、園内施設等はもう一度確認しておかねばなるまい。誘ったのはこちらだし私は何回か行った事があるので、案内出来るに越した事は無いだろう。

『まぁ、うん……楽しかったわよ』

 ふと、懐かしい記憶が蘇る。いつになく頬を赤く染めて、照れたような表情で、あの日の一華ちゃんは私にそう報告してくれた。あの二人はもう数回デートしてから付き合い始めたから流れは少し違うけど、あの植物園が縁起の良い場所なのは確かである。

「……よし」

 日取りも場所も決まった。あとは、私が如何に準備しておけるかに掛かっている。仕事と両立しながらだから楽ではないが、踏ん張りどころだ。

 もう一度拳を握って決意を固め、手帳を閉じる。飲み損ねていた麦茶を飲もうと、キッチンへと向かった。

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