「いただきます!」
カレーが完成してご飯も炊けたという事で、夕食タイムが始まった。室内のテーブルの関係で二手に分かれたのだけども、何の運命の悪戯か右隣が菊野さんになったので嬉しいやら落ち着かないやらである。他の同席メンバーが一華ちゃんと月城君なのは救いだった。
「美味しい!」
「ほんとね。久々に牛カレー食べたけどやっぱり美味しいわ」
「一華ちゃん家は豚肉だもんね」
「へぇ、そうなんだ。有谷さんのお家は?」
「うちは……牛肉が多いですけど、豚の時も鳥の時もあります」
どきまぎしながら答えると、うちも基本牛肉だったなという答えが返ってきた。同じ牛肉でも値段が違いそうだな……なんて、そんな事をぼんやりと考える。
「ご飯は菊野さんと課長さんが炊いて下さったんでしたよね? ありがとうございます」
「大和はほとんど何もしてなかったけどね。あいつもたまに付いてくるから、一通りの事は出来る筈なんだけど」
「付いてくる……そう言えば、菊野さんはキャンプの幹事に打ってつけって話でしたよね。頻繁に来られるんですか?」
「学生時代ほどは機会が減ったけど、三か月に一回くらいで行ってるね。それこそ、学生時代は月に二、三回行く事もあったな」
「それは凄いですね」
目を丸くした一華ちゃんに同意するように、私も頷いた。私も彼と何か話したいなと思って、必死に話題を捻り出す。
「……そう言えば、菊野さん」
「何かな?」
「あの……体調は大丈夫ですか?」
律義にこちらを向いて返事をしてくれた分、更に距離が近くなったので心臓が跳ねた。緊張で口の中が乾いてきたし、頬が熱くなってきた気もする。
「もしかして、落ちたの見てた?」
「見てました。ガイドの方は大丈夫だろうっておっしゃっていたんですけど、自分から飛び込むのと落ちるのとじゃ違うでしょうから」
「確かにね。キャンプそのものは幾度となくやってるけど、川に入る事はほとんどなかったし」
「そうなんですね。それなら、普段はどんな事をされているんですか?」
「普段は……気ままに散策して、お腹が空いたら食事を作って、夜になったら空を眺めてって感じだな。その時その時でやりたい事をやってる感じ」
「……山の中での料理って中々難しい部分もあると思いますけど、どんな風になさっているんですか?」
そう尋ねた瞬間、正面から呆れたような視線を感じた。私だって、夜空とか景色の話題を振った方が雰囲気あるかなとかロマンチックかなとは思ったが、話を続けられそうにないし……下手に会話が終わってしまうよりはマシだろう。
「今回みたいに設備が整っている場所だと、割と普段通りに出来るんだけどね。そうでない場合も多いから、その辺は注意して料理してるかな」
「そうでない場合……ですか」
「うん。火を使える場所が限られている事が多いし、他の客の迷惑にならないよう音や匂いにも気をつけないといけない。パスタの茹で汁や皿洗いなんかの排水も出せないから、その辺も配慮したレシピにしないといけないし」
「え? お皿洗えないんですか?」
「基本洗えないね。下手に川に流すと川の生態系に影響して環境破壊につながりかねないし。あと、そうだな……果物の皮とかの生ごみも捨てたらアウト。万が一野生の熊とかが味を占めたら、登山客やキャンプ客を襲って食べ物を奪おうとしかねないからね」
「餌付けした事になるって訳ですね」
「そうそう。だから帰りの荷物もそこまで減らないんで、自分の体力とかそういうのも考慮しないといけないな」
ロマンチックとは程遠い、大分現実的で真面目な会話になってしまった。でも、まぁ、色々話が出来たので良しとしよう。本来ならば、こうやって話せるだけでも十二分に恵まれているんだから。
そう思った矢先、菊野さんの言葉が途切れた。うっすら頬が赤くなっていて、あの、とかええと、とかって少々口ごもっている。どうしたのかと思ってそのまま彼を眺めていると、ややあって彼が口を開いた。
「来月辺り、また行こうと思っているんだ。興味があるなら一緒に行こうよ」
直球のお誘いに、言葉が詰まった。菊野さんは、相変わらず照れたような表情でこちらを見下ろしている。ちょっと可愛いな……なんて思って意識が飛びかけたので、深呼吸して引き戻した。
(……それはまさか、二人で?)
いや、誘われた事自体は嬉しいし興味はあるけど、緊張してそれどころじゃないだろうし……でも、その辺りをわざわざ聞いても大丈夫なものなのだろうか。彼は、一体どんな意図で、そんな。
「良いですね。もし日程が合えば、私も一緒に良いですか?」
「あ……俺も、大抵土日は空いてるので大丈夫です!」
軽くパニックになっていると、救世主の声が二人分聞こえてきた。ほっとして二人の方を見ると、一華ちゃんにウインクされて月城君には頷かれる。
「勿論だよ。フレッシャーズの中にアラサーが入ってって意見もあるらしいけど、皆が気にしないでくれるなら是非」
ちらりと向こうのテーブルの課長を見た後で、菊野さんはそう快諾してくれた。お代わりしてくるねと言って席を離れたタイミングで、一華ちゃんと月城君に向かって両手を合わせる。
「ありがとう、二人とも」
「何の何の、これくらい」
「実際に行くとしても面白そうだし、そうでなくても大丈夫だし」
「ほんとにありがとう……私も、もっとスマートに切り返せるようになれたら良いんだけど」
「真衣はそのままで良いんじゃない? 中途半端に思わせぶりな事したら、かえって拗れて面倒な事になるから」
「江長さんの言う通りだね。正直者は……なんて言われる事もあるけど、素直な方が絶対良いと思う」
「そうかな……ううん、そうだよね」
「ええ。だから、真衣はそのままでいなさい。ま、もう少し自信を持っていいと思うけど」
「そうだよ。あの時みたいに堂々としてたら、もっと」
「あの時? 何かあったの?」
「あ、インターンの時の話なんだけどね。訪店した先で、幼稚園くらいの男の子が転んで泣いてた事があって……」
いつになく、月城君がいきいきと話をし始めた。私の歌の話は、一華ちゃん相手なら問題ないのでそのまま遮らないでおく。菊野さんは課長に捕まっているので、まだ戻って来られそうにないし。
「へぇ、そんな事があったの」
「うん。本当に、魔法使いみたいだったよ」
「そんな大袈裟な」
「大袈裟なもんか。あれだけ上手い生歌、聞いたの初めてだったし」
「やっぱり月城君から見てもそう思うのね……ああ菊野さん、お帰りなさい」
「ただいま。盛り上がってたけど、何の話をしていたの?」
当然の疑問だろう。そうは思うけれど、さっきとは別の意味で鼓動が早くなって冷や汗が出てきた。縋るように一華ちゃんを見ると、分かっているというような表情で頷いてくれる。
「インターンの時の話を聞いていたんです。真中さんと一緒に毎日頑張っていたって」
「……そうだったね。まだ学生の子にそこまでとは思ったけど、結果的には良かったんだろうね」
「中々名コンビでしたよ。営業課でも話題になってました」
話題が無事に変わったので、ほっと胸を撫で下ろす。結局また一華ちゃんを頼ってしまった……と思って自己嫌悪に陥りそうになるが、暗い顔をしていると心配かけてしまうので、一生懸命笑顔を心掛けていった。