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知った事実と感情の狭間で(9)

「さっき渡した資料は読んだ?」

「読みました!」

「何か疑問点はあったかしら?」

「……疑問と言いますか、こういう事なのかな?と思う事は多かったので確認したいです」

「素直で宜しい。それじゃあ順番に説明しましょう」

「ありがとうございます!」

 真中さんが一週間いないので、羽柴さんが代理リーダーとなって三日。間違いなく忙しい筈なのに、こうして丁寧に向き合って下さって感謝しかない。

「そう言えば、この前課長が真中さんのお見舞いに行ったんですって?」

「そうみたいです。普段よりも少女みたいだったとか寝巻き姿なんてレアだなとか何とか言っていて、何言ってるんだろうこの人って思いましたけど」

「有谷さん正直ね。ふわふわしてる真中さんそのものは見てみたい気はするけど」

「それはまぁ思いますけど、何でそれを課長の口から聞かないといけないのかな……とは」

「仕方ないんじゃない? あの二人も秒読みだもんねぇ……そんな状態でもう二年か三年かは経っているけど」

「そうなんですね……」

 相槌を打ちながら、あれ、と心の中で首を捻る。あの二人も……と言っているという事は、他にも似たような二人組がいるという事だろうか。

(まさかね……)

 ふと、とある可能性が脳裏をよぎりいやに心臓が逸りだした。いやいやいや、私達はそんなんじゃ……私には、そもそもそんな資格なんてないし……。

「何でそんな事も分からないですかな! 今迄何をやってきたんだ!」

 浮かんだ考えを頭の隅に追いやって羽柴さんを質問攻めにしていると、背後から怒鳴り声が聞こえてきた。この声まさか、と思って確認すると、案の定叫んでいるのは小柴さんである。

「小柴さん落ち着いて下さい。月城君はまだ入って二か月経ったくらいですよ」

「そうですよ。三か月も経ってない新人なんですから、そんな怒らなくても」

「煩い煩い煩い! そうやってお前達が庇うから甘えているんだ!」

 顔を真っ赤にして怒鳴る小柴さんと宥めるチームメンバーの二人。二人の後ろには、今にも泣きだしそうな月城君が庇われている。ふと隣を確認すると、羽柴さんが彼らに気づかれないようスマホの録音アプリを起動していた。次いで見せられた付箋に課長を呼ぶよう指示が書いてあったので、課長に電話を掛ける。付箋の指示通り二回コールした後に一旦切って、メッセージアプリの方に緊急事態だから企画課に戻ってきてほしいと説明を入れた。

「す……すみませ……」

「謝れば良いってもんじゃないんですよ! どうして分からないですかな!」

「ひぃ、あ、あの」

「この前だって大事なデータが入っていたメモリを忘れてくるし! 何度も説明した事をまた聞いてくるし! そんなやる気がないなら迷惑だから帰れ!」

「小柴さん! 言い過ぎです!」

「月城君、ここは大丈夫だから一旦部屋の外に」

「女を盾にして逃げるとは卑怯者ですなぁ!」

 汚く歪んだ顔で、小柴さんが吐き捨てるように言った。彼を抑えようとしていたチームメンバー二人を突き飛ばすようにして押しのけ、月城君の胸ぐらを掴む。

「新人とはいえここまで使えないなんて!」

 聞き捨てならない言葉が聞こえ、間髪入れずにばしんと嫌な鈍い音が響いた。がたがたと椅子が鳴る音が、どさりと崩れ落ちる音が鳴ってあちこちから悲鳴が上がる。

(いくら何でも酷すぎる!)

 体中の血が沸騰したかのように熱くなった。スマホを机の上に置いて、勢いのままに立ち上がる。ちらりと見えた画面には、直ぐに向かうという返事が来ていた。

「同じ新人の中でもとんだ外れくじだ! こんなお荷物、さっさと消えてしまえ!」

「そんな言い方あんまりです!」

 今度は蹴りを入れようとしていた小柴さんと、恐怖に塗れ呆然と彼を見上げている月城君と、尚も助けようと一生懸命な二人の間に。

 ロッカーから拝借した箒を手に、割って入った。


  ***


「邪魔だ、どけ!」

「どきません!」

「お前になんぞ関係ないだろう! あの男にでも媚売ってろ!」

「関係あります! 月城君は私の同期です!」

「何だ、あの男じゃなくてこっちが本命か! とんだ男たらしだ!」

「そういう思考から離れてくれませんか! 会社は仕事をするところですよ!」

「黙れ! 元はと言えば、お前が鈍感なせいだ! お前がしつこく粘るから、俺の計算が狂って、こんな!」

「計算?」

 何を言っているんだと思って聞き返すと、彼の目がぎょろりと光った。血走って吊り上がって、さながら般若のようである。

「どいつもこいつも、俺の邪魔ばかりしやがって! お前達さえいなければ、俺が選ばれて華々しく活躍していたってのに!」

「小柴さん、何を」

「だから鉄槌を下してやろうとしたら、いきなりいなくなったから最高だったなぁ! なのにあいつの方は何度も小狡く逃げて回避して、周りからは庇われて、ちくしょう、ちくしょう!」

 詳細は分からないが、鬱憤が溜まっていたのか小柴さんは止まらない。完全に頭に血が上っているようだから、もしかしたら……本人も何を話しているのか分からなくなっている可能性がある。

「だからお前の方を先に排除しようと思ったのに! 図太く居座るから、お前が、お前のせいで……!」

 彼の目は、明らかに私を見ていた。私を見て、お前と言って……排除、しようと、思っていた……?

 投げつけられた言葉が即座に理解出来なくて、一瞬だけ警戒を解いてしまった。目の前の彼は、それを見逃さずに飛び掛かってくる。箒で応戦しようとしたが、間一髪間に合いそうにない。

「そこまでだ」

 思わずぎゅっと目を瞑って体を強張らせた瞬間、落ち着いた低い声が聞こえてきた。次いで、ぎゃああという苦悶の声も聞こえてくる。

「菊野さん!」

「有谷さん大丈夫?」

「私は大丈夫で……月城君!」

「彼も大丈夫だ。さっきチームメンバーが介抱していた」

「そうですか……良かった」

 ほっとして、力が抜けて、ぺたんと床に座り込んでしまった。目の前では、課長と北方さんが小柴さんを取り押さえている。

「お疲れさま。頑張ったね」

「……う」

 頭に乗った手の平が、温かさが。張り詰めていた心を、ゆっくりと解いていく。

 思わずその手を掴んで握ってしまったが、菊野さんは振り払わないでいてくれた。

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