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知った事実と感情の狭間で(7)

「……ふーん。私の居ない間にそんな事があったのね」

「羽柴さんが止めて下さって助かりました。あ、これ、真中さんの分のカステラです」

「ありがとう。銘文堂の……ふーん……」

 眉間に皺は寄ったままだが、真中さんはカステラの封を開けて食べ始めた。皺が少しだけ薄くなり、口元が綻び始める。やはり、甘い物には人を癒す力があるのだろう。

「羽柴さんには私からもお礼を言っておくわ」

「ありがとうございます……今日は急遽お子さんのお迎えに行かないといけなくなったんでしたっけ」

「熱を出してしまったみたい。あのくらいの年の子って体調崩しやすいのよね」

「そうなんですね……私は滅多に熱も出さず風邪すら引かなかったらしいので、楽だったと母が言っていました」

「小さい頃から健康だったのね。良い事だと思うわよ」

 子供の体調に振り回されてヒステリックになる親もいるから。そう呟かれた言葉へ、曖昧に返事をした。断言しているという事は、実例を知っているのだろうか。

「でも、羽柴さん流石ね。お願いしていた資料は全部出来ているし、パッケージの校正も私が最終確認するだけになってる」

「時短勤務だから、私よりも働いている時間短い筈なのに……終わっている仕事は私の何十倍……」

「新人と元チームリーダーを同列に考えるものじゃないわ。今の彼女の姿が数年後の貴女になるように努力すれば良いの」

「そうですね。頑張ります!」

 拳を握って宣言する。そうだ、今はまだまだ下積みの勉強が沢山必要な時期。出来る事そのものは少しずつ増えているんだから、焦らず奢らず、こつこつ頑張っていくに限る。

「それにしても、羽柴さんはチームリーダーをされていたんですね」

「私の前任者よ。彼女が二人目の産休に入る辺りで引き継いだの」

「そうだったんですね。でも、元々自分の部下だった人が自分の上司になるって、やりづらい、とか、思ったり感じたりは……しなかったんですかね?」

「どうなのかしら。でも、私の後任は真中さんでって言うのは羽柴さん自身が仰ってくれたし、その辺りは割り切ってらっしゃったんじゃないかしら。からっとした性格されてるでしょ?」

「確かに……」

「チーム内での立ち位置とか役割っていうものを、よく理解して行動されてる方だなとは昔から思ってたの。きっと、子育てしている今は仕事に十割で向かうのが難しいから、自分が前に出るんじゃなくてフォロー役に回るのが丁度良いって思われているのかもね」

「おお……なるほど……」

 感嘆の声を漏らすと、カステラを食べ終わった真中さんがくすりと笑った。そうやって笑っていると、やっぱり可愛らしい人だなと思う。

「チームって歌みたいですね」

 引っ張るリーダーが主旋律で、リーダーを支えるメンバーがコーラス。主旋律がないと曲が成り立たないし、コーラスがしっかりしていないと弱々しい歌になりがちだ。つまりどちらも同じくらい重要で……だからこそ、どちらも最高のパフォーマンスが出来れば、最高の歌、音楽が奏でられる。一つの目標に向かって役割分担をして、力を合わせ仕事をするチームも、一緒だろう。

思った事をそのまま伝え、真中さんの表情を確認する。真中さんは、ぱちぱちと目を瞬かせていた。

「その発想は無かったわね」

「そうですか?」

「ええ。でも良いんじゃない? 持ちつ持たれつ、互いを尊重し合いながら目標に向かっていく……素敵な考えと思うわよ」

 にっこりと真中さんが笑う。私もつられて笑顔になる。いつか頼もしいコーラスとなれるように、主旋律も奏でられるように、頑張っていこうと決意した。


  ***


「今日はいつになく混んでますね」

「そうね。何かあったかしら」

「日替わりメニューがカレーだからですか?」

「学生じゃあるまいし……とは思ったけど、好きな人は好きか」

「私は好きです! 具は何でも良いですけど、やっぱり牛カレーが一番です!」

「へぇ。私はチキンカレーが好きよ」

「チキンも良いですよね」

 その後も、カレーの具について話しながら注文の列に並ぶ。私は日替わりのカレー、真中さんはアジのフライ定食をそれぞれ選んで席に着いた。

「あ、しまった」

「どうしたの?」

「カレーなのに、スプーンでなくて箸を持って来てしまって」

「飲み物持ってくるついでに取ってくるわ。先に食べてて」

「ありがとうございます」

 お礼を言って見送り、付け合わせのサラダを手に取る。何とはなしに周囲を見回しながら、もしゃもしゃと食べ進めた。

「きゃあああ!」

「おい、大丈夫か!?」

 半分ほど食べた辺りで、空気を切り裂くような悲鳴が聞こえてきた。食堂内が一気に騒がしくなったので、何があったのだろうと思って皆の視線の先を確認する。

 そこにいた人物が分かった瞬間、箸を放り出して駆け出した。

「真中さん!」

 蹲っている真中さんの横に膝を付いて名前を呼ぶ。こちらの声は聞こえているようだが、真中さんの口からは呻き声しか出てこない。

「す、すみ、ませ……」

「月城君!? どうしたの!?」

「僕、僕が、歩いてて……何かにぶつかってよろめいた瞬間、真中さんに……」

 呟く彼の視線の先を確認すると、ラーメンどんぶりとお盆があった。もう一度真中さんを確認すると、左腕の辺りがぐっしょりと濡れている。ああ、そうか、なるほど。

「冷やしましょう! どこか、水道」

「厨房の水道使って良いよ! こっちから入りな!」

「ありがとうございます! 真中さん、ゆっくりで良いので立てますか?」

「……わかった」

 空を切った彼女の右手を取り、しっかりと私の腕を掴んでもらう。せーのと合図して、二人一緒に立ち上がった。

「月城君、課長に連絡してくれる? とりあえず、真中さんが火傷して応急処置してるから厨房に来てくれって伝えてもらえば良いと思う」

「わ、わかっ、た」

「それじゃあ行きましょう、真中さん」

 いきなりこんな事になって、頭が真っ白になりかけたけれども。最優先は真中さんを無事病院まで送り届ける事だ。私がパニックになって泣いている場合ではない。

 溢れそうになる涙を、歯を食いしばって耐える。厨房の人にも手伝ってもらいながら、真中さんの左腕に水道水を掛け冷やしていった。

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