「え? あれ?」
午後の業務を再開するため、もう一度資料を確認しようとしたら。午前中に置いていた筈の資料が跡形もなく無くなっていた。
(……置いた場所を勘違いしていた?)
そう思い、自分のデスク周辺や企画課内を探してみるも。やはり資料は見つからない。
「有谷さんどうしたの?」
「午前中に使っていた資料が見当たらなくて……ここに置いた筈なんですけど」
「他の場所は探した?」
「探しました。それでも見当たらなくて」
「貴女が使っていた資料って、この前私が渡したリニューアル予定品のパッケージ案参考資料よね?」
「そうです」
「探している時間が惜しいし、もう一度印刷してくるわ。社外には持ち出してないでしょうから、ひとまずそれで良いでしょう」
「ありがとうございます。すみません」
「大丈夫よ。以後気を付けるようにね……そうだった、今うちの印刷機壊れてるんだったわね。資料室まで行ってくるわ」
「あ、メモリ渡して頂ければ私が行ってきます」
「他にも探したいものがあるから良いわよ。貴女は別の事しておいて」
「……分かりました」
その言葉に返事をし、もう一度席に座る。途中になっていたリサーチの続きをしようと思って雑誌を開いたタイミングで、今度は月城君に声を掛けられた。
「これ、前に探してた有谷さんのボールペンだよね?」
「あっ……ありがとう! どこにあったの?」
「……そこの棚の隙間に」
「そうだったんだ。何かの弾みで落として、転がってったのかな」
「そうかもね」
卒業旅行に行った際に、一華ちゃんと御揃いで買ったボールペン。気に入っていたので失くして少々落ち込んでいたのだが、見つかって良かった。
ほっとした心地のまま、雑誌を開く。メモ帳を準備し見つかったボールペンを手に、指定されたキーワードのチェックを始めた。
***
預かった鍵を手に、一人会議室へと向かう。今日は月一回の頻度で開催されている、企画課内のチーム進捗報告会が開催されるのだ。会議の準備はチーム持ち回りでやっているらしく、今月は真中さんチームの私達がやる事になった。そんな訳で、私が会議室の準備を請け負ったのである。
がちゃりとドアを開けて会議室の中に入った。机と椅子の配置を調整し、部屋の端に置かれていたプロジェクタを移動させる。インターンの時のプレゼン会を思い出しながら、プロジェクタの位置を決めた。
お次はスクリーンの準備という事で、壁際に設置してあるロールスクリーンを下ろすためスクリーンの真下にやってきた。手を伸ばしてロールスクリーンの真下にあるプルコードを掴み、ゆっくりと下ろしていく。後はプロジェクタとパソコンを繋いで映像を調整すれば完了……と思っていたのだが、下ろしたスクリーンを確認した瞬間短い悲鳴をあげてしまった。
(どうして!?)
目の前のスクリーンは、見慣れた姿から一変していた。刃物か何かで切り裂かれたらしく、あちこちに切れ目が入り前に後ろにだらりと生地が垂れ下がっている。
どうしよう、どうしたら良い? 目の前で起こった予想外の出来事に動転して、すっかりパニックになってしまった。じわりと視界が滲み出した辺りで、隣の部屋のドアが開いた音と幾人かの会話が聞こえてくる。藁にも縋る思いで会議室を飛び出すと、見慣れない方々の中に見慣れた姿を見つけ咄嗟に名前を叫んでしまった。
「菊野さん!」
「え? 有谷さ……どうしたの、何かあった?」
「あの! スクリーンが!」
「スクリーン?」
「企画課で使おうとしてた部屋のスクリーンが、切られてて!」
「……分かった。ちょっと待ってね」
菊野さんはそう言うと、一緒にいた方々に一言二言指示を出した。もしかして、財務部の方々だろうか。
「これは……」
一緒に部屋に入ってスクリーンを確認するなり、菊野さんは難しい顔でそう呟いた。険しい表情だしそんな場合ではないのだが、横顔が綺麗だなという感想が浮かぶ。
「今日は進捗報告会だから、会議室の準備をしてくれって言われて来たんです。それで、プロジェクタを出してスクリーンを下ろしたら、既にこうなっていて」
「なるほど。でも、一体いつから……」
「数日前に別の部署の方々がここで会議されていたのを見ました。確か、このスクリーンも使っていた筈です」
「そうか。それなら……いや、うん、その辺はまた改めて調べよう」
そう言った菊野さんはスマホを取り出して、どこかに電話をし始めた。大和、と聞こえたので相手は課長だろう。
「……じゃあ修理、というか買い替えに関しても俺が手配しておこう。丁度総務に用事があったから構わないさ。それじゃ」
会話が終わったらしく、菊野さんは画面をタップして通話を終了した。スマホをポケットにしまった後で、私の方を振り返る。
「ありがとうございます……取り乱してしまって済みません」
「大丈夫だよ。有谷さんこそ大丈夫? 驚いたでしょ」
「私は大丈夫です」
「なら良かった」
柔らかい視線と声が降ってきて、頭の上が温かくなる。久方ぶりのその温もりに安心して、また涙が出てきそうになってしまった。
(……ああ、やっぱり、私は)
この人を薄情だとは思えない。頼りになって、優しくて、良い人だって思う。
「大和に連絡したら、ひとまず隣の部屋を準備してくれってさ。一緒に行くよ」
「え? でも、ご迷惑では」
「このくらい何て事ないさ。準備だって、一人でやるより二人でやった方が早く終わるだろうし」
「……それじゃあ、申し訳ないですがお願い致します」
そう言って、頭を下げる。もうちょっと一緒にいられると思って、それが嬉しいと思って……やっぱり、私はこの人が好きなんだなって、身の程知らずにも自覚してしまった。