漸く今の業務が一段落したため、断りを入れてセルフカフェにやってきた。温かいミルクティーを飲みながら、ほうっと一息つく。
(……これだけヒットした事そのものは、喜ばしいのよ)
頑張った事が報われた。一生懸命準備した物が受け入れられて、想定以上に売り上げを伸ばした。つまり、それだけ顧客の需要にマッチする商品が、ブランドが作れたという事で……コストの事やロットの事、パッケージ案等々、妥協出来る点と出来ない点をしっかり明確にして、粘り強く交渉して努力してきた今までが報われたという事だ。だからこそ、このままの勢いでブランドが育ってくれれば嬉しいと、そこは素直に思う。
『この件は初期メンバーの貴女がやった方が良いでしょお? 宜しくねぇ』
『主任に気に入られて良かったわねぇ。やっぱり美人は得なんだわ』
『この前の休日に、主任や菊野君と一緒にランチをしていたらしいわよ。業務の延長だって話だったけど……やっぱり、ねぇ、そうやって取り入るのが目的だったんじゃない?』
勘に障る高い声や投げつけられた言葉を思い出してしまって、眉間に皺が寄ったのが分かった。あの主任と同じチームで仕事が出来るかもしれない、という下心が無い訳ではなかったが、同じチームで働くなら猶更、気を引き締めて全力で取り組まないといけないという覚悟をしてから私は立候補した。彼がそういう人材を希望していた事は、そういうメンバーと仕事をしたいと思っていた事は、ずっと見てきたから分かっていたし……いざそうなった場合は、それまで以上に努力して力を尽くすと決めていた。
『今日も遅くなりそう? 夕飯どうする?』
スマホがメッセージを受信したので確認したら、送り主は一緒に住んでいる妹の真奈美だった。表示されている時間を見て、残っている業務を思い出して、帰宅可能時間を考える。遅くなるだろうから軽食をお願いしたい旨を返信し、スマホの画面を消した。
「!」
残っていたミルクティーを飲み干し、もう一度時刻を確認しようとした瞬間。人の気配がしたので振り返ったら、一番会いたくない人物がいた。追い払えないだろうかと思って睨みつけたのだが、彼の方は意にも介さず堂々とカフェの中に入ってくる。
これ以上同じ空間にいたら感情が爆発してしまいそうだったので、戻ろうと思って席を立った。潰したカップをゴミ箱に捨ててカフェを出ようとしたのだが、真中と呼び止められてしまう。
「補充人員が入ったとは聞いているが、忙しさは変わらないか?」
「……むしろ悪化したわよ。一応向こうの方が先輩の筈だけど、あんなお荷物が来るとは思わなかった」
答える義理なんて無いが、少々の恨み言くらいぶつけても良いのではないか。そう思ってしまったくらいには、心身共に疲弊して余裕が無くなっていた。
「そうか。父さんは最適な人材だから大丈夫だ、なんて言っていたが」
「出来る事は仕事の押し付けと上層部への取り入りと陰口の流布くらい。リサーチも集計もパッケージデザインも校正も関係各所への連絡もまともに出来ないで、出来ないなりの努力すらしないで、どうして貴方の代わりになるのかと思ったのか疑問だわ」
「……」
一の言葉に対して三倍以上の言葉を投げつける。陰口を叩くなんて陰湿な真似はしたくなかったが、これ以上溜め込むのも限界だった。
「貴方は良かったわね。新しい部署でも受け入れられて、周りは皆協力的で。経理とも連携して他の部署とも上手くやって、早くも次世代のエースとか次期課長、いや部長にだって昇進出来るだろうなんて言われてるんだものね」
目の前の彼が順風満帆に見えて羨ましかった。実際は違うのかもしれないし見えない苦労はあるだろうが、そこまで慮れない程に私の余裕は無くなっていた。自分の実力とは、能力とは程遠いところで、どうでも良い事で足を引っ張り嫌味を言ってくる人達が、ここまで負担な存在だとは思っていなかった。もし、完全な四面楚歌だったならば、完全に心身を壊していただろう。
「時期をずらしてもらうって言っていたじゃない! 区切りがつくまでは責任を持って取り組むって言っていたじゃない! こんなの、私達への裏切りだって、少しも考えなかったの!?」
私達以外誰も居ないのを良い事に、押し込めていた感情が堰を切って溢れ出した。しかし、目の前の端正な顔は一ミリも曇らず変わらないまま。
「どうしても、どうしても今すぐに行きたいって言うなら、貴方が責任を持って後継を見つけてくれていれば良かった! 社長よりも、現場にいた貴方の方が選定の適任だったでしょう!? どうして、そこまでも言いなりになったのよ! 貴方息子なんだから、あの社長に逆らえるのなんて貴方くらいでしょうから、少しくらい親に逆らってみたらどうなの!?」
私は、私と真奈美は、そうやって自由を手に入れた。何でも唯々諾々と親に従う事が最良だなんて、有り得ない。本当に譲れないと言うのならば、本気ならば、もっとやれる事があっただろう!
「……すまない」
平時と何ら変わらない表情で、淡々と彼の口から言葉が零れた。つまり、その程度だったのか。主任と、北方さんと、私と、今まで頑張ってきた事は、彼の中では取るに足らない事だったのか!
「もっと何か言ったらどうなの! 反論する余地もないの!?」
「……」
「取り繕う事すら出来ない程、貴方は私達やブランドに思い入れも執着もなかったって事なのね! 今まで一緒に頑張ってきたのに、あんまりだわ!」
言わないならば、伝えないならば、例え実際には違ったとしても、その思いや感情は無いものなのだ。だって、知らなければ分からないし理解も納得も出来る筈がない。誤解されたくないという言い訳すらしないというならば、これは間違いなく裏切りなのだ。
「もう金輪際、私達の目の前に現れないで!」
訣別の言葉を投げつけて、足早にその場を去った。この年になって、こんな子供じみた真似をする羽目になるなんて。どこか冷えた頭の隅で、そんな事を思っていた。