目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
待ちに待った始まりの時(8)

 十三時四十五分、隣の駅の改札を出る。言われた通り南口の方で待っていると、真中さんが現れた。

「お疲れさまです」

「お疲れ様……わざわざ来てもらって御免なさいね」

「いえ、お願いしたのはこちらですから」

「そう? それなら良かった。付いてきて」

 真中さんはそう言った後で、くるりと後ろを向いた。着ているスカートがひらりと揺れたので、つい目で追ってしまう。仕事の時の真中さんはタイトスカートかパンツが多いので、パステルカラーのブラウスにフレアスカートという今の格好は大分新鮮だ。

「着いたわ。ここよ」

 駅から五分ほど歩いたところで、真中さんはそう言って立ち止まった。目の前にあるのは、レトロ感のある見た目をしたガラス扉の建物である。

「何のお店ですか?」

「カフェよ。ここのコーヒーと料理は絶品で……ボックス席もあるから、色々話すのに良いかと思って」

「なるほど」

 私の質問に答えながら、真中さんは扉を開けた。どうやら前もって予約をしてくれていたようで、私達の名前を聞いた店員さんが席に案内してくれる。

「飲み物何が良い?」

「ええと……アイスカフェオレをお願いします」

「ケーキはどれが良い? パフェでも良いし、昼食がまだならフードでも良いわよ」

 そう言って差し出されたメニューには、色とりどりのケーキやパフェが載っていた。正直心は凄く引かれるが、先程昼食を済ませたばかりなのでそんなに多くは入らない。なので、小さなチョコケーキだけリクエストした。

「以前にも来られた事があるんですか?」

「ええ。ここのエスプレッソとケーキのセットが美味しいって評判でね。正直苦い物はそこまで得意じゃないから大丈夫かと思ったんだけど、マスターに言われた通りに砂糖を入れて飲んだら美味しくて……ケーキもしっとり味が馴染んでて、クリームの甘さも程よくて、以来定期的に来ているの」

 いつになく饒舌な真中さんを、眩しい思いで眺めつつ話を聞いていた。課長と話している時と同じように、目を輝かせて語ってくれる。コーヒーかケーキか、或いは両方が好きなのだろう。

 話が一段落した所で注文していたものがやってきたので、まずは味わう事になった。グラスにストローをさし、アイスカフェオレを一口飲む。

「……美味しい」

「でしょう? アイスでもコーヒーの香りがはっきり分かるし、コーヒーとミルクのバランスが良いから砂糖を入れなくても甘くて美味しいし」

 嬉しそうに同意してくれる真中さん本人は、エスプレッソを飲んでいる。量の割に結構大量に砂糖を入れるんだな……と思ったが、これがベストな量らしい。アイスカフェオレを飲み終わったら挑戦してみようか。

 お次はチョコケーキという事で、フォークで一口サイズに切り分けてから頂いた。しっとりとした口当たりで食べやすいし、濃厚なチョコの香りが口いっぱいに広がって鼻の奥まで抜けていく感じが心地いい。

「ケーキも美味しいです」

「そのチョコケーキはコーヒーと一緒に食べるのに最適な味を目指して、材料となるチョコレートから拘って作られているらしいわよ」

「そうなんですね」

 仕事中にスキンケア用品の質問をした時並みに、流暢でボリュームのある回答が返ってくる。聞けば、真中さんはこうしたカフェを巡るのが趣味で、休みの度に馴染みの店にいったり開拓したりしているらしい。

「……さて、そろそろ本題に入りましょうか」

 カフェオレもケーキも半分くらい食べ終えた辺りで、真中さんが静かに切り出した。はいと返事をして、口の中に残っていたケーキを飲み込み、アイスカフェオレですっきりさせる。

「私と菊野くんが同期だって話はしていたわよね?」

「はい。お二人が同い年だという話も伺っています」

「そう……うん。大学は違ったから、私達が初めて顔を合わせたのは入社式の時だったのよね。他の同期の女の子達がざわついてて……まぁ確かに、話題になりそうな綺麗な見た目をしているわねって思ったけど」

「真中さんも、菊野さんは綺麗で格好良いって思われてるんですね」

「恰好良いは言ってないわ。でも、下手な俳優より容姿が整っているからモテそうだなってのは思った。だから……正直あんまり関わりたくないと思ったんだけど、何の因果か同じ部署に配属されて、前途多難だなぁって思ったのを覚えているわ」

 溜め息をついた真中さんに苦笑しつつ、アイスカフェオレを一口飲む。やはり彼は、私の贔屓目とかではなく、人目を惹くイケメンなのだ。

「でも、一緒に仕事をしていくうちに印象は変わっていった。女の子達の誘いには一切応じないで淡々と仕事をしていたし、結果も出していたし。菊野君が会議で出す案や他の人への質疑応答でのやり取りも、見ていて感心した。そんな彼を見て、私も負けていられない、私も頑張らなきゃって思って張り切ったものよ」

 関わりたくない相手から好敵手に変わったらしい。一瞬、ほんの一瞬だけ胸元の辺りがもやっとしたけれど、気にしている場合ではないので続きを促す。

「そうして二年が経った頃だったかしら。課長……当時は主任だったのだけど、課長の企画が通って新ブランドを確立する事が決まったの。それで、チームメンバーを決める事になったんだけど、それまでとは違って立候補した人達の中から自分が選ぶとおっしゃった」

「通常はどんな風に決めていたんですか?」

「特に立候補をする必要とかはなくて、チームリーダーとその時の課長が課内の人員を見て候補を決め打診していくって感じね。でも、我こそはというやる気のある希望者から選びたいって事で、立候補した中から決める事にしたみたい」

 若くて見た目はイケメンで実力がある彼と同じチームで働く……というのは、諸々に目を瞑れば色々な意味でメリットがあるだろう。実際、当時企画課にいた半数の人が立候補したらしい。その中には、真中さんは勿論菊野さんや北方さん、小柴さんもいたそうだ。

「選ばれたのは、菊野君と私と北方さんの三人だった。立候補者は女性の方が多かった中で決まったのが私だけだったから、面白くないと思ったらしい人達が一時期煩かったけれど……まぁ、そこは他の方々の協力もあって、何とか実力でねじ伏せたわ」

「真中さんイケメンですね」

「ありがとう。結局、ミーハーな人達が大半だったって事でしょう。そりゃあ、あの課長が選ばない筈よね」

「確かに」

 課長は工程とか努力を無視する程非情ではないが、結果が伴っていない努力を惰性で続けるなとインターン中から少々語気を強めて言っていた人である。言い分そのものは至極真っ当なので良いのだが、もうちょっと、こう、圧を抑えてもらえないだろうかとは思わなくもない。

「具体的な処方やパッケージ案、コスト、販促物、ロット……製品の発売前にやるべき事も一杯だけど、販売を開始した後にもやる事は沢山ある。どんな商品もそうだと思うけれど、販売開始はあくまでも一段落ついただけで、そこで終わりじゃない」

 やるべき事が変わるという事だろう。副作用の報告をチェックするとか、口コミを見て意見や要望を集め改良を続けていく事が必要になってくる。

「有難い事に、想定以上の人気商品になったから色んな店舗から勉強会の依頼や再入荷の問い合わせが来たし、工場や原料を扱う会社からも問い合わせが殺到したしで、あの頃は正に身を粉にして働いていたわ。帰宅が夜九時を超えるなんて当たり前、休みの日もチームメンバーが順番に休日出勤して対応している状況だった」

 聞いているだけで途方に暮れてくる。それなら正に、当時の四人は全員疲労困憊だっただろう。

「それでも四人で頑張っていた最中、臨時の人事異動が発生したの。財務部の人手が足りなくなったから社長権限で菊野蒼治を異動させるって。聞いた当初はふざけているのかと思ったんだけど、それは課長や他の企画課のメンバーも同じだったみたい。流石に、今の状況で抜けるのは無責任だし、状況が落ち着くまでは待ってほしいと頼むつもりだって……本人も言っていたのよ。だけど……」

 真中さんの目が少しだけ潤んで、淀みなく流れていた声が詰まって途切れ途切れになっていった。それだけ、大変だったという事なのだろう。

「数日後に異動が確定したわ。言ったけれどまともに取り合ってもらえなかった、自分の責任で補充人員を選定して入れるから大丈夫だ、だから文句を言っていないで異動しろと言われて、それ以上は逆らえなかったって言って……社長に言われるがまま! 父親の言いなりになって!」

「……父親?」

 いきなり脈絡のない言葉が聞こえてきたので、申し訳ないが問い返してしまった。真中さんは、ぱちぱちと目を瞬かせている。

「あら? 知らなかった?」

「何をでしょうか」

「菊野君は、現社長の一人息子なのよ。課長は、菊野君の従兄」

「……えっ!?」

 明かされた事実に、目を丸くする。正直、彼らが親族である可能性は十分あると思っていたが、そこまで近しい関係だったとは。

(……つまり、私と彼は一般社員と部長である以上に)

住んでいる世界が違う人だったのだと、遠い世界の人だったのだと。改めて、そう突きつけられてしまった。正直言えば、役職だけなら……今から頑張れば、もしかしたらいつか並べるかもしれないなんて思った事もあったけれども。それだけでは……そもそも、根本的に、私と彼は、生まれ育った世界が違ったのだ。

 そう思った瞬間、言いようのない感情が私を襲った。悲しいとも、苦しいとも、寂しいとも言えるような言えないような、複雑な思い。

 視界が滲んで、目の前のケーキとグラスがぼやけていく。涙が一筋、頬を伝っていったのが分かった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?