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待ちに待った始まりの時(7)

『今でこそ財務部で部長をやってますけども、元々は企画課の所属だったのです』

『辞令が下りたからと言って、いきなり財務部に異動してしまいました。正直、薄情だなと思いましたよ』

『薄情な事ですし……無責任じゃあないですかな』

 先日聞いた言葉が、ぐるぐると脳内を駆け巡る。嫌味な笑顔も思い出してしまって眉を寄せてしまったからか、通りすがりの北方さんが疲れたならこれでもお食べと言って飴を手渡してくれた。ありがとうございますと言って受け取り、早速食べ始める……オレンジ味か、美味しい。

(……真中さんが菊野さんに辛辣だったのって)

 つまり、そういう事なのだろうか。小柴さんの言葉を鵜呑みにしたくはないが、確認すれば分かる事なのだから、わざわざ嘘を教える必要はない筈だ。だからきっと、菊野さんが企画課にいた事や突然の異動で居なくなった事そのものは事実なのだろう。

「有谷さん」

「はいっ!?」

 思考が引きずられていたせいで、真中さんの呼びかけに過剰に反応してしまった。ばくばく音を立てる胸元を抑えつつ、どうしたのかと尋ねる。

「さっき貰った、新商品企画原案の事なんだけど」

「はい」

「確かに、最近は紫外線の影響に関しての認知度も上がっているし、目に見えて暑い日が続いているからアフターケア用品の需要は多いと思うわ。けれど、日焼け後のケア用品って事は肌トラブルを解決するための商品であるって事だから、どちらかと言うと北方さんのチームの管轄になるのよね。うちのチームの案として出すなら、もうちょっと別のアプローチが必要よ」

「それなら……通常のアフターケア品って清涼感を求めて刺激になり得るメンソールだとかハッカエキスだとかが入っている場合も多いので、そういうのを入れずに敏感肌の方も使えますって感じにするとか……は、どうですか?」

「それだと、私達のとこの既存化粧水で対応可能ね。インフルエンサーとか専門の美容家とかならまだしも、一般的な顧客の場合、特定用途の商品って使い切れなくて困るから汎用性が高い物の方が良いって考える人も多いわ。そうなると、わざわざ新しい商品を作らなくても既存の商品を別方向からプッシュする方向で行きましょうってなって、新商品としては通らない可能性が高い」

「……」

 ぐうの音も出ないとはこの事か。私だって、洋服を買う時には着回せるかとか普段使い出来るかとかを考えるから、その気持ちは分かるが……何か……そうだ。

「それなら、スプレータイプにするのはどうですか?」

「スプレータイプ……ミスト化粧水にするって事?」

「はい。現状キクノの商品でミスト化粧品って少ないですし……日焼けするのは何も顔だけではありません。むしろ腕とか足とかうなじの辺りとか、広範囲だったり手が届きにくい場所だったりする事も多いですから。それなら、通常時のケアにも使ってもらえると思います。背中とか」

 私の話を最後まで聞いた真中さんは、顎に手を当てて考え込むような体勢になった。少しだけ間が空いた後で、それならという言葉が続く。

「検討の余地はありそうね。でも、流石に今からだと今年の夏の販売には間に合わないだろうから、来年の初夏辺りを目標に詰めていきましょう」

「ありがとうございます!」

「原案はあるに越した事ないから、これからも思いついたら今回みたいに出して頂戴。実現性とか市場調査とか他社品とのあれこれを調べるにも、アイディアがないと話が出来ないから」

「分かりました!」

 口元が緩みそうになるのを抑えながら、返事をする。まだスタートラインに立つための準備の方向性を決めたくらいの状況ではあるが、自分の考えを認めてもらえたのは素直に嬉しい。

「……そう言えばね」

「はい?」

「さっき、何か難しい顔してなかった?」

「難しい顔」

「ええ。北方さんが飴渡してるのも見えたし」

「ああ……」

 さっきとは別の意味で何も言えず押し黙る。真中さんも当事者のようなものなので、どう言ったものか。

「……先程の原案を考える為に、本屋とかネットニュースとかを色々調べていたので目が疲れて」

「一時間に一回は休憩しなさいって言っていたでしょ? これに関しては、仕事の時に限らず何時でも気にしないとだめよ」

「分かりました……」

 眉間に皺を寄せた真中さんへ、そう告げる。ちょっと広報課へ行ってくるわねと言われたので、その背中を見送った。


  ***


(……いつまでも気にしてるくらいならば、聞いた方が早いとは思うんだけど)

 恥ずかしながら、私はそんな思い切りの良い性格ではない。もし、もしも、下手を打って今の良い状況をぶち壊すような事になったら、後悔してもし切れないだろう。

しかし、こうやって悶々と難しい顔で仕事をしているのもまた、心配を掛けてしまって良くない傾向である。北方さんに貰った飴も五個に増えてしまった……正に万事休すだ。

「有谷さん、良い?」

「真中さん? どうしました?」

「資料室に資料探しに行きたいのだけど、骨が折れそうだから一緒に来てほしいのよ」

「分かりました!」

 思考を打ち切るように、声を張って返事する。作業中だったパソコンのデータを保存してから、先を行く真中さんの背中を追った。

「どんな資料ですか?」

「今進めてる企画品の容器に関する資料。一部顧客から使いづらいっていう意見があったから、今度のリニューアルでどう変更するか考える際の参考にしようと思ってね」

「なるほど」

 頷きつつ、件の商品を思い出す。確かに、以前口コミをチェックした際も容器の蓋に関しての意見や要望が集まっていた。個人的には、今のワンキャップの方が手軽だから好きなのだが、粘度の関係で固まり易くキャップを閉めづらいという意見が出ているらしい。最初は処方変更で解決出来ないかと検討していたそうなのだが、難しそうなので容器の方に白羽の矢が立ったのだろう。

 資料室に入って、真中さんの指示通りに棚を探し資料を集めていく。指定された場所をコピーして、原本を棚に戻してまた別の資料を出してコピーして……資料探し自体は、一時間程で完了した。

「ありがとう。助かったわ」

「お役に立てたなら良かったです」

「それじゃあ、戻って資料を基にまた検討して……と言いたいのだけど、その前に」

 ふいに、真中さんの目が資料から私へと向いた。身構えながら言葉の続きを待っていると、真中さんの口が再び開く。

「何か気になっている事がある?」

「……どういう事ですか?」

「最近、何かを気にしている素振りをしているから」

「気に、して……」

 心当たりしかないので、背中に冷や汗が伝っていく。沈黙を肯定と取ったらしい真中さんは、私に答えられる事なら答えるわよとも言ってくれた。ここまで言って貰ったのに隠したままでいるのはフェアじゃないし……ここで強情に押し切れる程の度胸も無いのだ。

「……この前、セルフカフェに行った時に小柴さんと話したんですけど」

「小柴さんと?」

「はい。そこで……気になる話を聞いてしまって」

 彼の名前を出すと、真中さんの眉が寄った。何を言われたのと聞かれたので、菊野さんがかつて企画課にいた事、いきなりの人事異動でチームから去って行った事などをかいつまんで話す。

「……なるほどね」

「済みません……込み入った話のようだったので、聞くに聞けずで」

「それはそうね。正直、今でも思い出すと複雑な腹立たしさで一杯になるし」

 資料を抱えたまま、真中さんが溜め息をついた。怒っているようなピリついた雰囲気ではないが、重苦しそうな表情ではある。

「インターンの時は、機密情報に成り得るかもしれないって思って黙っていたのよね。でも、もう貴方は正式な社員だし……知っておいた方が良い話でしょうから、その辺りも教えましょう」

「ありがとうございます」

「でも、仕事中に話すような内容でも、気軽に話せるような簡単な話でもないから……申し訳ないけれど、次の休みの日にでも会えないかしら?」

「わかりました。それなら、土曜の午後が空いてます」

「じゃあ、その日に待ち合わせしましょう。隣の駅まで出てきてもらっても良い?」

「大丈夫です!」

「ありがとう。具体的な待ち合わせ場所とかは追って連絡するわ」

「はい!」

 返事をして、真中さんの顔を見つめ返す。それじゃあ戻りましょう、と言って歩き始めた彼女の背中を再び追いかけた。


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