「まぁ確かに、真中ちゃんの言い分も一理あるはあるんだよねぇ」
差し入れのクッキーをサクサクと食べながら、輪の中にいる北方さんがぽつりとそう呟いた。当の真中さんは、差し入れ主の菊野さんとまた言い争いを繰り広げている。
「私達はインターンの時から有谷さんを見ているから、業務への姿勢とか普段の態度とかを知っている分さもありなんって思うけれど」
「その辺を知らない人とか……菊野部長に好意を持っている人とかだと、何であの子はあんなに気に入られているの? って不満に思っている可能性はあるわよね」
「……そうですよね」
クッキーが入っていた個包装の袋を畳んで結びながら、羽柴さん達へ重苦しい気持ちで答える。同じ部署の課長と話していた慰労会でだって視線が痛かったのだ。いわんや別部署の若手イケメン部長様なら猶更という話である。
「気に掛けて頂いてるのは有難いと思いますし、嬉しいとも思うのですけれど。私はまだ入って一、二か月の新人で、何か実績を出したとか貢献したとか、そういう訳では無いので……気後れする部分は、正直あります」
「そうだよねぇ。それは無理もない」
「課長も菊野氏も、その辺の他者の視線とか機微には疎いからなぁ。良く言えば人目を気にしないで自分の思う通り進んでいける強さを持っている、悪く言えば周りが見えてなくて独りよがりになりやすい」
「ああ、確かにそんな感じね」
「一時期の真中ちゃんも、その辺で苦労してたもんね。だからこそ、インターンの時から有谷ちゃんを心配してたんだろうけれど」
「……」
「困ったら、真中ちゃんでも俺らでも良いから何時でも言うんだよ。ここにいる企画課の皆は、有谷ちゃんの味方だから」
「……ありがとうございます」
心からのお礼を言って、頭を下げる。もう一枚お食べと言って北方さんがクッキーを渡して下さったので、受け取って包装を開けた。
「真中姉さんもお食べなさいね」
「北方さん。何ですか、その呼称は」
「そのままの意味だよ。最近は最早お母さんかなって思う事すらあるけど」
「……過度と言うか、気にし過ぎている自覚はありますよ。お節介が過ぎるんだろうなというのも」
「いやいや、そういう人がいるからこそ安心出来るってのはあると思うよ。ねぇ?」
北方さんに同意を求められたので、ぶんぶんと首を縦に振った。直属の上司だから業務面でも多大な迷惑と心配を掛けているのに、別の事でも気を揉ませてしまって申し訳ないとは思うけれども……その気遣いは、素直に嬉しいし心強い。
「貴女が嫌じゃないなら良いのだけど。それじゃあ、ぼちぼち業務を再開しましょう」
「はい!」
もう一つの袋も畳んで結んで、先程の物と一緒にダストボックスへと入れる。またねと言って手を振って下さった菊野さんへ会釈してから、再びパソコンの前に戻った。
***
作業が一段落したので、真中さんの許可を得てセルフカフェにやってきた。頭を使ったから糖分が欲しいなと思い、淹れた紅茶にミルクとスティックシュガーを入れる。貸し切り状態のカフェの中で、息を吹きかけ冷ましながら飲んでいると来訪者が現れた。
「小柴さんも休憩ですか?」
「有谷氏ですか。ええ、ええ、そうですよ」
そう答えた小柴さんは、コーヒーを淹れてこちらへとやってきた。カップの中が真っ黒なので、彼はブラック派らしい。
「いえ、普段はミルクを入れるのですがね。今日は差し入れがあったものですから」
「ああ……小柴さんもクッキー食べられたんですね。私はそれでも糖分が欲しくなって、砂糖入りのミルクティーにしました」
「好みは人それぞれでしょうからな。構わないのではありませんか」
「そうですね。ありがとうございます」
お礼を言って、残っていたミルクティーを飲み干した。カップを畳んで、お先に失礼しますと挨拶し、彼の横を通り過ぎる……いや、通り過ぎようとした。しかし、有谷氏と呼び止められたので、足を止めて振り返る。
「確か、有谷氏は夏のインターンにも参加していたそうですな」
「そうです。恥ずかしながら、通常選考では落ちてしまいましたのでラストチャンスと思いまして」
「なるほど。となると、夏場はかなり張り切られたのでは?」
「そうですね……勿論インターンの本来の目的は学ぶためですから、そこははき違えないように気を付けておりましたが、いつも以上に気合が入っていたとは思います」
「ほうほう。そんな真面目で意欲的な態度だったからこそ、菊野氏は有谷氏を気に入られたのかもしれませんね。初対面の、しかもあの菊野氏をそこまで認めさせるなんて中々の事です」
「……ありがとうございます」
本当は、それよりも前に逢っているのだけれども。でも、わざわざ小柴さんに言う必要はないかと思って、とりあえず話を合わせておく事にした。
「とは言え、貴女ばかりが理由ではないと私は思いますがね」
「どういう事ですか?」
「誰だって、自分が元居た場所は気になるものでしょうからな」
「……え?」
予想外の言葉が聞こえて来て、素っ頓狂な声を上げてしまった。自分が元居た場所……つまり、菊野さんが元々居た場所……それが、企画課だと?
「おや、存じませんで? 真中氏は教えてくれなかったのですかな?」
「……インターンで話す話でもないでしょうし、入社してからはそれどころではなかったですから」
「ふむ。しかし、貴女は菊野氏に構われて困惑していたのですから、理由に成り得そうな事実は伝えていても良かったと思うのですがね。可哀想に」
そんな事言われても。あんなに険悪な二人を見て、それでも聞けるような肝の太さなんて私には無い。
「そうなんですよ。菊野蒼治氏、今でこそ財務部で部長をやってますけども、元々は企画課の所属だったのです」
「そうでしたか……」
「ええ、ええ。課長と菊野氏と北方氏と真中氏の四人で一緒に主流ブランドを立ち上げ奮闘して……漸く軌道に乗ったという所で、辞令が下りたからと言っていきなり財務部に異動してしまいました。正直、薄情だなと思いましたよ」
「……でも、会社からの辞令なんて、早々断れるものではないと思いますが」
「いえいえ、彼らがブランドを立ち上げて奮闘している様は社内でも話題になっていました。猶予をくれと言えば、通った可能性はありますよ。それすらせず居なくなるなんて、薄情な事ですし……無責任じゃあないですかな」
「……」
上手く二の句が継げなくて押し黙る。小柴さんは、カップの中のコーヒーを飲み干して立ち上がった。
「残された三人は実に大変そうでした。毎日毎日退社は夜の九時過ぎ、休日も何某かの作業や連絡に追われて。勿論周りも出来る限りフォローしていましたが、自身の業務もあります。全てが一段落したのは、菊野氏がいなくなってから丁度一年後くらいでしたねぇ」
「……そうなんですね」
小柴さんの口の端が、にいっと吊り上がった。どうして、こんな話をしながらそんな風に笑っていられるのだろう。
「まぁ、もう過去の話ではありますな。今はもうそれぞれリーダーとして各種ブランドを引っ張っていますし、かつてのリーダーは課長になった。課長が真中氏に構うのは、一緒に頑張っていた同チームの同期がいきなりいなくなって独りぼっちになってしまった、真中氏への気遣いもあったのやもしれませんな」
今の話が本当ならば、確かにそういう感情もあったのかもしれない。しかし、きっとそれだけではないだろう。去年以前ならいざ知らず、少なくともインターン時と入社してからは、私の方が彼よりも課長と真中さんを間近で見てきた。
「それでは私は失礼しますよ。貴女も、あまり長居すると真中氏が心配するでしょうから程々に切り上げなさいな」
言うだけ言って、小柴さんはカフェから出ていった。カフェに長居して心配を掛けてしまった事に関しては前科があるので、勿論早めに戻るつもりではあるが。
一回、二回、三回。意識して深く息を吸い、ゆっくりと吐き出していく。何とか腹の内で渦巻く感情を落ち着けてから、企画課へと戻った。