「明日いるのは筆記具と財布とスマホと……あ、今日貰ったスケジュール表もだな。それなら、書類を纏めるファイルもあった方が良いかな。インターンの時の資料も、あって良いかも」
声に出して確認しながら、明日の準備をする。机の上に持ち物を並べ指差し確認をした後で、順に鞄の中に入れていった。
「そうだ、お風呂」
続いて明日着る予定の洋服を準備していたら、お風呂をまだ沸かしていなかった事を思い出した。沸くまでに十五分は掛かるので、明日の準備を始める前にスイッチを入れておけば直ぐに入れたのに。
次からは気を付けようと思いつつ、浴槽の中を洗い、蓋をしてスイッチを入れる。ほっと一息ついたのも束の間、今度は取り込んだままの洗濯物の山が目に入ってきた。慌てて畳み始めるが、途中でお風呂が沸いたと知らせる音楽が流れ始めてしまう。
(……母さんはてきぱきこなしていたのに)
毎食家族分作って、四人分の洗濯物を毎日洗って畳んで、部屋の掃除やお風呂の準備や買い物もやって。毎日難なくこなしていたし手伝いはしていたから、一人暮らしを始めても同じようにやっていけると思っていたのだけれども。単なる手伝いと全部自分でやるのとで、ここまで違うとは。
「母さんは凄かったんだな……」
家事そのもののスキルも段取りの良さも桁違いだ。ゴールデンウィークは帰る予定だから、もっとしっかり手伝って色々教わろう。
とは言え、新婚の頃は焦げた料理が食卓に出てきた事もあった、と以前父さんは言っていた。だから、今は凄い母さんだって最初はそうでもなかったんだと思う。それに、父さんは父さんで、一時期単身赴任をしていたから頻度が多い家事は難なく出来るようになったと言っていた。つまり、二人とも努力をしたから出来るようになった訳で……ならば、私も今から頑張れば出来るようになる筈だ。
そう決意を固める事で、胸を過った寂しさを誤魔化した。
***
「それでは、新人研修を始めます」
入社式翌日の今日から、早速研修が始まった。研修初日である今日は、化粧品業界そのものについてや会社の理念、歴史と言った全体的な内容を教えてくれるらしい。
「まず、化粧品と一口で言っても種類は様々です。大きく分けると六つのジャンルに分かれていて、それぞれスキンケア化粧品、メイクアップ化粧品、ヘアケア化粧品、ボディケア化粧品、フレグランス化粧品、トイレタリー用品と呼ばれています」
本格的に就活を始めた際に業界研究を行ったが、まず驚いたのはそこだった。化粧品と言われて思い浮かぶのは、やはり洗顔料や化粧水、美容液、クリーム、メイク用品が中心だ。そして、シャンプーやヘアオイル、ボディソープや香水も想像自体は出来る。しかし、日用品である歯磨き粉や入浴剤、果ては紙おむつもトイレタリー用品に入るので、大枠で言えば化粧品の大カテゴリーに入っているそうなのだ。正直な話いまいちピンと来ないが、人体を清潔・健康に保つために使う物が化粧品であるとの事なので、それならば確かにそうだと言えるのだろう。
「そのうち、我が社が開発や研究、販売を行っている中心ジャンルはスキンケア化粧品です。良い物を手頃な価格で、をモットーに肌悩み別にブランドを立ち上げ、それぞれの悩みを解決できるような処方を考え製品化し市場に届けています」
その辺りの話は、インターンの時に聞いた。肌悩みと言ってもまた多種多様あるが、大別すれば肌荒れ、乾燥肌、毛穴の詰まりや開き、しみ、しわ等が挙げられる。なので、キクノでは肌荒れケア、乾燥肌ケア、毛穴ケア、美白ケアをそれぞれメインにしたブランドが立ち上げられており、各種製品が企画・開発されて販売されているのだとか。そして、ゆくゆくはエイジングケアをメインとしたブランドも作りたいと真中さんが言っていた。
「また、化粧品は流通経路でも分類する事が可能です。大まかに分けると、メーカーが直接販売店と契約して商品を卸す或いは直営店等にて販売をする制度品、問屋や代理店を介して販売する一般品、直接顧客の元へ訪問し販売する訪問販売、実店舗ではなくインターネット上に販売用のショップを作って販売する通信販売があります」
次いで、制度品メーカーの例としていくつかの化粧品会社の名前が挙げられた。全く化粧品に興味ない人でも知っていそうなビッグネームばかりである。
「我が社の商品は、全て一般品となります。ですので、製造工場にて作られた製品は取引先の問屋へ向けて出荷され、問屋から各店へと納品されていきます。取り扱って頂いている販売店様の形態としましては、ドラッグストアやバラエティショップが中心です。顧客ニーズやこの数年のインターネット市場の動向を踏まえ、近年中には公式通販ショップを立ち上げる事も検討しております」
それも真中さんが言っていた。店まで遠いとか出勤時間の関係とかで店舗まで商品を買いに行くのが難しいという人も多々おり、そういう方々にも勿論肌悩みというものは存在する事が多い。なので、通販という形でニーズに答える事が出来れば、新規顧客を得られて更なる売上が見込めるという事なのだそうだ。
その後は、キクノの各ブランドのコンセプトや現在販売している製品、過去に販売していた製品等々の詳細の説明が始まった。私にとっては復習なので、持ってきておいたインターン時の資料も合わせて見返しながら聞いていく。
「それでは昼休憩に入ります。昼食の弁当とお茶を配りますので、部屋前方へ集まって一列に並んで下さい」
午前中の研修は、そんな言葉で締めくくられて終了した。張っていた空気が緩み、各所から話し声が聞こえてくる。机の上の物を片付け、弁当を貰うべく列に並んだ。
(……あれ、まさか)
長い列の先、お弁当とお茶を運んできて下さった先輩社員の方々の中に見た事のある顔があった。立場の差はあれども、それでも、また会えたら……話せたら嬉しいなと思っていた人の顔。列が進んでいく毎に、どきどきと心臓が鳴っていく。残念ながらお茶もお弁当も手渡して下さったのは別の方だったけれども、一瞬だけ、彼の顔がこちらに向いて、柔らかく綻んだ。
それだけでも、十分ではあったのだが。
「インターンぶりだね、有谷さん」
「……お久しぶりです」
受け取ったお弁当を持って席に戻ろうとしたら、お茶が入っていた段ボールを片付けていた菊野さんに話しかけられた。きっちりと綺麗に畳まれた段ボールが、丁寧に纏められていく。菊野さんは几帳面な性格らしい。
「また会えて嬉しいよ」
「こちらこそ。覚えて頂いていたみたいで、ありがとうございます」
こんな、一インターン生を。一新入社員を。彼は覚えていてくれた。それだけでも、じわりと嬉しい気持ちがこみ上げてくる。
「勿論だよ。インターン時の印象も良かったし、働きぶりも高評価だったし……漸く再会出来て嬉しかったから」
「菊野さん?」
私が思っていたよりも、私のインターン時の印象は良かったらしい。頑張ったのを褒められたのが嬉しくて浮かれていたら、最後の方の言葉を聞き逃してしまった。聞き返してみるが、大丈夫だよと言って誤魔化されてしまう。
「改めて、入社おめでとう。部署は違うけど、応援しているよ」
「ありがとうございます!」
お礼を言って、お辞儀する。また会えた事も、話せた事も、応援してもらえた事も……全部全部が、嬉しかった。