「もうそろそろ着くから準備してね」
真中さんから指示があったので、持っていた販促物を持ち直す。然程経たずに車は駐車場に入っていき、店舗の入り口から一番遠い場所に止められた。
「前と同じ系列のドラッグストアですけど、ちょっと雰囲気が違いますね」
「ここは住宅街の真ん中だからね。どちらかと言うと、顧客もファミリー層が多いわ」
「なるほど」
最初に行ったお店はオフィス街の端にあったから、見掛けたお客さんもスーツを着たサラリーマンやOLが多かった。地域が違えば顧客層も変化する、という事だろう。
真中さんが先頭に立ち、私、月城君と続いて店舗の中へと入る。前回と同じように店内をぐるりと眺めてみたが、確かに前よりもベビーカーに乗った子供や子供を抱っこしている親が多い。こうなると、更に郊外の店舗はどうなのか、とか全然別の地域の店舗はどうなのかとかも気になってくる。
「お世話になっております、キクノコーポレーションの真中と申します」
「ああ、お世話になっております。化粧品の新條です」
「本日はインターン生と共に売り場のメンテナンスに伺わせて頂きました。作業をさせて頂いても宜しいでしょうか?」
「どうぞ。宜しくお願いします」
会話が終わったところで、真中さんと新條さんの視線がこちらへ向いた。一呼吸置いてから、お腹の辺りに力を入れて挨拶する。
「インターン生の有谷真衣と申します。本日は宜しくお願い致します」
「同じくインターン生の月城要と申します。宜しくお願い致します」
お辞儀して顔を上げ、新條さんの方を見つめた。新條さんは柔らかく微笑んでいる。
「こちらこそ宜しくお願い致します。今回使用予定の什器や販促物はバックヤードに保管してありますので、一旦一緒に来て頂いて宜しいですか?」
「勿論です」
そう答えた真中さんが新條さんの後に続いたので、私達も付いて行く。化粧品の棚を抜けて、ペット用品、日用品の棚の前を通りバックヤードの中に入った。普段は入れない場所なので、少しばかりテンションが上がる。ちらりと月城君の方を確認すると、彼も少々物珍しそうに視線を動かしていた。
「二人とも、ちょっと良い?」
「どうしました?」
「私は今から新條さんと展開場所をどこにするか話し合ってくるから、二人でこの紙什器と台紙を組み立てておいてくれる?」
「分かりました」
真中さんから手渡されたのは、幅三十センチのひな壇付き紙什器と幅二十センチくらいのスリムな台紙。どちらも手順は多そうだが、説明書の通りに作れば特に問題なく完成しそうだ。
「月城君はどっちを作りたい?」
「どっちでも大丈夫」
「じゃあ、台紙の方をお願い出来る?」
紙什器の方が台紙より複雑そうだったので、台紙の方をお願いする。彼が受け取って組み立て始めたのを確認して、私も紙什器が入っている段ボール箱を開けた。説明書を取り出して部品を確認し、早速組み立て始める。
「……真中さんが担当しているインターン生は、有谷さんだけだったよね?」
外側が完成し中のひな壇の組み立てに取り掛かった辺りで、不意に月城君から尋ねられた。そうだよと答えつつ、ひな壇を起こしてベロの部分を中に折り込んでいく。よし、後はこのひな壇を中にセットしたら完成だ。
「インターン生の人数が奇数だったから、それで」
「成程ね。じゃあ、基本は二人を一人で?」
「そう。営業課は違う?」
「営業課はインターン生の数多くないから、全員マンツーマンだね」
「へぇ……贅沢だね」
何気なく出た言葉だったのだが、月城君は驚いたのか目を丸くしていた。そして、合点がいったとでも言うかのように頷き始める。
「どうかした?」
「ううん。やっぱり真中さんの元でインターンをしているだけあるなって」
「どういう事?」
「以前大原さんから聞いたんだけどね。あの真中さんの指導に付いていっている君は中々の大物だって、注目されてるみたい」
「……そうなの?」
私が注目を集めているらしいという事実に、背中の辺りが冷たくなった感じがして手が止まる。浅くなってくる呼吸を整えようと思って、意識して深く息を吸った。
「聞いた話でしかないから、違ったら申し訳ないんだけど……真中さんって次期課長候補とも言われてるくらいの才媛なんでしょ?」
「そうだよ。今は主任の一人なんだって言ってた」
「加えて、自分にも他人にも厳しい人だから、過去に新人研修を受けた人達は指導に付いていくのに必死だったって。それなのに、インターン生……つまりまだ大学生の有谷さんが弱音を吐かず黙々と指導に付いていってるから、凄い子だねって事みたい」
「……買い被り過ぎだよ。真中さんだって、流石に通常の社員への指導内容と私への指導内容は変えてるでしょ。だから、相対的に私が良く見えてるだけだって」
私が頑張っているのは、何としてでもラストチャンスを掴みたいからという言わば個人的な我儘が理由だ。それなのに、そんな風に思われるのはどうなんだろう。勿論、褒めてもらえるのは嬉しいんだけど、理由が理由だから申し訳なさの方が先に来てしまう。
「そうかな……ああ、でも、何か別部署の部長さんも君に注目しているって話だから、それも相まってなのかな?」
「それ、どういう……!?」
詳細を確認しようとして思わず身を乗り出しかけたその瞬間、バックヤードの扉の向こうから子供の泣き声が聞こえてきた。様子を確認すべく月城君と二人で向かうと、ドアの近くの通路に座り込んで五歳くらいの男の子が泣いている。
「どうしたの?」
しゃがんで目線を合わせ尋ねてみるが、目の前の男の子はわんわん泣いたまま。膝の辺りが少しだけ赤くなっているので、転んでぶつけてしまったのだろうか。周囲を見回してみたが、保護者らしき大人の姿は見当たらない。
とりあえず、泣いたままだと保護者を探しに行くのも難しい。どうにか気を引けないものだろうかと考えつつ男の子を眺めていると、着ているTシャツに最近流行りのヒーローアニメのワッペンが付いていた。ああ、このアニメの主題歌ならば知っている。
「……にじーいーろラーイダーきみーはー弱くなーんかなーいだろう?」
記憶を辿り、メロディと歌詞を思い出しながら歌っていく。泣いていた男の子の動きが止まり、視線がこちらへと向いた。
「進め! あの七色の懸け橋を!」
「にじーいーろラーイダーひたーむーきに駆けーていったその先で」
「きっと、煌めく何かを、見つけられーるは、ず、さ!」
男の子の涙はすっかり止まっていて、拳を振り上げながら一緒に歌ってくれている。そのまま一緒に二番を歌っていると、保護者らしい大人が近づいてきた。
「すみません、ご迷惑をおかけしました」
「ママ!」
「大丈夫ですよ。あの、もしかしたら転んでいるかもしれないので後で見てあげて下さい」
「分かりました。ほら、お姉ちゃんにお礼を言って」
「ありがとうございました!」
男の子は大きな声でそう言って、元気にお辞儀をしてくれた。そして、母親に手を引かれてこの場を去る。二人を見送った後で、月城君がおもむろに拍手をし始めた。
「凄いね、有谷さん。歌が上手いんだ」
そう言われて、ざっと血の気が引いた。そうだ、男の子に集中していたから忘れていたが彼はずっとこの場にいたのだ。当然、さっき私が歌った歌も聞いている。
「あ、ありがとう……」
「歌が好きなの?」
「好きは好きだよ。でも、それだけで……特にどうって訳じゃないから……あの……あんまり他の人には言わないでもらえると……嬉しいのだけど……」
冷や汗をかきながら、何とか息を整えつつ返事をした。月城君は下手に言いふらすような人には見えないが、人間は見た目で判断出来ない。
「うん、分かった」
「……ありがとう」
ひとまず言質は取ったので、ほっと胸を撫で下ろす。口約束じゃないかと言われたらそれまでだが、それでも無いよりは安心だ。
「二人ともどうしたの? 何かあった?」
打ち合わせを終えたらしい真中さんと新條さんが戻ってきた。事情をかいつまんで話すと、お疲れさまとねぎらってくれる。
「紙什器と台紙は完成した?」
「ひな壇を嵌めれば完成です」
「台紙は完成しました」
「分かったわ。それじゃ、設置するから二つとも持ってきて」
「はい」
返事をして、バックヤードの中へと入る。紙什器を抱えた後で一回だけ深呼吸し、真中さんの元へと向かった。