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一縷の望みを懸けて(8)

「それでは、乾杯!」

「乾杯!」

 そんな掛け声と共に、慰労会が始まった。参加中のインターン生とその担当が基本的な参加者ではあるが、交流会も兼ねているのでそれ以外の人達もいるらしい。ちらりと確認したところ、例の女性グループの面々は見当たらなかったのでほっと胸を撫で下ろした。

「真中君は欠席だったか」

「はい。外せない私用があるとかで」

「ああ……そう言えばそんな事を言っていたな。慰労会の日程を聞いた真中君の表情が面白かったから覚えている。彼女、あまり表情が変わらないから新鮮でね」

「……そうですか」

 くつくつと笑いながら言われた言葉に、呆れながら返答する。そして、こちらから聞いた訳でもないのにその時の詳細を語られ始めたので、無視も出来ずウーロン茶片手に相槌を打ちながら話を聞いていた。

(うう……視線が痛い)

 見覚えがないので恐らく他部署の女性達だと思うが、彼女達からやけに鋭い視線が容赦なく飛んでくる。せっかくお近づきになるチャンスなのに、何あのインターン生……とでも思われていそうだ。

 ちくちくと視線が刺さって居た堪れないが、私にはどうしようもないので頑張って彼女達を意識の外へと追いやる。暫くしたら飲み物を取りに行くとかビンゴ大会が始まるとかで上京が変わるだろうし、そうすれば解放されるだろうから……もう少々の辛抱だ。

 その後、満足したらしい課長が別のインターン生の方へ行ってくれたので漸く人心地ついた。少しぬるくなったウーロン茶を飲み干し、お代わりを貰いに行こうと思って視線を上げる。

 すると、先程とは別の視線が向けられているように感じた。しかし、纏っている空気は全くの別で居た堪れないとも痛いとも思わない。しかし、どうしてか心が逸るような、そわそわするような……そんな気がして、確認すべく周囲をぐるりと見回した。

(……あの人?)

 こちらを見つめていたのは、一人の男性だった。シンプルなスーツを着て、すっきりとした印象の人である。私からも彼へ視線を向けたので、諸に視線がぶつかった。一瞬だけ彼の瞳が見張って、でも逸らされる事無くじいっと見つめられて。普通、知らない男性にそんなにじっくり見られたら恐怖を覚えるのだけども……今この瞬間、彼へ抱いた感情は決して悪いものではなかった。

(……あ、れ? 見覚えが、ある、ような)

 お互いに少し離れた場所から見つめあう事数分、彼の顔に既視感を覚えた。今までの人生の中でここまでのイケメンに逢う機会なんてなかった筈……と思ったが、そう言えば一回だけあった。あの時も、あの人はこうやって私の事をじっと見ていた。

『本当にありがとうございました。お陰で怪我せずに済みました』

『いやいや。こちらこそ、助けられて良かった』

 高校生の時に、一華ちゃんと一緒に行った大学の文化祭。ステージで歌っていたバンドに気を取られて転びそうになった私を、助けてくれた人。

(まさか、こんな所で再会するなんて)

 あの時の記憶が、脳裏に強く映し出される。その光景を懐かしんでいると、彼がこちらに近づいてきて私の目の前で立ち止まった。

「……お久しぶり、です」

 私の口から、そんな言葉が滑り落ちる。

 正面の彼の瞳が、驚きで彩られた。


  ***


「え、あ……も、もしかして、俺の、事」

「数年前に、明鏡大の文化祭でお会いした方ですよね? 違っていたら済みません」

「合ってる! 合ってる、よ……そうか、覚えて……」

「はい。その節はありがとうございました」

 改めてお礼を告げ、お辞儀をする。体を起こしてもう一度見上げた彼の顔は、やはり綺麗に整っていた。

「うちのインターンに参加してくれてたんだね」

「そうなんです。どうしても諦められなくて」

「諦められなくて?」

「どうしても入りたかったんです、ここに」

 特段隠す事でもないので正直に伝えると、目の前の彼の顔が何故かじわじわ赤くなっていった。次いで、絞り出すような声でそうだったんだという言葉が聞こえてくる。

「理由を聞いても、大丈夫?」

「……前に肌荒れで困っていた時に、キクノのスキンケアを使って改善した事がありまして。それで、私も同じように悩んでいる人の力になりたいと思って、志願しました」

 嘘は言っていない。言っていないけれど、更に深堀りされるとちょっと困る。如何な彼が面識のある人であろうと、そう悪い印象のある人では無かろうと、あの時期の事を気軽に話せる程には癒えていない……私の心は。

「そうか、うちの商品が君の助けになってくれたというなら、良かった」

「助かりました。それ以来、ずっと御社の商品を使い続けています」

 幸いな事に、それ以上は聞かれなかった。しかし、彼の視線は変わらず私に注がれ続けているので、どことなく落ち着かない。

「確か、企画課にいるって聞いたけど本当?」

「本当です。私は文系学部なので、開発よりは企画向きかなと」

「あー……まぁ、出来ない訳では無いと思うけれど、理系の方が有利なのは確かだね。良い選択だと思うよ」

「ありがとうございます」

「企画課って事は、課長は菊野大和?」

「はい」

「あいつ、ちゃんと課長してる?」

「……部下にもインターン生にも気を配って下さって、ありがたいです」

「ふうん……直属の担当は誰になったのかな?」

「真中さんです」

 そう告げると、何故か彼の眉間に皺が寄った。イケメンのしかめ面というのは、中々迫力がある。反射的に肩を竦ませ一歩下がると、彼は分かりやすく狼狽し始めた。

「ご、ごめん、あの、真中はスパルタだって聞いたから、君が大丈夫かなって、しかも、君は人数調整の関係でマンツーマンだって言うし」

「大丈夫ですよ。真中さん、分からない事は聞いたらきちんと教えて下さいますし、進捗のフォローも丁寧にして下さいますし」

 課長の事をあいつ呼ばわりだし、真中さんの事は呼び捨てだ。という事は、目の前の彼はあの二人と何らかの縁がある人なんだろう。そう言えば、まだ名前とか部署とかを聞いていない……聞いてみても良いだろうか。

 そう思って口を開きかけた瞬間、近くでスマホが鳴った。彼のスマホだったらしく、再び眉間に皺を寄せた彼が画面を睨んでいる。

「ごめんね。ちょっと呼び出しが」

「気になさらないで下さい。また、機会がございました時にでもお話出来れば」

「うん、そうだね、あと一か月頑張って」

「ありがとうございます。頑張ります!」

 私の返事を聞いた彼は、少しだけ口角を上げて頷いてくれた。そして、何度も振り返りつつ食堂を後にする。最後に真正面から見た彼の表情が、ずっと胸の奥できらきらと光っていた。


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