最近発売の商品だったからか、探していた資料はすんなり見つかった。良かった良かったと呟きつつ、順番にコピーを取っていく。機械の方はガーッガーッと音を立てて一生懸命仕事をしてくれているが、こちらは手持ち無沙汰なので……周りに誰も居ないのを確認して、最近お気に入りの曲を口ずさんだ。映画の主題歌にもなった曲で、未来を信じて切り開いていこうという応援ソングだ。今の私にはぴったりだろう。
一番を歌って、二番を歌って、丁度全てを歌い終わったところで部屋のドアが開いた。一抹の不安を覚えつつ振り返った先にいたのは、知った顔。
「課長でしたか」
「驚かせたかな? 済まないね……インターン生が一人で資料室にいたものだから、気になって」
そんな返答を聞いて、ひとまず胸を撫で下ろす。下手に詮索されても困るので、インターンの話題に乗る事にした。
「インターン生は普段あまり資料室を使わないのですか?」
「そもそも選考型のインターンを開催するのが初めてだからね。今までやっていたのは三年生、院生向けの短期間のものだけだし」
「そうだったんですね。それならば、何故今年は選考型の長期インターンを行おうと思われたのか……聞いても良いですか?」
そんな私の質問を聞き終えた課長は、大げさに肩を竦めてみせた。中々様にはなっているが、この仕草を本当に現実でやる人いたんだな……という気持ちの方が勝ってしまう。課長は学生時代に留学していたという噂を聞いたから、それでだろうか。
「世知辛い理由だよ。先日の選考で内定を出したうちの数人に辞退されてしまってね。最低限必要な人数を割ってしまったから追加募集をする必要が出てきたが、また同じように決めて辞退されては困る。そこで、長期インターンという形で行えば、ある程度入る気のある人材が集まるんじゃないかと踏んで実行に至った訳だ」
「なるほど……」
何となく複雑な心地だが、私にとっては絶好の好機に違いない。席を譲ってくれてありがとうと強かに思うくらいでいた方が、前向きだろうか。
「まぁその甲斐あってか、やる気のあるインターン生が多くてありがたいね。あんなに白熱したグループワークは久々に見たから、楽しかったよ」
そう言う課長の眼は、言葉通りの表情を映しているように見えた。少なくとも、今の彼からはオリエンテーションの時みたいな冷たさは感じない。「そう言えば、君を担当しているのは真中君だったね」
「はい」
「彼女とは上手くやれているかい?」
「……私の方はそうだと思っています」
「ほう。その心は」
「真中さんは、こちらの話をきちんと聞いて下さるので」
勿論話しかけるタイミングとかは考えるようにしているが、彼女はどんな時でも私が質問したらこっちを向いて話を聞いてくれる。そうでない人も……自分の要望や主張ばかりを押し付け碌に話を聞いてくれない人も過去にはいたので、真っ当に会話をしようとしてくれるのは、こちらの話を聞こうとしてくれるのは、本当にありがたい事だ。
「そう、そうか。それなら良かった」
「課長?」
「いやね、彼女。仕事は出来るんだが、如何せん態度がああだから誤解されがちでね」
「態度がああ……?」
「愛想がないからコミュニケーション取りづらい方だろう?」
はっきり言われて言葉に詰まった。確かに、表情の変化が豊かな方ではないと思うが……言う程取っつきにくいかと言われればそうでもない。一華ちゃんもあんな感じだ。
「何にせよ、上手くやれているならそれで良い。まだインターンは始まったばかりだ、実りある時間に出来るよう、頑張っておくれ」
「……ありがとうございます」
お礼を言って、頭を下げる。ひらひらと手を振った課長は、先に資料室を出て行った。
***
「思ったより遅かったわね? 大丈夫だった?」
自分のデスクに戻ると、真中さんが振り向いてそうおっしゃった。持っていた資料を机の上に置いた後で、遅くなってすみませんと謝罪する。
「もしかして道にでも迷った? ちょっとややこしい所にあるものね」
「迷う事はなかったです。課長と少し話していて」
「……課長と? 何で?」
課長の話を出した途端、真中さんの声のトーンが低くなって形の良い眉が顰められた。眉間に皺が寄って明らかにご立腹のようだが……パソコンの操作を間違って重要ファイルを丸ごと消してしまった時でさえ、そこまで怒ってはいなかったのに。
「大丈夫とは思うけど、課長の気分を害するような失礼な事言ってないでしょうね?」
「大丈夫と思います……今回初めて長期インターンを実施した理由を教えて頂いたり、インターンはまだ始まったばかりだから頑張れって、そうおっしゃって頂いたりしただけなので」
まさか、真中さんは愛想が無いと言っていたなんて、本人を前にして言える筈もない。そもそもわざわざ言う必要もない事なので、それ以外の方の内容を伝えるが……真中さんの眉間には皺が寄ったままだった。
「打ち合わせするから広報課に行ってくるわ。もし私に電話が来たら、席を外してるから折り返すって伝えておいて。相手の名前と連絡先も忘れず聞いておくのよ」
「わ、分かりました。他にしておく事はありますか?」
「この資料を最後まで読んで、誤字脱字のチェックと質問を考えておいて」
「はい……」
会話はいつも通りだし、出された指示もいつも通りなのだが、何と言うか圧が強い。ハイヒールでもないのにカツカツと靴音を鳴らしながら部屋を出て行った真中さんの背中を、黙って見送るしか出来なかった。
***
「やあ、今日も頑張っているかい」
「……課長」
「先んじて提出してもらったプレゼン会のスライドを見せてもらったけど、中々良い出来だったよ」
あれ以来、何故か課長が時折私の方に来ては話しかけてくるようになった。気に掛けてもらえるのはありがたいし、頑張って作ったスライドを褒めてもらえたのも嬉しいのだが、隣からの視線が痛くてじっとりと冷や汗が背中を伝っていく。
「ありがとうございます」
「スライドに関して、真中君からフィードバックは受けたかな?」
「頂戴しました。一部文言とレイアウトを調整した方がより良くなるとアドバイスを頂けたので、明日の午前中に修正して発表のための原稿を作成する予定です」
「ほう。別に、今日の午後でも良いと思うがね」
そんな事を言われても、私に決められる訳では無い。困って真中さんの方を向くと、真中さんが助け舟を出してくれた。
「プレゼン大会はあくまでもグループワークの一環と聞いております。制限された時間内に仕事を終わらせる能力も必要ですから、今日の午後はいつも通り業務の手伝いをしてもらう予定です」
「業務の手伝いか。何をするつもりだい?」
「来月の店回りに同行させる予定ですので、その下準備を」
「先方は許可しているのか?」
「営業の方も顧客店舗の方も問題ないと」
課長の視線から外れる事が出来たので、ほっとしつつ二人の会話を見守った。相変わらず課長は飄々とした感じだし、真中さんはクールだが……言われてみれば、真中さんはどことなくいつもよりも目を開いてじっと課長を見ているような。
「それなら問題ない。有谷君、良かったな」
「はい! 色々な業務を経験させて頂いて嬉しいです!」
嘘偽りない気持ちを告げると、真中さんの眼が少しだけ見開いた。一方の課長の眼は、にやにやと楽し気に揺れている。何となく嫌な予感がして身構えた瞬間、課長の口から爆弾が投下された。
「真中君のスパルタに付いていけていて、嬉しいとまで言ってのけるんだから大したもんだね。有谷君は根性があるんだな」
その場の空気が凍った。ちょっと綻んでいた真中さんの表情が、一瞬で能面の如き固さになる。この人、どうしてこうも一言余計なのだろう。
「……有谷さん」
諸悪の根源もとい課長が去った後、隣から地を這うような声が聞こえてきた。辛うじてはいと返事をし、こわごわと彼女の方を振り向く。
「……社内パソコンの中に、店回りに行く際のマニュアルがあるから探して開いておいて」
「分かりました……あの、どちらか行かれるんですか?」
「一階の自販機で飲み物買ってくるわ。何かいる?」
「えーっと……」
正直なところ、飲み物は昼に買ったから無くても大丈夫ではある。しかし、何かリクエストしないといけないような雰囲気を感じ取ったので、お茶を一本お願いした。