額に流れる汗を拭きながら、目の前の建物を見上げた。個別説明会も含めると、ここに来るのは三回目だ。
建物の中に入る前に、一回大きく深呼吸をしてから拳を握る。中に入り受付の方に尋ねると、インターン生は二階の会議室に行くよう指示された。階段でもエレベーターでも良いと言われたが、エレベーターは人が多かったので階段を登る事にする。
会議室の中に入ると、既に十人程のインターン生が着席していた。名前を告げて名札を受け取り、指定された席へと座る。その後もぞろぞろと人が入ってきて、順番に着席していった。ざっと見た感じ、三十人くらいが参加しているようだ。
「全員揃いましたので、今からオリエンテーションを始めます」
そんな言葉が聞こえて来て、スライドショーを使ったオリエンテーションが始まった。予め席に配布されていた資料を眺めながら、説明を聞いて必要な部分はメモを取る。一時間程で全体の説明会は終わり、続きは部署毎に行うとの事だったので、今度は三階の方の部屋へ移動する事になった。
「インターン生の皆さん、ようこそ商品企画部へ」
目の前の男性が、柔和な笑顔でインターン生へ向けて挨拶してくれる。商品企画部のインターンに参加するのは、私を含めて九人らしい。
「私は課長の菊野大和と申します。これから二か月間、どうぞ宜しくお願い致します」
菊野課長がこちらへ順に視線を向ける。視線が合った瞬間、何故か背筋がひやりと凍った心地がした。まるで、こちらの胸中はお見通しだとでも言うかのような、見定めてやろうと言われたような……見た目は優しそうに見えるが、性格は違うのかもしれない。蛇に睨まれた蛙になったような気持ちとは、こういう感情を言うのだろうか。
その後、課長は商品企画部についての詳しい説明と、具体的にインターンで行う内容を説明してくれた。基本的には、午前中はインターン生同士でグループワークを行い、午後からは各自の担当社員の方の手伝いをするらしい。インターン生二人を社員一人が見るらしいが、今回の参加者は奇数なのでマンツーマンになる人もいるという話だった。
「では、各自顔合わせと行こう。社員は担当するインターン生をそれぞれ呼んでくれ」
課長の指示を受け、部屋の端の方に待機していた社員の方々が順にインターン生の名前を呼んでいく。一人、二人……と順に呼ばれていくのを、どきどきしながら見守った。
「有谷真衣さん、こちらへ」
「はい!」
私の名前を呼んだのは、綺麗な女性社員の方だった。皺一つないブラウスとスーツを格好良く着こなしていて、艶々した長い髪を一つに束ねている。正にキャリアウーマンという見た目なので履いている靴がローヒールなのが少々意外ではあったが、商品企画部の方は営業周りに同行する事もあるらしい。なので、それで歩きやすい靴を履いているのだろう。
「私は社員の真中瞳。参加人数の関係で、私が担当するのは貴女のみになります。一人で心細いかもしれませんけれど、出来得る限りフォローはしますので」
「有谷真衣です! ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します!」
挨拶した勢いのまま、真中さんへお辞儀する。改めて見上げた彼女の顔は、丁寧に化粧が施されていて美しかった。ここまで化粧が映えているという事は、スキンケアも一生懸命しているという事だ。流石、化粧品メーカーの社員である。
「……貴女はインターン生だから、仮に何か失敗したとしてもお咎めがある訳では無い。けれど、だからと言って悠長に構えていてはいけないからね。この二か月は、貴女も社員の一員であるという自覚を持って臨むように」
真中さんから告げられた言葉が、私の背筋をより正した。実際の業務を行うという事は、この二か月間は私も会社の一員として見られる事が多いという事だ。つまり、私が何かやらかせば、私のせいでこの会社のイメージが悪くなるという事も十二分にあり得る。
そうなれば、内定なんて夢のまた夢だし……そもそも、インターンの本来の意義は就業体験を通して業界を知り、学んでいく事である。そこを忘れないようにして、目の前のやるべき事を頑張っていかないといけない。
「はい!」
真中さんの目を見つめて、はっきりと返事をする。彼女の口元が少しだけ綻んで、よろしいと紡いだ。
***
「真中さん、今大丈夫ですか?」
オリエンテーションの日から一週間経った。最初こそ印刷した資料を製本するとか書面の整理とかを中心に行っていたが、今日は研究開発課から送られてきたデータを入力するよう指示された。ので、意気揚々と社内パソコンを使って行っていた……のだが。早速トラブルが発生してしまい、隣の机で作業をしている真中さんに声を掛ける。
「どうしたの?」
「データを順に入力していたのですけれども、ここの数式の合計範囲が勝手に変わってしまって……どうしたら良いですか?」
「ちょっと見せて」
そう言われたので、横にずれて場所を譲る。パソコンの画面を眺めていた真中さんは、何かに納得したかのように頷きながら口を開いた。
「オプション開いて」
「はい」
「次は詳細設定」
「開きました」
「真ん中の方に『データ範囲の形式および数式を拡張する』って機能があるでしょ? それのチェックを外してみて」
「分かりました」
言われた通り設定をオフにして、もう一度入力を始める。今度は、数値が変になる事無く入力を終えられた。
「ありがとうございます。大丈夫でした」
「それなら良かったわ。有谷さんは表計算ソフトって普段あまり使わない?」
「使わないです。私は文学部なので、文献検索とかレポート作成くらいでしかパソコン使わなくて」
「表計算ソフトは使えるようになっておくと何かと便利よ。大学のパソコンに入ってるもので良いから、一回使ってみると良いわ」
「分かりました。ありがとうございます」
そう言えば、私のノートパソコンにも入っていたような。今日帰ったら、早速パソコンを起動して確認してみよう。自分の席に戻った真中さんに会釈し、もう一度社内パソコンの目の前に戻る。
(……そう言えば、プレゼン会の資料も作らなきゃいけないんだった)
今日のグループワークの時に、来週はキクノの商品を使ったプレゼン会をすると発表があったのだ。曰く、商品企画部は自分が考えた企画を課内や社内のメンバーにプレゼンする事が重要な仕事の一つだし、営業販促課の人の店回りに付いて行って店舗の担当者へ説明する事もあるらしい。
そんな訳で、先月発売したばかりの自社商品を使ってプレゼンを行うとの事だった。明日以降のグループワークの時間はその準備に当てられるらしいが、参考資料は早めに集めておくに越した事はない。
「真中さん、もう一つ良いですか?」
「何かしら」
「社内の資料室って、退勤後に入っても大丈夫ですか?」
「……通常の社員ならまだ大丈夫だけど、貴女はインターン生だから無理ね。インターン生にサビ残させる訳にはいかないし」
「じゃあ、休憩時間なら良いですか?」
「休憩時間は休憩しなさい。あれでしょ? 来週やるって言ってたプレゼン会の資料を集めたいのよね?」
「そうです」
「それなら、今の作業が終わったら行ってきて良いわよ。商品が決まっているなら、そう時間は掛からないでしょう」
「ありがとうございます。資料室を利用する上で気を付ける事って何がありますか?」
「自分のスマホを持っていかないようにって事と……資料原本を部屋の外に出す事は出来ないから、必要な個所を部屋内のコピー機を使ってコピーして持ってくるようにって事くらいかしら。そのコピーも持ち帰りは出来ないから、デスクの引き出しとかに保管しておいてね」
「分かりました!」
返事をして、早速データ入力を再開した。十五分くらいで全て終えたので、最終チェックをしてもらう。
無事に終える事が出来たので、行ってきますと告げて資料室へと向かった。