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プロローグ(2)

「学祭のステージ?」

「うん。ぜひぜひ一緒に出たいなって!」

 昼休みにご飯を食べていたら、同じゼミの仲良しに声を掛けられた。口の中の物をお茶で流して、ええと、と聞き返す。

「何やるつもりなの?」

「バンド!」

 拳を握って意気込む彼女に気圧されつつ、ふうむと考える。音楽は好きだしライブもフェスもコンサートも行くから、全く知らない世界ではない。高校の頃、見学も兼ねて参加した大学の文化祭でも、ついついステージの演奏に魅入ってしまったくらいだ。しかし……楽器未経験の私に、果たして演奏が務まるだろうか。

「バンドをやるって事は、ギターとかベースとかドラムとか……とにかく楽器を演奏する必要があるよね。私、どれも未経験なんだけど大丈夫かな?」

「大丈夫だよ。真衣ちゃんにはボーカルをお願いしたいから!」

「ボーカル? 一番の花形じゃん、自分でやんなくて良いの?」

「良いの! 私がやりたいのはベースだし……この前聞いた真衣ちゃんの歌、本当に上手くて感動したから! だから、一緒にやりたいって思って!」

 なるほど、そういう事か。ステージの上で歌うのは初めてだけれども、歌う事は好きだし楽しそうだし、良い思い出になりそうだ。

「良いよ。やろう」

「ほんと!? ありがとう! 他のメンバーはまだ返事待ちだから、決まったら知らせるね!」

 がっしりと両手を掴まれ、ぶんぶんと音が出そうなくらい大きく振られた。よっぽど嬉しかったのかなぁと思うと、良い事をしたみたいで何となく嬉しくなる。

 その後、全員から快諾が得られたと連絡が来たので早速練習が始まった。歌う楽曲も決まり、毎日練習に明け暮れた。

 そうして迎えた本番は、本番自体は、本当に……楽しかった。


  ***


「どこ行ったんだろ、さっきこっちで見掛けたのに」

「見失っちゃった……」

 聞こえてくる声に震えつつ、じっと声を殺してやり過ごす。こんこんと扉を叩く音が聞こえきて心臓が飛び出そうになったが、呼びかける声は聞き慣れたものだったのでほっと胸を撫で下ろした。

「お昼買って来たよ。カーテン閉めたし扉の鍵も掛けたから、こっち座りな」

「ありがとう……いくらだった?」

「お握り二つとお茶で、合わせて五百二十円」

「了解。送金しとくね」

 一華ちゃんにお礼を言い、よっこいしょと立ち上がる。椅子に座ってお茶を一口飲み、お握りを頬張り始めて漸く人心地ついた。

(まさか、こんな事になるなんて)

 バンドの演奏自体は大成功だった。会場が一体になって、盛り上がって……皆の演奏に合わせて歌うのは、カラオケで歌うのとはまた違った面白さだった。その日の夜は、打ち上げが終わって家に帰りついた後も、頭がふわふわとして興奮で寝られなかったくらいだ。

 事態が一変したのは翌日の事。いつも通り講義を受けるため、最寄り駅から正門に向かおうとした時。いきなり、見知らぬ人々に囲まれて話しかけられたのだ。

『昨日のバンドのボーカルだった方ですよね!』

『歌凄かったっす! 実は歌手だったりするんですか!?』

『SNSのアカウント探しても見つけられなくて! フォローするんで教えて下さい!』

 驚いて足を止めてしまった私の周りに、一気に人だかりが出来た。四方八方を囲まれ……恐怖で足が竦み、余計に身動きが取れなくなって更に囲まれるという悪循環。たまたまその場にいらっしゃった助教授と正門の警備員さんのお陰で何とか逃げられたが、暫く冷や汗が止まらなかった。

『軽音部に入りませんか!?』

『もうどこか事務所に所属してます!? 未所属なら是非うちに!』

『次はこの曲歌ってほしいです!』

『録音したいんで歌ってもらって良いですか!』

 午前中もお昼も午後も、代わる代わる人がやってきて私に話しかけてきた。その度に逃げて、隠れて、追い掛けてくる人達から逃げて……授業中も、廊下に人だかりが出来ていたそうだ。教室の皆も居心地悪そうにしていて、申し訳なさで泣きたくなった。日が経てば落ち着くかと思ったのに、この一週間ずっとこの調子だ。

「全然居なーい。もうさ、所属分かってんだし、ゼミの方で出待ちしとく?」

「でもさ、それやって教授に雷落とされて、自分のとこの教授にも話が行って謹慎になった人とかもいるらしいよ」

「えー何それ。有名人なんだし、ちょっとくらいサービスしてくれたって良いじゃん」

 その言葉が胸に深く突き刺さった。滲んできた視界の端で、一華ちゃんが握っている割り箸が静かにへし折れる。

「……馬鹿じゃないの。何も気にしないで良いなら、あいつら引っ叩きに行けるのに」

「一華ちゃん、どうどう……気持ちは嬉しいけど」

「真衣は芸能人でも何でもない、普通の大学生なのに。そもそも、本物の芸能人が相手だって迷惑でしょ、こういう事されたら」

「ステージで歌っていたくらいだから、目立ちたがりなんだろうって思われたのかな。だから、ああやって注目されたら嬉しいだろうしサービスしてくれるでしょ……みたいな」

「浅はかな。そんな短絡的な思考回路で、よく大学生になれたわね」

「良くも悪くも一直線というか……他の選択肢は思い付きすらしないんじゃない? だからなのかな、最近の学生は物語の読み込みや考察が浅いからレポートの内容も浅いって、この前教授が嘆いてたよ」

 そういう意味では、私にも非があるのだろうか。私の歌を好きだと言ってくれたのが嬉しくて、皆と一緒に演奏するのは楽しそうだと思って、それだけで参加を決めてしまった訳だから。それに対して、危機管理能力が足りないと思う人はいるのかもしれない。でも、注目を浴びて人気になったらどうしよう……だなんて、ともすれば己惚れと取られかねない想定を、どこまで冷静に正確に出来るものだろうか。

 確かに、私は昔から歌が上手いねと褒められる事が多かった。それは勿論嬉しかったし、言ってくれた人達が揃って嘘をついていた訳でもないだろう。でも、私は……だから私の歌はプロでも通用するレベルなのだ、ステージで歌えば人気になっちゃうだろうから気を付けなきゃ……だなんて、そんな事を思えるような性格では無かった。

「……千佳ちゃんには申し訳ない事しちゃったな」

 誘われていなければ今の事態はなかっただろうが、一緒に歌った事自体は後悔していないのだ。だから、私を誘ってくれた事を気に病まないで欲しかったのだけど、千佳ちゃんはずっと泣いていた。ごめんね、ごめんね、私のせいで真衣ちゃんを苦しめた、と……同じゼミの仲間を、私の歌を好きだと言ってくれた子を、傷つけてしまった。

「暑さ寒さも彼岸まで、人の噂も七十五日。どの道あと一か月で冬休みに入るし、休みが明けたら後期試験だし。その後は春休みだからもう少しの辛抱だよ」

「そうだね。先生方もゼミの皆も助けてくれてるし、一華ちゃんは学部違うのにわざわざこうやって一緒にいてくれるし。心強いや」

「学部が違うと言っても同じ文系でキャンパスも近いからどうって事無いわよ。それよりも、少し昼寝したら? ろくに眠れてないでしょ」

「ハーブティー飲んでみたり、リラックス効果のあるアロマを部屋で焚いてみたりはしたんだけどね。ラベンダーはちょっと効果あったよ」

「肌も荒れてるじゃない。ケア出来てる?」

「いつものケアはしてるけど……寝不足とストレスのせいかな」

「じゃあ、ここの使ってみたら?」

 そう言って見せられたスマホの画面には、とあるブランドのスキンケア商品が載っていた。何となく見覚えがあるような、無いような。

「これ、どこの?」

「キクノコーポレーションってところのよ。上場もしてる国産メーカーの化粧品で……気になるならお試しセット買って持っていくわ」

「お願いしようかな……頼ってばっかりでごめんね」

「こんな状況で頼られなかったら逆に悲しいから気にしないで」

「……ありがとう」

 ちょっとぎこちなくなってしまったが、口角を上げながらお礼を言う。難しい顔をしていた一華ちゃんは、漸く笑顔になってくれた。

「春休みに入って周りも落ち着いてたら、一緒にカラオケ行こうね」

「それは良いけど……歌うの嫌じゃない?」

「歌うのとか歌そのものは、今だって変わらず好きだよ。空いてる時間に行くとか……知らない人の前では歌わないようにしたら大丈夫と思う」

「……そうね。好きな事を止めるのも勿体ないし、それで良いんじゃないかしら」

「うん」

 返事をして、小指を向ける。意図を組んでくれた一華ちゃんが同じように小指を出してくれたので、ぎゅっと握って指切りげんまんを歌い少し先の約束をした。

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