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第86話 決別の時

 ヒカリちゃんとのそのやり取りで私は全てを決意した

 アカネとヨルさんの研究についていくことはしない、ということと本当の万能薬をいずれ作り出してみせる、ということをだ


「あなた、それ本気で言ってるの……?」

 私がこの研究を続ける気はないという主旨を伝えればヨハネは叩きつけるように手に持っていた書類の束を机に置く

「ああ、本気だ、私は死者蘇生の薬を作ることはしない、元の研究に戻って万能薬を……ヒカリちゃんが死ぬ前に作り出してみせる」

 何よりも

 本人が望んでいないことをするべきではない

 もし……薬が間に合わなければしっかりと荼毘に伏して、今まで頑張ったねと弔ってあげるのが私達大人がするべきことなのだ

「っ……間に合う、と思ってるの、そんなことがっ」

「逆に今までがおかしかったんだ、死んでからのことを考えるなんて、彼女はまだ生きている」

 ヨハネは私の言葉に強く拳を握り締めてヒステリックに怒鳴った

「もう死んでいるようなものじゃないっ! もう、手すら自由に動かせないのよ? それなら、死んだその先に、健康で頑丈な身体で、生き返らせてあげればいい、丈夫に生んであげられなかったぶんも!」

「ふざけるな! 彼女はまだ生きてる……生に手を伸ばして自分の運命に足掻いてる、それなのに……それを母親であるお前が否定してどうするんだ!」

 私はそんな彼女の言葉がどうにも癪に触って

 胸ぐらを掴んで怒鳴り付けた

 多分生まれてから初めてだったと思う

 誰かに感情を爆発させたのなんて

「っ……」

「まぁまぁお二人とも、そんなに熱くならないでください」

 そんな私達のことを静観していたヨルさんがこちらまでやってきて私達の間に入ろうとする

「ヨルさんは黙って――」

 そんなヨルさんに文句をつけようとそちらを見れば、ヨルさんと目が合った瞬間に金縛りのように声が出なくなる

 表情自体はいつもの笑顔で別に威圧されたとかそういうことではない

 何か根本的に、声を出してはいけないと脳に直接働きかけられたような感覚だった

「研究なんていうものは利害の一致からなり得るものです、もしそれが合致しなくなったのであればまた別々に研究を進めればいい、ヨハネさん、私達には時間がないんです、言い合いをしているだけ時間の無駄です」

 動けなくなった私にそう諭しながらヨルさんはヨハネの胸ぐらをつかんでいた私の手を引き離す

「……そうね……ということで、私達はこの研究を止める気はないから邪魔だけはしないことね」

 ヨハネは私とソラさんを交互に見やると自身の襟首を正してそのままさっきまで見ていた書類を手に取って仕事に戻ってしまった

「ヨハネ……」

 取り残された私はヨハネの名前を呼ぶが彼女がこちらを向くことはなかった

「……ヨルさんあなた」

 私は意図を確かめたくてヨルさんのほうを見る

 だが私は何も言えなかった

 それは、そこにいた彼女が笑っていなかったからだ

 いつもの人を絆すほどに優しい笑顔なんてそこにはなかった

「アカネさん、あなたの気持ちはよく分かります、ですが……ソラは一度、心臓が止まっている、もう、一度死んでいるんです、だからこそ」

 それからパッといつもの笑顔を浮かべてそれだけ言うと私の肩に手を置いて

「次は必ず成功させる」

 芯の通った声でそう、呟いた

 そう、この時点でソラちゃんは一度病状の悪化から心臓が止まったことがあった

 それから何とか持ち返しこそしたものの意識が目覚めることはなく、今でもずっと寝たきりの状態が続いていた

 だからきっと、実際にはヨハネ以上にヨルさんのほうが余裕なんてなかったのだろう


 それから私は同じ研究所のなかで二人とは別の方向に研究を進めていた

 しかし、ヒカリちゃんの意識がなくなったと知らせを受けたのは、あの面会からそう遠くない日だった

 研究室のなかをずっと慌ただしくヨハネが走り回っていたのをよく覚えている

 それからたいした時間を待たずにヨハネはヒカリちゃんへのオメガウイルスの投薬を決める

 私は勿論反対したが親権を持つヨハネがするのだと決めたことに私の反論など意味を成さなかった

 そしてその結果は、あまりにも痛々しいものだった

 ヒカリちゃんは意思のない動く屍となり、檻の中へと押しやられた

 私は彼女のお願いを叶えてあげることすら出来なかった

 それからのヨハネは見ていられないほどだった

 荒れるでも、泣くでもなくただ日がな一日笑えた頃のヒカリちゃんの写真を眺めて過ごしていた

 そして、その頃からヨルさんもおかしくなった


「ヨルさん、あなたは一体……なんの準備をしてるんだい?」

 私はその日、ついに意を決してヨルさんを問いただした

「あ、アカネさん、別に……いつも通りですよ? 死者を生き返らせる薬の研究です」

 真剣に聞いてもヨルさんはいつもの笑顔を向けるばかりで真剣に答えてはくれない

「……その割には君の鞄の中の薬品は未完成の……ヒカリちゃんを殺したオメガウイルスの瓶が沢山並べられている気がするが、それに最近は研究所を空けてセントジャンヌ孤児院によく赴いているようだがその薬も関係が?」

 だからあえて私はより深いところへと突っ込んでいく

「……アカネさんも知っているでしょう? あの孤児院には面白い体質をした二人がいたことを」

「ああ、あの二人か」

 その二人というのはウミとダイチという姉弟のことだとすぐにわかった

 あの二人には薬も特別な反応をしておりヨルさんは前からとても気にかけていた

「あの二人に協力して貰ってより完成度の高い薬を作っているんです、だからなかなかここにも来れなくて」

「……何を、企んでいるんだい?」

 それだけ言っても言葉を濁すヨルさんにしびれを切らして私は単刀直入に聞いた

「嫌だなぁ、企んでるなんてそんな……私ね、今度大規模な実験をしようと思っているんです」

 言いながらヨルさんは床に置かれた鞄を撫でる

「大規模な実験……?」

「そう、オメガウイルスを使った大きな実験です、これが上手くいけばオメガウイルスの沢山のサンプルを手に入れることが出来る、そうすれば……より、オメガウイルスの完成が間近になる」

 それだけ、嬉しそうに言うとヨルさんは鞄の蓋を閉めて肩にかける

「ヨルさんあなた……」

「前も言ったと思いますが邪魔だけはしないでくださいね」

 そして、追求しようとする私にあの時と同じ笑顔なんてない表情を向けてからそのまま研究室を後にした

 それからすぐにヨルさんの乗っていた車が事故に巻き込まれたという報告を受けた

 そして、その三日後にホッカイドウを皮切りにオメガウイルスによるパンデミックが起きた


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