ヨルさんがセントジャンヌ孤児院の担当になってからまた研究室に私とヨハネの二人きりになる、ということも多くなった
だが前よりも会話は少なくなった
ヨハネは変わらず話しかけてくるが私がそれに対応出来なくなっていったのだ
「アカネさん?」
「ん、ああ、ごめん、途中で止まってしまって……」
その日も私は忙しいなか無理やり時間を作ってヒカリちゃんの元を訪れていた
そして自分で本を開くことも出来なくなってしまったヒカリちゃんに本を読み聞かせていて、それなのに途中で考え事をして手が止まってしまっていた
私は慌てて次のページを捲る
「ううん、大丈夫、それよりも忙しいのにこんなことさせてごめんね」
だがヒカリちゃんは優しくそれだけ言って私に謝る
「……そんなこと言わないでくれ、私は好きでこうしているんだ」
私はちらりと腕時計を見てから本を閉じる
この後研究室に戻らなければいけないことを鑑みれば今日はこれ以上長居出来ないだろう
「……アカネさんは優しいね、お母さんは、全然会いに来なくなっちゃったのに」
「っ……ヨハネはね、君の為に……」
ヒカリちゃんの言葉にどきんと心臓が音を立てて鳴る
そう、この頃のヨハネは研究に没頭していてもうほとんど余裕なんてなく、ヒカリちゃんに会いに来ることすらなくなっていた
あそこまで良好だった親子仲も少しずつ亀裂が入り、たまには会いに行ってやれと言ってもヒカリちゃんが治ってから沢山会えばいいなんて言って聞く耳も持たなかった
それでもヒカリちゃんにヨハネを悪く見てほしくなくて口を開いて、途中で言葉にするのは止めた
ヒカリちゃんの目を見れば全て悟っていることぐらい簡単にわかったから
「分かってる、私の為に頑張って研究してくれてるんでしょ? ……でも、やっぱり少しだけ寂しいや」
ヒカリちゃんの言葉に私はぐっと目頭に力を込めて涙が落ちないようにする
こんなに辛いはずの当人であるヒカリちゃんが泣いていないのにただの他人の私が泣くわけにはいかない
「……次に来るとき、その時は私がヨハネを引きずってでも連れてこよう! 何、研究ばっかのヨハネぐらい軽く小脇に抱えられるさ!」
私は出来る限り明るく努め、言いながらヨハネを担ぎ上げるジェスチャーをしてみせる
「あはは! アカネさん昔と変わったね!」
「そ、そうかな……」
ヒカリちゃんが笑ってくれたことに安堵しながら私は中指でメガネを押し上げる
「昔は、出会った頃は……もっと怖かったし、冗談とか言わなかったし……でも何か考えてる時のその癖は変わらない」
ヒカリちゃんは楽しそうに言いながら私の癖、らしい中指でメガネを押し上げる真似をする
「……君だって変わったじゃないか」
私はそんな彼女を愛おし気に眺める
「……そう?」
「ああ、とても……大人の女性になった、もう子供扱いは出来ないな」
少しだけ照れた様子で瞳を反らす彼女にどきりと心臓が鳴るǰ
いつからだったろうか
昔はただの同僚の子供で
次は優しい女の子
その次はがんばり屋な子
そういう、感情だったのに
少しずつ大人に近付いていく彼女を
気づけば私はそういう目で見るようになっていて
こんな十歳以上も年の離れたおばさんがこんな若い少女に恋をした、なんて言えるはずも、言う気だって欠片もなかった
「っ……ねぇアカネさん」
「どうした?」
そんなことをただ考えていればヒカリちゃんが何かを決心した様子で動かすことも大変な手で私の腕を掴んだ
「私が元気になったら、ひとつだけお願いしてもいい?」
「ああ、私に出来ることなら」
元気になってくれたのであれば
ひとつだけなんて言わずに私に出来ることであれば何だってするつもりだった
元気になってくれさえするのならば
「デートしてほしい!」
「……え?」
突然のヒカリちゃんの言葉につい間抜けな声を漏らす
「私と一緒に本屋さんにお買い物に行ってほしい、たくさんいろんな本を見て、一緒に笑ってご飯が食べたい! ダメ、かな……」
ああ、どうしよう
「……ダメなんてことないさ、沢山沢山本を見に行こう、美味しいものを食べよう、だから……頑張って病気を治さないと」
私は、私の手を力なく握るその手に強く力を込める
少し、痛かったかもしれないが
それだけ、彼女の言葉が嬉しかったんだ
治った先の未來を語る彼女も
その未來に私がいる可能性を与えてくれたことも
そしてそんな未來を作るには、あの研究を続けなければいけないことがただ複雑だった
「でもね」
「……」
それから少しだけ、ヒカリちゃんは悲しそうな表情を浮かべて続けた
「私がもし死んだら、悲しんでほしいけど、悲しんで、それでもそのまま次に進んでほしい」
「……ヒカリちゃん」
ヒカリちゃんのその言葉に私は、彼女が全てに気付いていることを知った
自身の病気がもう治らないことも
余命がそう永くないことも
私とヨハネ、そしてヨルさんの研究内容がいつからか死者を生き返らせるものへと変化していたことにも
なぜ気づいたのかは分からない
でも彼女は昔からそういうところがあった
敏い、と言えばいいのだろうか
まぁ研究内容に関しては、ヨハネが伝えたのかもしれないが
「そしていつか、変な薬じゃなくて本物の万能薬を作って、沢山の人を救ってほしい」
そして、自身の意思でそれを
死んだ自分を生き返らせるという世界の理に反することをしないで欲しいと、願った
「……ああ、わかった、わかったよ」
私は握っている彼女の手に祈るようにおでこを押し付ける
「お母さんのことも、よろしくね」
今はただ、泣いているその姿を見せないために
これが彼女との最後の面会になった