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第84話 ことの始まり

 元々は二人で始めた研究だった

 ヨハネとは昔から同じ研究所に勤めていて、ヨハネの娘、ヒカリとも勿論面識があった

「アカネさん! 今日はどんな本を持ってきてくれたのっ?」

 お見舞いに行くと彼女はいつだって笑顔で私を迎え入れてくれた

「ああ、今回は今流行っていると聞いたミステリー小説を持ってきたよ」

 そしていつもお土産に本を渡す

 身体が生まれたときから弱く、病床にふせっていた彼女は本の虫だったから

「やったぁ! ありがとうアカネさん!」

 喜んでくれることが内心嬉しくて、いつも心が現れた

 目に移るものは全てモルモットで

 小さな子供すらも実験台にして、そんな非人道的なことすらも自身の知的欲求の為なら仕方ないことだと思ってしまう自分が、ヒカリちゃんといると少しだけでも人間に近付けているという錯覚を与えてくれるから

「……キミが少しでも元気になってくれるならなんてことないさ」

 この頃の彼女はまだ病状もそこまで悪化しておらず毎日の投薬にも耐えて元気に過ごしていた

「全く……あなたはヒカリを甘やかしすぎよ」

「……仕方ないだろう」

「ヒカリ、あなたも本ばかり読んでないでちゃんと勉強もしないとダメよ? 身体が良くなったら学校、行きたいんでしょ?」

 ヨハネだってちゃんと母親としての役割をしっかりこなしていたし

「分かってるー、ちゃんと勉強もしてるから! アカネさんと違ってお母さんはいつもそればかりかで嫌!」

「ヒカリ……」

 そんな口喧嘩だって出来るぐらいには仲の良い親子だった

「あははっ、立派に反抗期ってところかな」

「あなたも笑ってる場合じゃあないのよ、最近研究も滞って……」

「分かってる、ちゃんと進めるさ、この子の為にも……」

 私は優しくヒカリちゃんの頭を撫でる

 そんな私達の状況とは正反対とでも言うように私達の研究は思うような成果は出ていなかった

 そんな状況が良くも悪くも変化したのはこの研究施設にヨルさんが現れてからだった


「本日付けでお二人のチームに配属されたヨルです、よろしくお願いします」

 第一印象は丁寧で常識的な少女

 私達が進めている研究内容にもにつかない程穏やかな子で

 年齢の割に研究への熱意と理解度はとても高かった

 彼女が本当にあの、噂の人物だなんていうことが信じられないくらいだった


「ねぇヨハネ」

「どうしたの?」

「ヨルさんの、あの話って本当だと思うかい?」

 私はある日、ヨルさんのいないタイミングでアカネに話を振った

「元々は被験者の一人だったってところ?」

「いや、それは確定事項だろう、書類にもしっかり記述されている」

 ヨルさんが元被験者である、というのはここに配属されるにあたって送られてきた資料にしっかりと記載されていた

 被験者としてその研究室に身を起きながらもその秀でた才から研究者として引き抜かれ、研究者として活動を始める寸前にその研究室が事故によるパンデミックで壊滅

 そして別の研究所にて活動を開始し、この度この研究施設へと委任された、と

 あまりにも出来すぎている、というのが私の考えだった

「……研究者という立場を手に入れる為に裏で色々してたって話のほうかしら」

「そう、それだよ」

 そしてそこまでトントン拍子に話が進めば悪い噂も立つわけで

 実際に他の研究者達のなかではそんな噂がよく耳にする程に立っていた

 だがまぁ、研究者というのは良くも悪くも自分のことにしか興味がないわけで、その話が深く掘り下げられることもなかった

「まぁ、普通であればどれだけ優秀でも被験者が研究者側に回ることなんてないでしょうね」

「それならやっぱり……」

「私の話ですか?」

 そんな話をしていればいつ戻ってきたのかヨルさんがひょっこりと顔を覗かせる

「っ……ヨルさん、今の話聞いて」

 私は居たたまれなくなって顔を反らす

 私は事実こそ知りたかったが別にそういう噂をしているところをヨルさんに見せて嫌な気持ちにさせたかったわけではなかったからだ

「すいません、聞こえちゃいました、でも気になることがあるなら私本人に聞けばいいじゃないですか」

 だがヨルさんは気にした様子を浮かべるでもなくただそう、言った

「いや、そういうわけにもいかない話で――」

「色々しましたよ」

「……え」

 慌てて否定しようとすればヨルさんは頷き、簡単にそう言ってのけていつもの優しい笑顔を浮かべて続けた

「私には妹がいるんです、結構年が離れているんですが、そんな妹は珍しい不治の病に苛まれている、そしてそのせいで私達姉妹は研究施設へと売られました、あの子は私の見えないところで身体に負荷のかかるような実験に耐える日々を送っていた、そのせいであと数年の命です、そんな……世界一大切なあの子が苦しんで苦しんで死んでいくくらいなら私は何だってします、愛している人の為なら何でも出来るってそんなにおかしなことですかね?」

「……それは」

「……決して、おかしいことだとは思わないわ、少なくとも私は」

「アカネっ……」

 おかしいことだ、そう、言いきることも出来なくて、私達だってヒカリちゃんの為という免罪符を手にそれ相応のことをしているのだ

 ヒカリちゃんのことがある前にはまた別の理由をつけて、国家の名の元に研究をしていた

 そんな逡巡をしている私を差し置いてアカネは何も迷うことなくそれを肯定した

「だってそうでしょう? そもそも私達の目的だって人類の為なんて歌っておきながら中身を暴けばヒカリの為でしかない、それにね、ヨルさんが来てくれたことで研究は多いに進んだ、彼女自身の優秀さもさることながら彼女の提供してくれた細胞は素晴らしいわ、それだけでこれからの何十年の研究内容に匹敵する、だからこそ、これからもよろしく」

「ええ、こちらこそ」

 ヨハネがそう言って差し出した手をヨルさんが握る

 この頃、ヒカリちゃんの体調が優れないことが多くなっていた

 私がお見舞いに本を持っていっても読むことが出来ないくらいに

 そこに来て珍しい細胞を持つヨルさんが研究に加わって、そこからヨハネは変わりだした

 ヒカリちゃんの為であればどんなことも厭わなくなった

 元々は私がそういう立場であったはずなのに気づけば私は二人の行動を一歩引いたところから見ることが多くなっていった

 それは、ヒカリちゃんが大切じゃなくなったとかそういうことじゃなくて

 彼女と話をして、同じ本を読んで笑いあって

 研究一筋だったはずの私が人間の心に触れたことで、非人道的なことをすることに少しだけの罪悪感を覚えたからだろう

 とにかく、この頃のヨハネはもう、セントジャンヌ孤児院で他の孤児達のことを憂いでいたヨハネではなくなっていたのは確かだ

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