「ダイチさん、あなたまで部屋を抜け出して……」
礼拝堂に入ってきたダイチを見てシスターはため息混じりに頭を抱える
「だ、ダイチ……なんでここに……」
秘密の逢瀬が弟にばれていたことに私の口は動揺の言葉を漏らす
「……姉ちゃんが、最近……いやさっき出てくのを見て気になって……」
「あなたもまた、他の子供達とは違う反応の出ている子ね」
こちらまでやってきたダイチの頭にもヨハネさんは手を乗せる
「数値含め見ていた感じだと、君は……オメガウイルスの副作用に対する強い対抗症状があるようだね、他の子供達よりも感受性が残っているのがその証拠」
ダイチの後から部屋に入ってきた女性は感情の見えない声で端的にそう話した
この人は
「アカネ先生」
ヨルさんはその人のほうを見てそう呼んだ
確か、ヨハネさんが引率して光の使者を連れてきた時にその後ろに立っていた人だ
「こっちの彼は……周りとの共感性が大分上がってる、それも血縁のある彼女とはより強く、だからこうして彼女がどこで何をして、どう思ったのかをすぐに理解して行動に移せた、面白い症状だと思わないか? ねぇヨハネ先生」
アカネ先生、そう呼ばれたこの人はまるでモルモットでも見るような瞳で私とダイチの顔をして見比べるとダイチの肩を指でトントンと叩いた
「ええ、そうね、それに……」
その言葉に賛同の意を示しながらヨハネさんは自身の顎に手を添えて続ける
「ソラが興味を示したのも面白いわ、これだけ明るい子ならヒカリのことも励ましてくれるかもしれないわね、最近あの子は……すっかり塞ぎ込んじゃってるから」
言いながら少し物悲しそうな顔をしてヨハネさんはソラちゃんの頭を撫でた
この人は、頭を撫でるのが癖なのだろうか
そして、現在のソラちゃんはヨハネさんのことを話すときそれは憎々しげで、憎悪の念を隠すことすらしない程だったのに頭を撫でられている昔のソラちゃんは、満更でもない、といった様子だった
「この研究が成功すれば全てがまた上手く廻るようになるさ……その為にもこちらがへこんているわけにはいかない」
ヨハネさんの温厚さと比べてこのアカネという人は逆に丸で余裕がない、といった様子で私達には全くの興味を示さなかった
「そうね、ねぇこの子達二人をここからラボに移しましょうか? そのほうがきっと研究も進むわ」
ヨハネさんは名案を思い付いたというようにポンッと手を叩く
「オレ達を……また、大人の身勝手に巻き込むのか?」
そこで最初に声をあげたのはダイチだった
「ダイチ!」
私のダイチを咎める声が聞こえる
「姉ちゃんは知らないけど、オレは全部知ってる、ここの正体もおまえ達のやってることも、全部全部、オレの親……あいつらとなんら変わらない大人のエゴだ、決して正当化されていいものではない」
弱い十にも満たない少年の口から出るにはあまりにも大人びたその言葉に周囲の人間が息を飲む
そんな中ダイチのもとへと近寄ったのはアカネさんだった
「……脳の成長、というよりは、共感性の向上から色んな相手とこうして対面することで全てに気付いた、と……だがそれを知って君に何が出来るのだろうか?」
自分よりも小さい少年に対して上から見下ろしながら下される言葉はあまりにも冷たいものだった
それは決して子供などにはどうにも出来ないのだ、と突きつけているかのように
「……」
「止めましょうアカネさん、ヨハネ先生、いきなり環境を変えるのはよくありません、マウスの時もそうですが急な環境変化は良いほうに転ぶとは限らない、特に彼のように共感性や感受性に強く影響を受けている子なら余計にそうです、このままウミちゃんと一緒にここに残し、定期検診を増やす、それが最善かと、ソラの変化を見たいのであれば暫くソラだけここに預ければいい、今の環境に良い感情を抱いていないソラも環境が変われば少しは落ち着くと……ソラ?」
その場の空気をどうにかするために口を開いたのはヨルさんだった
ヨルさんの言葉には正統性があった
しかしマウス云々の話含めてやはりヨハネさん同様にソラちゃんから聞いていた印象とは少し違う
ソラちゃんから聞いた話では人体実験の被験者で散々ヨハネによって実験された末に死んだ、そういう話だった
だがここまでの記憶を見る限りではどちらかといえば研究者寄りではないか
そんな逡巡をしていれば小さくソラちゃんがヨルさんの服の裾を引っ張るのが目に入った
「……私は、姉さんと離れたくない……」
「ソラ……」
年相応にむすくれたソラちゃんの表情に急にシリアスな空気からほのぼのへと私の脳だけが投げ出される
今のソラちゃんからは想像出来ない表情だ
だがソラちゃんがここに残らないとなるとまた他の方法を考えなければいけないのもまた事実の筈
「じゃあこうしましょうか、ヨルがウミさんとダイチさんの定期検診を担当して、その時にソラも同伴する、そうすれば全て御の字ね」
困っているヨルさんを見ていたヨハネさんが手をパンッと叩いてからそれだけ言って名案というように人差し指を立てる
やはり、ソラちゃんから聞いていたヨハネ像との違いとヨルさんが検診をする、という言葉から
ヨルさんが研究者側であったことが推察から断定に変わっていく
ソラちゃんが、意図的に嘘をついていたようには見えなかったし何よりも、私のこの記憶はダイチによって封印されていたものだがソラちゃんは何故このことを覚えていないのだろうか
私と幼少期知り合いだったなんて話は一度も出ていないし本人自体知っている様子がない
「……ヨハネ先生、そんな悠長なこと言ってる場合では――」
そんな堂々巡りもアカネさんの言葉で遮られた
こうして考えている間にも私の記憶は止まることなく再生されていくのだ
「アカネ、私達はあくまで国の名のもとにこういう場を設けて貰っているだけ、彼女たちは協力者であり被験者であり……被害者よ、これ以上無理強いは出来ないわ」
……やはり、何かがおかしい
「でもあの子の為にも早く薬を作らないといけないのは……」
「そうね、それは変わらないから研究を止める気はないけれど……この子達にも意思はあるのよ、きっとこれ以上の強要をヒカリは望まない」
「……」
ヨハネさんがヒカリ、という名前を出した瞬間アカネさんの勢いが鈍る
「それにオメガウイルスの研究は上手くいってる、このまま上手くいけば……色んな人の助けになる薬が出来るわ」
ヨハネさんはまた私の頭の上に手を置いて
「そう、そして……ウミちゃん、あなたのそのオメガウイルスに対する身体の反応しかり数値は確実にオメガウイルスの完成を早めるものになる、一緒に頑張りましょう」
そう言って笑った
本当に、彼女が、この世界をこんなことにしてしまった張本人だと言うのだろうか
少なくともアカネさんという人や、ヨルさん以上に優しい人のように今の私の瞳には映っていた
(ここで、止める気は、ないんだな……)
少し久しぶりに脳内でダイチを名乗る彼の声がする
(ここで止めておけば、後悔なんてしないで済むのに)
止めないよ、ここで止めたら、何も分からなくなってしまうから
私は、ダイチの悲しそうな声を振り切って、より先の光に目を凝らした