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第41話 指切りの約束

「あれ、また……少しだけ頭がスッキリして」

 私から口を離した底無しちゃんはまた少し人間的な感性を取り戻しているようだった

「底無しちゃんは……食べたくて人を食べてるわけじゃないんだね」

 私は今見た記憶から流れてきた感情にすっかりと飲み込まれてしまい、バタバタと血を流す右腕の痛みもそれほど感じることはなかった

「え、それは……そう、なのかな……」

 そうか、ゾンビになってかずっと意識は霞がかっていてそれすらも、分からないのか

「お腹が空くのに閉じ込められて、何も食べられなくて、つらい……よね」

 私はぽつりぽつりと呟きながら底無しちゃんに歩み寄る

「ち、近付かないでっ……」

 底無しちゃんは少し怯えた様子で後ろに下がる

「家族を自分が手にかけた、痛かったよね……」

 私は言いながら底無しちゃんの頭に手を乗せる

「何がっ、わかるの……わかった風に言わないで……」

 底無しちゃんの瞳は、あの時の自分によく似ていた

「分かるよ、私もこの手で弟を殺した」

「っ……」

 弟を殺した時誰も私を責めなかった

 つらかっただろう、よくやってくれた

 そんな言葉ばかりかけられて、ただただキリキリと締め上げられるように心臓が痛かったことをよく覚えている

「それだけじゃない、昔いた孤児院が酷いところでね、折檻もあったし酷いときはよく反省室に閉じ込められたっけ……ドブネズミが走ってて、寒くて怖かった」

 私が昔いた孤児院、セントジャンヌ孤児院はそれは酷いところだった

 いや、酷い、というのは少し違うかもしれない

 とても厳格なところだった

 朝にはお祈りがあったしご飯の前もお祈りと、神様からお恵みいただいたという何かの種、のようなもの、おそらく今考えればあれは錠剤、薬だった

 それから身体を清めるミサのようなものもあった

 でも、あの頃のことはあまり思い出せないことも多い

「……」

「食事も勿論抜きだけど、そういう時に必ずパンとかを隠れて持ってきてくれる人がいた……それがね、弟だった、でもこんな世界になって私は弟を殺した、そんな優しい弟を」

 私は底無しちゃんに視線を合わせて自分でも思い出しながら続ける

 弟を殺してからより孤児院での出来事は日が経つにつれて私の頭の隅のほうへと押しやられていくようになった

「お姉、ちゃん……」

 殺した、という言葉に底無しちゃんが反応を示す

「今でもね、頭のなかで声がする、罪悪感から作り出した弟だって名乗る人格が、変われって、変わればお前の敵になるやつは殺してやる、助けてやれる、だから変われってずっと頭のなかで五月蝿くて、孤児院の時のことだって忘れればいい、思い出す必要なんてないんだって、いつもだったら抵抗も出来ずに飲み込まれて、目が覚めたら全てが解決してる、自分に良いように……だから周りの私を見る目はいつだって、悪魔でも見るような目だった」

 その言葉の通り忘れていってしまった自分の過去を拾うようになったのはソラちゃんと出会ってから

 自分の罪から逃げるのを止めたのと同時に昔の記憶からも逃げることを止めた

「それでも、なんで抵抗するのか、それはきっと、この悪癖を認めてくれた人がいたから、だからその激情に負けないように、負けないようにってずっと戦ってる」

 ソラちゃんが私を見てくれるから、自分のもう一つの人格とこうしてしっかり向き合えるようになったのだ

「私は、そんなあなたに寄り添いたい、人の痛みを全て知るなんて無理だから、あなたのすべての痛みを分かってあげることなんて出来ないけど、少しなら、痛みを共有出来ると思ってる」

 一人でも、誰かが自分の痛みと寄り添い、共有して、認めてくれる

 それだけで心の持ちようが全然違うことを私は知っている

 だから、私にとってのソラちゃんのようになれないか、なんて思ってしまうのだ

「……でも、どうせまた、すぐに元に戻る……なんでたまに頭が鮮明になるのかも分からない」

 頭を撫でる手をどかして底無しちゃんはそっぽを向いてしまう

「それは……私にも理由は分からないけど、もしかしたら人間の血肉を取り込んだからなんじゃないかな、私に噛み付いた後に少しだけどこうしてお話が出来るようになってる、だから……あまりに苦しければ私に噛み付いたらいい」

 そう言って私はまだ血の止まらない腕を前に差し出す

 きっときっかけは人間の血肉だ

 流れ込んできた感情の隆起と過去の記憶の理由は分からない

 でも底無しちゃんの状態を見るに人間の血肉を接種出来た時に少しの間、接種した分だけ自我を取り戻しているように思えるのだ

 それ以外のファクターが思い付かない

「そ、んなこと……人間は、痛いと死んじゃうんだよ」

 底無しちゃんは慌てたようすで私の腕を押し返す

「大丈夫! 私身体は頑丈なほうだから、少し噛まれたくらいじゃ死なないよ」

 血の止まっていない腕で力こぶを作って笑って見せる

 きっと今ここで、私が痛がったり、少しでも苦痛な表情を浮かべればきっとこんな風に話をする機会だってもうなくなってしまうだろう

 だから、無理やり痛くないというように振る舞う

「でも、歯止めが聞かなくなったら……殺しちゃうかもしれない……」

「そこは、自分と戦おう、私みたいに……感情に飲み込まれないように戦おう、つらいかもしれないけど、苦しいかもしれないけど……それでもダメだった時はお姉ちゃんが止めるよ絶対に、私は弱いし非力だけど、絶対に止めるって約束する……はい!」

 私は昔弟とよくしたように小指をそっと差し出す

「……何?」

「指切り、したことあるかな?」

「……ままとしたことある」

「それなら分かるね、自分に負けないっていう指切り、もし暴走しそうになったら」

 私はそっと差し出された小さい小指に自分の小指を絡めると

「今のことを思い出して」

 しっかりと瞳を見てそれだけ言うと小指を切った

「……うん」

 底無しちゃんは、暫くは指をずっと眺めていたが、また時間が経つにつれて自我は薄れていきまた出会った当初のような少しおかしい様子に戻ってしまったがそれでも私を食べる為に食らいついてくるようなことはなかった

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