「もういーかーい」
広い地下街に少女の声がこだまする
「まーだだよっ!」
ガアンッ!!
思い切り、なにかを殴ったようなその音にひっと悲鳴が漏れそうになるが両手で口を押さえつけてなんとか我慢する
「どこかなー、どこかなー、美味しいごはんー」
今、底無しは私を探しているのだろう
見つかったら……食べられるのか
いや、でも、私の特異体質を相手は調べたいんじゃなかったろうか
「おっなか空いた、お腹がすいたー、アングリー、アングリー、アングリー」
駄目だ
余計なことを考えるな
余計なことを考えていれば死ぬ
それが肌身に感じてわかる
底無しと呼ばれた少女
彼女は、異常だ
「ここかなぁー?」
ガアンッ!!
またひとつ、おそらくシャッターが壊された
「こっちか!」
バキッ!!
また、ひとつ
どうする、私が隠れているシャッターまで彼女が来れば詰みだ
最悪なことに慌てて勢いで入ってしまったこの場所は隠れられるようなものもない
「あー、お腹すいたお腹すいたお腹すいたぁ!!」
ドォンッ!!
さっきまでは楽しそうに歌っていた筈の底無しは今度は怒りの感情を隠すことなく力任せに何かを壊したようだった
「かくれーんぼ、楽しいなぁ、食べたいなぁ」
少しずつ、ぺたり、ぺたりと裸足の足が床を踏む音が近付いてくる
ソラちゃんは戦うことは考えず逃げることに徹しろと言っていた
でもここから出れば確実に見つかる
どこか、底無しがどこかのシャッターを壊したタイミングで私もここを抜け出して別の場所まで走って今度はもっと物の多いお店に入って奥に隠れる、というのはどうだろうか
どうも底無しはそれぞれのお店のシャッターを壊しこそすれど音の感覚からして中までは確認している様子はない
今なら、逃げられる
そう思った時だった
「お腹……すいたのに、なんでいないの……う、うぁぁぁあぁ!!!」
まるで子供が癇癪を起こしたような大声が響き渡り、シャッターの前で屈んで様子を伺っていた私の頭から上の部分が全面的に何かに齧り取られたように抉れた
「あ……」
「見ーつけたぁー」
底無しは私を見つけると焦点の合っていない瞳でニタリと笑った
周りを見渡せば何か重機でも使ったかのように私がいたほうの通路の他のお店も含めて左側の壁が思い切り抉れていた
これをしたのは底無しの異能なのか
だが、ソラちゃんの異能だって凄かったがこれを一人間がしたのだとしたらそれは異能を超えて異常だ
「あ、また逃げるのー」
私はソラちゃんの言い付けを守って考える前にまた走り出した
逃げながら少し振り返るも後ろから追う底無しは走る気はあまりないようだった
「ぐるぅ……ぁ……」
「しまっ……」
底無しから目を離して目の前に視線を戻すとそこにはゾンビがいた
そうだ、ここは地下街
普通のゾンビだって多い場所だ
底無しにばかり気を取られて他への警戒がおろそかになってしまっていた
「っ……」
私はゾンビに押し倒される形で地面にしたたかに背中を打ち付ける
噛みつかれるのはバールを横にもつことでなんとか凌いだ
しかし、このままでは底無しが来る
バールを両手で持っているから銃もナイフも取り出すことが出来ない
どうする
どうすればいい
そう必死で思考を巡らせていた時だった
「あ、おやつー、いただきまーす!」
びちゃりっ……
底無しの声がしたかと思うと私の上に乗っていたゾンビは身体の大半を抉られて肉片を降り注がせた
「ゔ……」
自分の上に巻き散らかされた肉片に吐き気が込み上げてくる
でも、吐いている時間などない
私は底無しのほうを振り向いた
「……っ、それは」
そこにいた底無しは明らかに先ほどまでとは違った
右腕のあった筈の場所には、大きな口がついていた
例えるのであれば、肉食植物をよりグロくしたようなものだ
その口で、先ほどのゾンビを咀嚼して、飲み込んでいた
「じゃあ、次はお姉ちゃん、それじゃあ、いただききまーす」
私の眼前で開く口
すっかり腰を抜かした私は何も抵抗することも出来ず、眼前に迫る口を見ているしかなかった
ああ、食われるのか
そう、ただ悟って、目を強く瞑った
しかしその後痛みが襲ってくることはなかった
「あれー、お姉ちゃんは白い髪の毛……食べていいのは、黒い髪の毛……? じゃあ、食べたらダメなほう……うぅ、私もあっちがよかった!!」
底無しのそんな駄々をこねるような声にそっと目を開ければ少女の腕は元に戻っており実際にペタペタと駄々を踏んでいた
「っ!!」
私はそれを好機と踏んで震える足で立ち上がるとそのまままた駆け出した
「あ、ダメだよ逃げたら、白いほうは捕まえたらー、黒いほうは食べていいって約束なんだもん」
底無しの言葉にピタリと走っていた足が止まる
「今、なんて……?」
私はソラちゃんに決して話すなと言われている底無しに聞き返す
「えー、逃げたらダメだよーって」
底無しは不思議そうに首をかしげながら舌足らずに喋る
「そこじゃない、黒いほうはどうしていいって?」
白いほうは捕まえる
黒いほうはなんて言った
「んー、食べていい!」
やっとこちらの意図が通じたのか元気一杯に底無しはそう叫んだ
「……ああ、また、ソラちゃんにバカって言われちゃうけど……それでも、ソラちゃんが私に戦いかたを教えてくれたのはこういうときのためってことに良いほうにとらえても別に問題はない、よね」
私はバールを左手に持ち変えると右手でナイフを取り出した
「……遊んでくれるのー?」
逃げるのを止めた私を不思議そうに底無しが見つめる
「ええ、遊んであげる、ソラちゃんを食べさせるわけには、いかないから」
はっきりいってソラちゃんに訓練をつけてもらっているからといって私が強くなったのかといったらそうでもない
少し動けるようになったとか自身の命を守る術を少しずつ身に付けてるとかその程度で、ソラちゃんが絶対に会いたくないと言っていた相手と戦って勝てるとは到底思えない
それでも、ソラちゃんを食べられるくらいなら、私が命を賭ける理由には十分だ