「カナタ、一体どうしたんですかそんなに慌てて」
入ってきたのがカナタさんであると分かるとソラちゃんは警戒を解いた
「慌てるに決まってるじゃない! 大変なことになったのよ!」
だがそんなソラちゃんを尻目にカナタさんは慌てた様子で捲し立てる
「大変なこと……ですか?」
「そう! ソラちゃんを追跡して抹消するっていう任務が取り止めになったの!」
「それは……良いことなんじゃないですか?」
聞く限りでは嬉しいことなのに何故カナタさんはこんな困窮した表情なのだろうか
「……」
ソラちゃんはソラちゃんで顎に手を当てて何か考えているようだった
「全然いいことなんかじゃないわ! ソラちゃんは一旦後回しになっただけ、それよりも優先するべきことが出来たから」
「優先するべき……こと、そんな一大事が起きている、ということですか?」
「それでも、これからソラちゃんが危険な目に合わないのなら、いいことなんじゃ……痛っ!」
国の根底を揺らがせかねないほどの機密情報を所持しているソラちゃんの抹消を後回しにするほどに重要な出来事が起きている
それでもソラちゃんの身の安全が確保出来るならそれに越したことはない筈だ
だがそんな私の肩をカナタさんが思い切りひっぱたく
「そんなこと言ってる場合じゃないわっ! ソラちゃんよりも優先されたこと、それはある人物の捕縛、狙われているのはあなたよ、ウミちゃん」
「えっ……私、ですか……?」
突然あげられた私の名前に動揺を隠せない
「そう、ホシノちゃんからの報告であなたがゾンビに噛まれてもオメガウイルスを体内に宿すことのない特別な体質ということをヨハネが知った、そしてあなたの細胞がオメガウイルスの完成に役立つと考えたヨハネの方針であなたを生け捕りにすることがゾンビイーターの最優先事項となったのよ」
「また、ホシノが……」
ソラちゃんが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる
「……」
私は、何も言えなかった
「どちらにせよ、どっちが追われる立場になろうと、追手が増えようと何も変わりません、私達は二人で、ユートピアを目指すんですから」
まるで他人事のように進む会話の応答そしてソラちゃんの断言にふっと自分の口許がひきつるのを感じる
「それは、出来ない……」
私は何とか口を動かしてそれだけ伝える
「は……?」
普段あまり聞かないソラちゃんの声のトーンに少しだけ心臓の鼓動が早くなるがそれでも言わなければいけない
「そんなことは出来ない、ソラちゃんに迷惑をかけるぐらいなら私は一人で逃げる、そうすればもうソラちゃんが誰かに追われながら生きる必要はなくなる」
そう、あとは私一人で逃げ続ければ、私が捕まらない限りソラちゃんの安寧はずっと保持され続ける
「……それは、本気で言っているんですか?」
ソラちゃんの声色がまたワントーン下がる
もちろん、本気に決まっている
「本気だよ、今までありがとねソラちゃん、色々と迷惑もかけちゃって――」
「何を、言っているんですかっ……! 私は、あなたが追われることになったからといって離れて、一人で安寧を得るなんてあり得ないことです」
慌ただしく話を締めにかかる私の両肩をソラちゃんが強く掴む
私はそのソラちゃんの腕に手を掛けると真剣に瞳を覗き込んだ
「……片手間にソラちゃんを追いかけていた時点でこんなに追い詰められることがたくさんあった、それが本気で探しに来るなんて、二人でいても助からないかもしれない、それなら一人だけでも逃げるべき、私の考えは変わらないよ」
二人で旅をしていて大体何か問題が起きた時、その原因となっていたのは私だった
それならば私がいなくなれば一石二鳥ではないか
ソラちゃんは追いかけられず、下手な正義感とか自己愛のために動く人間と別れられて危険な目にあうことも減る
「……」
ソラちゃんはまた何か考えているよ……うで、それでも私の肩から手を離そうとはしない
「とりあえず荷物をまとめないと……ソラちゃん……?」
出ていくにしてもテントを畳んだり荷物をしっかりと詰めなおしたりと色々としなければいけない
だがソラちゃんは手を離すどころかより強く私の肩を掴んで覚悟を決めた瞳でこちらを見て口を開いた
「申し訳ありませんが、それだけは許容出来ません」
「でもっ……」
あれだけ説明したではないか
そう続けようとしたのにそんな隙をソラちゃんは与えてくれなくて
「でももだってもありません、ダイチさんにも言われました、私があなたに甘すぎると」
「ダイチが……」
ダイチがまた、変なことを言ったのか
「普段であれば、あなたに甘かったとしても、まぁ問題ないとは言いませんがそこまで気にすることではない、しかしこれだけは引けません、あなたに引けないことがあるように私にだって引けないことがある、今回は通させていただきますよ、私の我が儘を、散々あなたの我が儘を聞いてきたんですから」
「……」
そうだ、ソラちゃんはいつだって私の無茶振りも我が儘も最後には折れて聞いてくれた
トトのことも、リアのときも
だから、今回も折れてくれると思っていた
でも今回に限っては、絶対に折れることはしないと断言したソラちゃんの表情からもそれが本心で、それを押し通すつもりだということがわかった
「何度も言いますが、約束したじゃないですか、二人でユートピアへ行くと、連れていってくれるんでしょう? 私を、私のこの死んだ身体を治してくれる解毒剤のある楽園へ、忘れたとは言わせませんからね」
ソラちゃんは言いながら前のぎこちない笑顔よりも少しだけ、ナチュラルになった笑顔を浮かべて私の額に自分の額を当てた
「……うん、覚えてる、ちゃんと覚えてる」
ユートピアのことも、二人で行くということも
自分が言ったんだ
忘れるわけがない
「あなたが悪癖というそれだってそうです、二重人格であろうとなかろうと私にそれは関係ないことです、あなたはあなたなのですから、それにむしろ頼もしいじゃないですか、あのホシノですら動揺させるあの物言い、これからの旅で必ず役にたちますよ」
「そんなふうに、言ってくれた人は……初めてかな、ありがとう、ソラちゃん」
ソラちゃんはいつだって初めてをくれる
初めてユートピアを笑わないでくれて
初めてダイチという存在を肯定してくれた
「そもそも追われている私についてくるなんて喜天烈なことを最初に言ったのはあなたですしね」
「まぁ、そうだけど……え、何?」
ソラちゃんは何か企み顔でおでこを離すと私の髪の毛を撫で付ける
「……動かないでください」
そしてそのまま
「っ……!?!?」
私の前髪にキスを落としたのだ
「この間のお返しです」
私が髪の毛を押さえて後ろに後ずさればいたずらっ子のような顔をしてそう言った
「あれ、気付いてたの……」
私がソラちゃんの背中に口づけをしたことは気付かれていたのか
今の私の顔はきっとリンゴのように真っ赤だろう
ソラちゃんに見られてはいるが鏡がなくて本当によかった
自分で確認してしまえばもう耐えられない
「感覚がそんなにないと言っただけで何かが身体に触れている感覚ぐらいはわかりますから」
「マジかぁ…………」
そうだ、ソラちゃんは感覚があまりないと言っただけで完全にないとは一言も言っていなかった
「あのー、盛り上がっているところ申し訳ないのだけれど、そういうことは二人だけのときにしなさい?」
「あ゛」
「……」
カナタさんが少し気まずそうに声をあげたことで現実に引き戻される
私は変な声を漏らし、ソラちゃんは気まずそうに視線を反らした
「まぁいいわ、それにしても面白いわねあなた」
カナタさんは言いながらしげしげと私のほうを見やる
「わ、私ですか?」
「そう、オメガウイルスを宿さないその身体、ホシノちゃんの話と今の話で出てきたもうひとつの人格、興味があるからちょっと色々と調べておいてあげるわ、とりあえずここら辺は総当たりで探しに来ると思うから早めに逃げることをおすすめするわ」
「……」
楽しそうに私の額をぐりぐりと押すカナタさんにふと、純粋な疑問を覚えた
「どうしました?」
私が黙ったことで心配そうにソラちゃんが私の顔を覗く
「今さら、かもしれないんだけど、なんでここまでカナタさんは親身になってくれるの? こんなことがばれたら自分も無事では済まないし、居場所が分かるなら私達を追うのも簡単でしょ? なんで追ってに任命されないの?」
元々カナタさんと初めて遇った時からソラちゃんはカナタさんのことは全面的に信頼して信じていた
疑うこともせずに
同僚時代それほど親密な関係だったのだろうか
「……本人目の前にして面白いこと聞くわねー」
「あ、ごめんなさい……」
咄嗟に謝るがカナタさんは特に気にしている様子はない
「私は、ヨルに頼まれたことをしているだけ、自分が死んだらソラちゃんのことを見ててやって欲しいって、だから私はソラちゃんと敵対しないの、バレて自分が死ぬことになるとしても」
「ヨル……さん」
一度、前にも名前が出てきた
初めてカナタさんに遇った時にもその名前を言っていた
「……ヨルは、私の姉です」
「っ……!」
ソラちゃんの補足にぐっと息を飲む
「そう、死者との約束ほど人を縛るものもなかなかないわ」
カナタさんは言いながら自分の首に手を掛ける
まるで、何かを思い出しているように
「私は姉に感謝しないといけないですね、カナタさんが敵であれば……もう私達はこの世にいなかったでしょうから」
「え゛っ……」
ソラちゃんは特に誇張しているわけでもないというようにサラっとそう言ってのけた
ソラちゃんは、トトの時もホシノの時も負けるわけがないという姿勢を崩すことはなかったのに、このふわふわとした、なんというか無害そうなこの人は、あれ程までにゾンビを圧倒したソラちゃんですら認める程に強いということなのだろうか
「そうだ、せっかくだし占ってあげるわ、私占いが得意なの、ほら一枚引いて?」
私の気持ちなどいざ知らず、カナタさんは楽しそうに笑顔を浮かべるとどこからかタロットカードを取り出して私の前に差し出した
「これ、ですかね」
特に迷うことなく引くとそれは車輪? のようなものと雲が写ったカードだった
「……運命の輪の逆位置、あまり良くないわね」
それを見たカナタさんは少し残念そうに眉をひそめる
「どういう意味なんですか……?」
「転落、悪い転換が起きるという意味のカードですね」
私の問いに答えてくれたのはソラちゃんだった
「ソラちゃん詳しいんだね」
「そのタロットも元々姉のものですし姉の趣味でしたから」
なるほど、これもまたヨルさんが関係しているのか
「それから良くない出会いもあるかもしれない」
「……うわぁ」
カナタさんの嫌な情報の追加に頭を軽く抱える
そんな私を見てカナタさんはまた笑った
「恋愛面で見たら、2人の関係性はこれからも変わらないって意味にも取れるから、そっちだけ信じてればいいのよ、占いなんて良いことだけ覚えておけばいいんだから」
「占った本人がもとも子もないことを……」
ソラちゃんの突っ込みも納得出来る
果たしてそれは、占いをする側の人が言っても良いことなのだろうか
「じゃあお姉さんから一つ良いことを教えてあげる、このまま北上してある人物を探して、どこかの個人シェルターにいる筈だから、その人は月陽の都を知っている、名前は……アカネ、それじゃああなた達のこれからに幸があらんことを」
カナタさんは沢山の聞きたいことを残してそれぞれソラちゃんと私の頭に優しく手をのせて祈りの言葉を唱えると聞き返す間もなく現れた時のように疾風のように去っていった