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第10話




「うん、もう大丈夫みたいだね」


 腕を大きく振りながらそう言うカルナに、ヴァリエナは首を傾げた。カルナが戻って一週間。安静にと約束した通り、カルナは庭先に出る以外は家でのんびり過ごしていた。その間、家の補修もお休みだ。


 早く修理してしまいたいというカルナに、ヴァリエナはリィザと一緒に止めたのだ。カルナは今日から働く気満々で腕を捲っている。


「早すぎませんか? 折れていたんですよ?」


「僕は回復が早いんだよ。慣れてるからね」


(慣れるって……)


 呆れつつ、実際に平気なようなので、ヴァリエナも諦めた。自分の主人は働き者らしい。


 ヴァリエナたちは結局、カルナから何があったのか聞けなかった。勿論、カルナからも説明はない。本当は聞きたかったが、思い出させるのは可哀想だ。悲惨な拷問で、心まで挫かれなかったのだから、カルナは強いのだろう。今後どうなるか不安ではあったが、ヴァリエナたちには見守ることしか出来ない。自分がまだ王女だったなら、何か出来たかもしれないと思うと、歯痒かった。


 ヴァリエナたちの中でカルナは、『王族か貴族の隠し子』ということで落ち着いた。まだ異端者の可能性は捨てられていないが、そっちの方が気持ち的に楽だからだ。


「取り敢えず今日は、ミストナーク村に行くよ。僕も道具を揃え直さないと。あとで大きい街にも行くようだな……」


 ブツブツと独り言を言いながら、カルナは風呂に水を張った。タイルの接着剤が乾いたので、水が漏れなければ補修は完了だ。風呂場は広く、大人が四、五人は余裕で入れそうな広さがある。湯が出るのはライオンを象った彫像の口で、口の中に浄化の石もあるようだ。


「大丈夫なようです」


「良いね、今日から皆、入れるね」


 ヴァリエナは一瞬、黙った。


「私たちも、使ってよろしいのですか?」


「? 当たり前でしょ? あ、あー、気になる?」


「何がでしょうか?」


「いや、その、お湯がね……。あれだったら、僕が入ったあとお湯は入れ替えて良いからね!」


 ヴァリエナはきょとんとして、それから首を振った。どうやら、残り湯を使うのが嫌なのか確認されたらしい。


「滅相もない! 大丈夫です」


「そ、そう?」


 恥ずかしそうにするカルナに、ヴァリエナは今まで抱いていた疑問が、余計に大きくなった。




   ◆   ◆   ◆




「なるほどねぇ、別に男色家じゃなかったか」


「ええ。あの反応ですから、ちゃんと女性は意識されていると思うんですが……」


 シーツを干しながら、ヴァリエナとリィザはそんな話をしていた。


 ヴァリエナたちの疑問は、未だにカルナから夜の相手を命令されない事だった。家の補修がなく、暇になれば呼び出しがあるかもと覚悟していた二人は、怪我に障ると逃げようとしていたのだが、結局呼び出しはなかったのだ。健全な男なら、一月以上そういう行為がないのは不自然だろうと、二人の中でカルナは、男色家かもしれないと憶測が飛んでいたのだ。


 だが、ヴァリエナたちに対する態度からして、女性を意識していないとは思えない。


「解らない人だねえ」


「逆に落ち着きません!」


 いっそ、一度やってしまえば腹が括れるのにと、最近ではヴァリエナの方がやきもきしている。まるで、声がかかるのを待っているようで、それも腹立たしい。


「やはり幼女愛好家なのでしょうか……?」


「確かに、ミルフィーネを見るときの笑顔は、心底嬉しそうだからねえ」


 カルナは、ミルフィーネに対して優しい笑顔を見せることが多い。頭を撫でることもあった。幼いところのあるミルフィーネだが、あまりに子供扱いだ。


「目を離せませんね」


「違いないね。あの子もすぐに大きくなる。二、三年逃げ延びるだけさ。ところで、今日は買い出しに行くって?」


「ええ。定期的に行くようにしたので、食糧辺りは足りていますが、カルナ様のお仕事道具が心許ないそうです」


 材料さえあれば殆どは自分で作ると言うので、カルナはやはり器用だと、ヴァリエナは思った。革製の鎧も彼が作ったものらしい。


 水薬も作れると言うので、錬金術の心得もあるのだ。何でも出来るとは思っていたが、本当に底が知れない。


「じゃ、アタシは馬を出してこようかね」


「お願いします」




   ◆   ◆   ◆




 ミストナーク村に着くと、すぐに村の人間が集まってきた。カルナがいない間に交流をしていたようで、村の女や男たちが気安く声をかけてくる。笑顔で応対するヴァリエナたちに、カルナも会釈をした。


 三人は留守中、新聞を買うようにしたらしい。事後報告で聞いたとき、カルナは肯定しながら内心、微妙な気分になった。情報が入らない場所なので新聞を取ること事態は良いと思うのだが、大聖教の発行する新聞と言うのが引っ掛かった。


 他の新聞より中立的だが、大聖教に近いものとしては、あまり見たい記事ではない。


「どうも、お城のお嬢さんたち。今日は旦那も一緒ですか」


「どうも。幾つか見せてもらいたいんだが―――」


 そう言って、カルナは革や錬金薬の材料を注文する。そうやって交渉していると、外からの行商人らしい男が一人近づいてきた。


「失礼ですが、ヴァリエナ様でございますか?」


 男はヴァリエナに近づく。リィザが警戒した。カルナは笑みを浮かべながら近づく。


「は、はい……」


 戸惑うヴァリエナに、商人は大きな包みを取り出す。抱えるのがやっとな大きさの、薄い板のようなものだ。


「これは?」


「とある女性から、貴女に渡して欲しいと依頼がありまして。事情があって、今は姿を見せられないそうですが、この肖像画だけ渡したかったと」


「肖像画―――?」


 ヴァリエナの瞳が揺れた。ゴクリ喉を鳴らし、包みを解く。


 中にあったのは、髭を蓄えた威厳のある男性と、美しい女性。幼さの残る表情の、王妃によく似た少女と、王妃に抱えられた小さな少女。家族の肖像画だった。


「―――っ!」


「お母さま、お父さま……」


 ヴァリエナとミルフィーネは、その肖像を見て、口許を押さえる。涙を堪えながら、商人に問いかけた。


「その、女性はっ……?」


「さあ、解りません。黒い髪の、美しい女性でしたよ」


「っ、サテュルースだわ! 生きてる、のね……? 良かっ……」


 カルナはヴァリエナたちを横目に、ホッと息を吐いた。


 宮殿で肖像画を見たとき、持ち帰りたいと思ったのだ。あのままにしては、捨てられてしまう。


 サテュルースに頼み、ミストナークに向かう行商人に託してもらい、今日合流するようにしたのだが、上手くいったようだ。


 カルナは笑いながら、ヴァリエナの肩をそっと撫でた。


「良い絵だね。部屋に飾ると良いよ」


「はっ……、はいっ……!」


 懐かしい肖像画を、ヴァリエナとミルフィーネはいとおしそうに眺めた。その様子を、カルナはリィザと共に笑みを浮かべながら眺める。


「良かったな、ヴァリエナ、ミルフィーネ」


「ええ。全て失ったと、そう思ったので……」


 涙を拭いながら、ヴァリエナは大切そうに絵を抱き締める。


 不意に、背後の方から婦人たちの噂話が聞こえてきた。興奮ぎみに話しているうちに、大声になってしまったらしい。


「聞いたかい? 勇者さまが活躍したらしいよ!」


 勇者という単語に、カルナは胃を捕まれたような緊張感を覚え、声の方を振り返った。ヴァリエナたちも顔を向ける。


「恐ろしい吸血鬼だったって、あと少しで大変だったらしい」


「ウェルネス王国だったっけ? 不幸だったねえ」


「難民はゲルダ王国が受け入れるってさ。王妃の母親の出身国らしいよ」


 噂話に、ヴァリエナは瞳を揺らした。カルナはヒヤヒヤしながら、こそこそと移動を開始する。あまり自分の噂を聞くのは、気分が良いものではない。


 ちょうど革を運んできた村人の方へ、逃げるように移動する。早く購入して、ここから立ち去ってしまいたかった。




   ◆   ◆   ◆




 絵を抱き締めながら、ヴァリエナは胸の中に沸き上がった感情に、どうして良いか解らなくなる。サテュルースが生きていた。思い出を取り戻せた。その全ては、勇者のお陰らしい。


 スーリエルダ大聖教の『剣』である勇者は、世界に置いて特別な存在の一人だ。この世で唯一、聖なる剣を扱え、魔王を倒す可能性を持つ存在。


 各地の魔王による侵略を収め、恐ろしいモンスターたちと戦う勇者は、階級社会のこの世にあって、ただ一人枠組みから外れる人物だ。


 どの国に属することもなく、王からの命令を聞く必要もない。国境を越えるのにも許可は必要なく、各国の法も及ばない存在。


 ヴァリエナも噂程度には知っていたが、ウェルネス王国に勇者が来訪したことはなかった。どんな人物なのか、正直なところ、よく知らない。


「勇者様……」


 その勇者が、助けてくれた。闇のものに支配された王国を、呪縛から解き放ってくれた。サテュルースが顔を見せないということは、母は亡くなったのだろうと、ヴァリエナは思った。だが、生き残りも僅かに居るらしい。


 ヴァリエナの心に、一筋の光が射した気がする。


 誰も信じないと、そう頑なだった心が、僅かに揺れ動いた気がした。




   ◆   ◆   ◆




「レシピ集を作り始めたのか」


「はい。少しずつですが」


 そう言ったヴァリエナの表情は明るく、カルナが買った時と違って影がなかった。ウェルネス王国の件がひとまず解決し、ようやく区切りがついたのだろうと、カルナは思った。


 カルナの方は、いつ次の戦いがあるか解らないので、鎧や靴の再作成や錬金薬の作成を進めている。今回大量に消費した聖水はカルナには作れないので、大聖教の教会支部に顔を出すか、どこかの司祭に頼む必要があって、手付かずだ。


「アタシも文字を習うことにしたんだ。姫さんが教えくれるって言うんでね」


「リィザは覚えが早いんです」


「ミルフィーネも頑張ります!」


 三人の仲も良好だ。まだ彼女たちとの距離を感じる時があるが、徐々に仲良くなっていこう。いつか、「おかえりなさいませ」ではなく、「おかえりなさい」と言って貰うのだ。


 今はまだ、主人と奴隷以上の関係ではない。いずれ、友人になるのだ。


「家の補修も終ったし、あとは家具を揃えないとね。スタッフもそうだけど、警備雇いたいなあ……」


「奴隷を増やすんですか?」


「そうだね、奴隷か、長期雇用出来る冒険者か」


 冒険者はある程度、契約で縛れる。どんな人物かの調査は必要だが、人材がいないということはないだろう。カルナが未踏の国なら、顔を知らない冒険者も捕まるはずだ。


「……私たちだけでは、役不足……ですか?」


 ヴァリエナが眉を寄せる。カルナは笑いながら首を振った。


「とんでもないよ。ただ、雑務もまだまだ多いでしょ?」


「普通より大分楽だと思うけどねえ。まあ、城が広いのは確かだけどさ」


 そうなのだ。城にはたくさんの部屋がある。全て掃除していたら、彼女たちが疲弊すると、カルナは心配していた。休日だって必要だ。給与も相談しなければ。


(まだまだ、やることが多いな)


「カルナさま、ミルフィーネは何も出来ないです……。料理も、魔法も、馬車を操るのも……」


 しゅんと項垂れて悲しそうにするミルフィーネに、カルナは彼女の頭を撫でた。最初に来たときより、ふわふわで艶やかな髪になってきた。


「良いんだよ。ミルフィーネのお仕事は、笑顔で僕を迎えることだからね」


 ニッコリと笑いながらそう言ったカルナの言葉に、ミルフィーネ以外の空気が凍りつく。


「わかりました! カルナさま、頑張ります!」


「やはり、小児愛好者……」


「ヴァリエナ、しっかりしな!」


「?」


 何故なのか、ヴァリエナとリィザが青い顔をしている。


「ヴァリエナ、どうかしたの?」


「いえ、何でもございません」


「ほら、ミルフィーネ。一緒にこっこの世話に行こう」


 先程まで穏やかだったヴァリエナとリィザから、冷たい空気が漂ってくる。


 カルナは戸惑って、二人を交互に見るが、視線が冷たい。


「ヴァ、ヴァリエナ? リィザ?」


「私、お夕食の仕込みをして参ります」


 ヴァリエナはキッチンへ、リィザとミルフィーネは鶏小屋の方へと消えてしまう。一人広間に残されたカルナは、急に彼女たちが遠くなったのを感じて、ローテーブルに額を打ち付けた。


「お、おかしい……。何か距離感が……」


 他人と長く付き合ったことがない自分には、なにが機嫌を損ねるか解らない。だが、何か地雷を踏んだのだろうことは、理解できた。


 カルナは悶絶しながら、遠くなってしまった夢に、涙を流した。


「仕事で……。仕事でいいんだよぉ……」


 ―――どうか、女神様。願いを叶えてください。少しくらい、ご褒美が欲しいんです。


 涙ながらに、女神に祈る。


「仕事で良いので、笑ってくださいっ!」








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