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第9話





 風がびゅうびゅうと吹き荒れる。こんな夜は枝葉が屋敷の窓をコンコンと叩く音がして、落ち着かなくなる。


 ヴァリエナはカーテンを開けて、空を見上げた。夜空に輝く月明かりで、雲がぐんぐんと流れて行くのが解る。風がまるで目に見えているようだ。


 満月から四日たち、月は欠け始めているが、モンスターたちは相変わらず活発だ。月が膨らむほどに魔のものたちは力を増し、欠けるほどに大人しくなるのは古来から言われていることだ。今日もスメラルダの森からは、モンスターの遠吠えが聞こえている。


(もう二週間以上経つのに……)


 ヴァリエナは胸元をぎゅうと握りしめた。


 不在にしている城の主カルナが出掛けて、二週間が経つ。手紙など一度もなく、カルナがどこで何をしているかは全く解らなかった。素性の解らない主人ではあるが、こうも連絡がないと、ヴァリエナたちもどうして良いか解らない。


 無為に部屋を片付け、いつ帰っても良いように料理を仕込む。空いた時間にはミルフィーネに裁縫を教え、馬の世話をした。


 ヴァリエナは広間のローテーブルに載せたままの新聞に目を向ける。ここ数日、目立った記事はない。ウェルネス王国の情報も、あれきりなかった。


 新聞の端から端まで目を通しながら、何故こんなに気にしているのか、自分でも解らなくなる。毎夜遅くまでカルナの帰宅を待っている自分のことも、解らない。


 ヴァリエナは本当は気付き始めていた。秘密の多い主人ではあるが、もしかしたら悪人ではないのかも知れない。少なくとも、自分の使用人に危害を加える人間ではないのかも知れない。


 王家の人間として、正しくあれと育てられたヴァリエナだが、善悪の曖昧さも知らないわけではない。生きるために盗みを犯す者もいる。盗みで犯罪奴隷に落ちたリィザを、ヴァリエナは悪人だと突き放せない。


(難しく考えすぎなのかしら)


 ヴァリエナは溜め息を吐いて、薄く笑った。頭が固いのは利点にならないと、侍女だったサテュルースに良く言われたものだ。


 新しい人生を生きるのだ。もう姫でもない。柔軟にならなければ。


 ミルフィーネの為なら、罪を犯す覚悟くらいなければ、生き残れない。したたかにならなければ。


(だから、早く帰って下さい。カルナ様)


 カルナが消え、また奴隷になるのは困る。自分はだから心配しているのだと、心に言い聞かせる。甘い考えじゃ駄目だ。自分は姉なのだから。


 そう決意し、そろそろ休もうかと、テーブルに置いたランプに手を伸ばした時だった。


 不意に月が陰り、大きな羽ばたきが聞こえる。


「!」


 ヴァリエナはハッとして顔を上げた。月を遮って、銀色の竜が舞い降りる。


 慌ててランプを掴み、ヴァリエナは玄関へと向かった。鍵を開け、急いで外に飛び出す。ヴァリエナに気づいたシルドラが、サファイアの瞳を細めた。背に語るように首を動かす。


 シルドラの背から、カルナが顔を出した。


「ヴァリエナ」


「カルナ様!」


 カルナの姿を見て、ヴァリエナは息を呑んだ。かろうじて起きているようだが、酷い顔をしていた。目の下には隈が酷く、すっかり痩せてしまっている。旅に出たときに着ていた革の鎧はボロボロで、服も擦りきれ血が滲んでいた。


 ヴァリエナが駆け寄ると、滑り落ちるようにシルドラの背から降りたカルナを抱き止める。力が抜けきったカルナは重かったが、どうにかして支えた。


「っ……酷い怪我……。どうして……」


 青ざめながらヴァリエナはカルナを連れて玄関に向かう。取り敢えず近くのソファー寝かせようと、引きずるように連れていった。


「んっ、カルナ様、ソファーに寝かせますよっ……」


 カルナの返事はなかった。眠ってしまったのか、意識を失ったのかは解らないが、とにかくソファーに横たえる。あらためてカルナの様子を見たヴァリエナは、酷い有り様に気が遠くなるかと思った。


 そっと上着を脱がせ、怪我の状態を確認する。思わず一瞬、目をそらしてしまった。


 身体中痣だらけで、青黒く変色している無数にある大小様々な傷は、膿んでじくじくと傷んでいた。靴を脱がせ、ズボンも脱がせる。脚の方も酷い。大きく肉が削げ、粗雑に巻かれた包帯から血が滲んでいる。足は剣のような鋭利な刃が貫いたのか、ブーツを貫通して足に深い傷を作っていた。


(錬金薬による治療の痕はあるけど……)


 水薬などの錬金薬は、細胞を緩やかに再生する力がある。反面、自然治癒をねじ曲げる反動で、身体が拒絶し酷い副作用があるものだ。通常、戦争でもない限り、滅多に使用されるものではない。初めて使う者には、吐き出し高熱を出すものもいるという。


 とにかく、錬金薬なども使ったのであれば、これ以上は危険だ。傷を洗浄し痛み止めと化膿止め、大きな傷は縫合が必要だ。薬の類いはストック棚にあったはずだ。あとはお湯がいる。


 ヴァリエナは水を汲むとヤカンを火にかけ、急いで二階へと上がっていった。自分とミルフィーネが使っている部屋の隣に向かい、扉を叩く。程なくして、眠そうにリィザが顔を出した。


「なんだい?」


「カルナ様がお帰りになりました。酷い怪我なんです、手伝って!」


 リィザはパッと目を覚ますと、寝巻きのまま部屋を出る。


「怪我だって?」


「はい……」


 不審な顔のリィザに、ヴァリエナは難しい顔で呟いた。命にかかわるような怪我は治療してある。だが、放置していいものでもない。


「一体何だってんだ……」


 乱れた寝巻きを直しながら階段を下り、広間に向かう。ヴァリエナは部屋の燭台に灯りを灯して回った。暗がりでは治療も上手く出来ない。


 リィザはその間にカルナの様子を覗き込んで、絶句した。


「おいおい、何だってんだい!?」


 青ざめるリィザに、ヴァリエナは唇を結んだ。痛ましい、悲惨な姿だ。見ているだけで辛くなる。


「拷問を……受けたのでは……?」


「っ!」


 ヴァリエナの言葉に、リィザはそっとカルナの傷を確認し始めた。あまり触らないよう、慎重に触れる。その様子に、彼女は怪我に慣れているのだと思った。


「ああ、酷いね。肋骨が三本も折れてるよ……。脚も。これじゃ歩けないだろう」


「布を煮沸して来ます」


「アタシは泥と砂を拭いておくよ」


 二人は手分けして、カルナの手当てを始めることにした。




   ◆   ◆   ◆




 背の高い木の上に、黒衣の女が立っている。女は古城を眺めながら、頭を抱えていた。


「ご、拷問って……」


 我が主ながら、トンチンカンな考えをしているヴァリエナに、サテュルースは教育を間違ったかと思った。


 サテュルースの新しい『主』であるカルナテクタは、勇者として名高い存在だ。スーリエルダ大聖教の魔族討伐の旗頭であり、人類の希望でもある。確かに、偶像崇拝を禁じる大聖教なので絵姿などは出回っていないが、名前は教えたはずだ。少し勘が良ければ解りそうなものだが、ヴァリエナは想像すらしていないようだ。


「一体、何者が聖竜を連れているんですか……」


 頭を抱えるサテュルースに、シルドラが穏やかな瞳を向けた。慈愛に満ちた、母のような瞳だ。


『あの娘は、私をモンスターだと思っているのよ』


 サテュルースはギョッとした。その表情を見て、シルドラは可笑しそうに笑う。


『ヴァリエナは心配性なのでしょう。カルナテクタにはそのくらいの娘の方が良い。あの子を心配するものは、この世界には少々、少なすぎるからね』


「……確かに、そのようですね」


 ウェルネス王国から帰還するまでの間を思い、サテュルースは顔を曇らせた。


 全てが終わり、王国を解放した勇者カルナテクタを待っていたのは、労いでも歓待でもなく、叱責だった。サテュルースを生かして捕らえたことを、司祭に詰められたのだ。疲労と怪我でボロボロのカルナが鬼の形相の司祭に罵られる様は、見ていて不快で、とても悲しかった。


 カルナはサテュルースにとって英雄で、命の恩人だ。だが、大聖教にとっては違うのだと、サテュルースは感じた。彼らにすれば、勇者は道具なのだろう。思いの通りに動かなければ、『故障』したと考える。カルナはおよそ人の扱いをされていなかった。


 手当てをしたのも、結局本人とサテュルースだ。道具も十分でないため、あとはヴァリエナたちに頼むしかない。カルナはヴァリエナたちに、まだ勇者だと名乗っていないらしい。それを聞いたサテュルースは、(バレているだろうに)と思ったのだが、そんなことはなかったようだ。


 勇者だと知られたくないカルナと、王妃を守れず吸血鬼に堕ちた自分。まだ、ヴァリエナの前に姿を現す勇気がなかった。臆病なのは、カルナもサテュルースも一緒だ。人ならざる者に変貌したサテュルースを見て、怯えたヴァリエナやミルフィーネの顔を見るのが怖い。


(しばらくは、遠くで見守りましょう)


 カルナからヴァリエナたちが奴隷に落ちていたと聞いたときは、絶望し自害しようとしたサテュルースだが、こうして無事な姿を見て、ようやく安心した。勇者カルナテクタに拾われた幸運を、このまま逃しては駄目だ。


(王と王妃の代わりに、貴女たちの幸せを見届けましょう)


 サテュルースは赤い瞳を細めて、忙しく働くヴァリエナの姿を眺めていた。




   ◆   ◆   ◆




 気を失って六十時間ピッタリに、カルナは目を覚ました。いつも不思議だなことだが、水薬の反射作用は時間きっかりで復活する。錬金術の不思議と言うことだろう。


(何処だ? ここ)


 見慣れない光景に上体を起こし、すぐに玄関を入ってすぐにある広間だと気がつく。ソファーの上に寝せられていたようだ。


 身体を見れば、全身包帯だらけだ。どの包帯も変えたばかりのようで、清潔だった。


「え、あれ?」


 心なしか、身体もさっぱりしている。戦っている間、顔も洗えない状況だったのだ。相当酷い臭いだったはずだが、髪まで綺麗に整っている。


(ま、まさかヴァリエナたちが?)


 恥ずかしさに顔を真っ赤にしていると、キッチンの方から人の気配がやって来た。エプロン姿のヴァリエナとリィザが、布と湯を張った桶を持ってやって来たところだった。その後ろには、薬壺を抱えたミルフィーネの姿もある。


「カルナ様!」


「ご主人様、目が覚めたのかい!?」


「カルナさま、大丈夫ですか?」


 カルナは恥ずかしさが先に立って、しどろもどろになる。


「あ、う、あー……」


「大丈夫ですか? 喋れないんですか?」


 顔を覗き込むヴァリエナに、カルナはブンブンと首を振った。


「大丈夫っ! すっかり良いよ!」


 慌ててそう言うと、リィザが呆れた顔をしながら桶を側に置いた。


「バカ言うな。骨が折れてんだ。安静だよ!」


「カルナさま、ずっと眠ってました」


 三人とも随分心配したらしく、ミルフィーネなどは今にも泣きそうだ。カルナは慣れない感情を向けられ、戸惑う。そうしているうちに、ヴァリエナとリィザが腕を取った。


「さ、包帯を変えますね」


「汗も掻いただろ? 今拭いてやるよ」


「ええええ! 良いよ! 自分で出来るし!」


 思わず飛び上がって、カルナは壁際まで逃げ出した。怪我人とは思えない動きで逃げ出すカルナに、ヴァリエナたちは驚く。それと同時に、何故逃げるのかと唇を曲げた。


「ダメです、動いて良い怪我じゃありません!」


「大丈夫。本当に大丈夫だから。これくらいいつものことだし、ね? ほら、ピンピンしてるでしょ?」


 その場で跳び跳ねて見せるカルナに、ヴァリエナは青くなる。


「脚! 折れてるんですよ! それに、なにか、足の甲を貫通してらっしゃるのに!」


 自分の怪我なので、カルナも当然把握している。大怪我など慣れっこなのだ。骨折程度、気合いで無視しなければ、戦っていられない。お陰でカルナの指や脚は、曲がって繋がっている部分もあるし、妙に太くなっている部分もある。古傷も多いのは、裸を見たヴァリエナたちもよく知っているだろう。


「大丈夫なんだけどなぁ……」


 ポリポリと頭を掻いて、カルナは困ったように笑った。その様子に、無駄だと思ったのかリィザが溜め息を吐いてヴァリエナの肩を叩く。


「わかったよご主人様。取り敢えず、ちゃんと手当てはした方が良い。今は出来るんだ。しばらく家に居られるんだろ? 安静にしてくれよ?」


「あ、うん。そうするよ」


 大聖教の方も、しばらくは休ませてくれるだろう。大きな事件のあとは事後処理もある。細かい仕事は教会の仕事だ。ウェルネス王国は事実上消滅した。王家の人間は姉妹が生き残ったが、首都は壊滅。小国だったこともあり、首都以外には小さな町と地図にも載らないような集落が点在するばかりだ。政治のことはカルナは門外漢なの解らないが、教会が良いように、、、、、するのだろう。


 ヴァリエナはまだ不満そうだったが、安静にするという言葉にホッとしたように、それ以上言わなかった。


 そこで、カルナの腹の虫がぐうぅと鳴る。その音に、ヴァリエナたちは目を丸くして、それから微笑んだ。


「お食事にしましょうか。すぐにご用意しますね」


「ありがとう。悪いね」


 カルナは喜んで頷いた。ここのところ、まともに食事をしていない。二度と食べたくないが、必要で採っている携帯食だけが食事だったのだ。


 今までなら、痛む身体を無理やり起こして自分で作っていたのだが、これからは彼女たちが用意してくれる。そう思ったら、自然と嬉しくなって頬が緩む。


 カルナはキッチンに向かうヴァリエナたちの背中に、声をかけた。カルナが欲しかったもの。ずっと、望んでいたもの。


「ヴァリエナ、リィザ、ミルフィーネ」


「はい?」


「なんだい?」


「はい、カルナさま」


 振り返る三人に、カルナは照れ臭そうに微笑んだ。


「ただいま」


 ヴァリエナたちは一瞬きょとんとして、それから柔らかい笑みを返す。


「おかえりなさいませ」


 カルナが求めていた幸せが、一つ叶ったのだ。


 ミルフィーネに手をとられ、食堂に向かう。白いテーブルクロスがかけられたダイニングテーブルには、可愛らしい花が生けてあった。


「ご主人様、お茶にミルクは入れるかい?」


「うん、貰おうかな」


「ジャムをお持ちしますね!」


「ありがとう、ミルフィーネ」


「軽いものの方がよろしいですか?」


「大丈夫、ペコペコだ」


 三人の女性にかいがいしく世話され、カルナは思わずニマニマと笑う。傷はまだ痛いが、そんなことなど吹き飛んでしまいそうだ。彼女たちを迎えて良かったと、心の底から思った。


(そういや、僕が寝てる間、サテュルースはどうしていただろうか)


 当初は、新しい住人として迎えたかったのだが、サテュルースは吸血鬼になった自分はヴァリエナに会うには勇気が要るというので、保留にしたのだ。カルナとしても、彼女を使い魔にしたことを説明するには、まだ三人との友好が低いので、同意した形だ。


(確か、屋根裏部屋があったよな。サテュルースには当面、そこにいて貰おうか)


 敵地で休憩するときに使う隠蔽の魔法なら、扉があっても気を反らせる。それなら、うっかり掃除に入ったヴァリエナたちと遭遇することもないだろう。


 吸血鬼になったサテュルースに寝食は必要ないが、元は人間だ。健康的な生活は出来るだけした方が良い。


(あとでやって貰うこともあるし)


 カルナは運ばれたスープを口に運びながら、そう考えた。野菜がたくさん入ったスープに、厚く切ったハム、豆のサラダとパンが用意された。フレッシュなミルクとジャムもある。


「美味しいなぁ」


 しみじみそう言って食べるカルナに、ヴァリエナたちは微笑んだ。


 不思議なほど、ヴァリエナたちはカルナに怪我の理由を聞かなかった。カルナにとっては理想だと言える。家の中で仕事の話をしたくないのだ。正直に言うと、口にすると仕事モードなってしまうので、避けているのである。


 心配してくれるのに、理由を聞かないヴァリエナたちは都合が良かった。


 もっとも、それだけまだ、距離があるということなのだろうが。


「衣服はどうされますか? ボロボロでしたが……」


 ヴァリエナが補修や破棄について確認したのは、糸が特殊だと気づいたからだろう。あの糸は聖女の祈りが織り込まれたものだ。


「あれは放って置いて良いよ。自己修復がかかってるから、二週間くらいで戻るはず」


 祭壇があればもう少し早くなるのだが。

 そう言えば城の地下に壊れた祭壇があったはずと思い出した。いずれにしても、祭壇を復活させるには司祭の力が必要だが、まだ呼ぶ気はない。


「解りました」


 鎧も靴もボロボロだったはずだ。それは新調するようだろう。次の仕事までに揃えて置かなければ。


(まあ、当面はのんびりしてれば良いや)


 束の間の休息に、カルナは笑みをこぼした。








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