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第8話

 荒い息を吐いて、カルナは地面に膝をついた。目の前で、双子の吸血鬼だった二人の身体が灰になって崩れ落ちる。


「助かったよ、シルドラ」


『もっと早く来たかったのだけど』


 シルドラはそう言って、鼻先でカルナをつついた。彼女のいる安心感に、ホッとして床に座り込む。まだ休める状況じゃないが、十二剣の護法が発動している間は、下級吸血鬼なら身動きすら出来ないはずだ。


「残りは一人だ」


『女王ゼプテスが復活していなければね』


 シルドラの冷静な声に、カルナは「嫌なことを言う」と顔をしかめた。ここまでで満身創痍だというのに、さらに三階級の魔族が相手となれば、流石に厳しい。


 道具袋から水薬と痛み止めの葉を取り出し、口の中に押し込んだ。そのまま静かに瞳を閉じ、軽く瞑想する。魔法の流れを意識し、外から内側に吹き込む風の流れをイメージする。


 瞑想だけが、魔力を回復させる数少ない手段だ。側に精霊の一種であるシルドラがいれば、回復の量が増す。シルドラを連れてこられれば、もっと楽だっただろうが、強力な妖気の結界の中では、彼女は身動きが出来なくなる。こればかりは仕方がない。


 いくらか魔力が回復したのを感じて、カルナは立ち上がった。シルドラの瞳が心配そうな色をしている。


「ま、何とかなるよ」


『背に乗りなさい。あの場所には何かある。聖なる力を感じるわ』


「どういうことだろう?」


 シルドラの背に飛び乗り、カルナは首を捻った。司祭たちからも、特に報告は受けていないのだが。


(ま、行けば解るか)


 疲労はとっくに限界を超えていたが、休んだ分だけ後手になる。それに、十二剣の護法も、いつまでも持つわけではない。聖なる結界の魔法を維持するために、司祭たちが命を削っているはずだ。

 シルドラがゆっくりと空に舞い上がった。玉座の間は目の前だ。近づく程に、禍々しい妖気がビリビリと皮膚を刺激する。濃い妖気の圧力にシルドラが瞳を細めた。


『く……。なんという妖気……! これ以上は近づけない!』


 玉座のすぐ側の瓦礫に、シルドラは静かに着地した。


「ありがとう。行ってくるよ」


『ああ、カルナテクタ。無事で』


 嵐のような妖気が、玉座の方から吹き出してくる。時折赤い電が走り、黒い妖気が霧のように流れていた。目を凝らせば、誰かが戦っているのが解る。周囲には下級吸血鬼や魔族の死体がゴロゴロと転がっていた。


 かつては回廊だったらしい道を、カルナは走り出す。天井が崩れ、柱だけが残った空間を駆け抜けた。


 壊れた扉を飛び越え、玉座の間にたどり着く。黄金の玉座の向こうに、一部分が切り裂かれ破損した肖像画が飾ってあった。在りし日のその肖像画には、今より少し幼いヴァリエナと、美しい女性に抱かれたミルフィーネ、威厳ある表情の男性が描かれている。家族の肖像だ。


 その玉座の前に立つ人物に、カルナは目を見開いた。


 ボロボロの黒いワンピースを身に纏った、漆黒の長い髪の女。その瞳が、爛々と赤く輝いている。


(吸血鬼―――)


 ゴクリ、息を飲む。


 黒い髪の吸血鬼が戦っているのは、真なる吸血鬼であるマルクゥだ。マルクゥは忌々しそうに顔を歪ませながら、黄金の長い杖を持った黒い髪の吸血鬼と戦っている。


(どういう……ことだ?)


 思わずポカンと見とれていたカルナに、黒い髪の吸血鬼が気がついて声を上げる。


「! 勇者―――。勇者カルナテクタとお見受けする!」


 名前を呼ばれ、カルナは驚いて女を見た。赤い瞳は、間違いなく吸血鬼の眷属となった証であるが、彼女には自我が有るらしい。忌まわしい吸血鬼の呪いに耐え、転化して居ないのだ。


 吸血鬼は、血を吸うと同時に呪いをかけ、相手を蝕む。呪いは人間を吸血鬼に作り替え、赤い瞳と長い牙を与えるのだ。そして、地獄のような血の渇きにより、血を吸った吸血鬼は、魂を奪われ完全に転化する。転化した吸血鬼は下級吸血鬼となるのだ。


 どうやら女は、血の渇きに抵抗し、カルナが到着するまでの長い間―――一月以上もの間、飢えと渇きに抗いながら戦っていたらしい。


 想像を絶する精神力に、カルナはゾクリとした。


「勇者よ、我が主の肉体が穢される前に、聖なる炎で主を焼いてくれ!」


「させるかあぁぁ!」


 マルクゥが奇声を上げながら、女に襲い掛かる。女は金の杖を振るい、風の魔法でマルクゥを退ける。


 よくよく見れば、女の足元に一メートルほどの小さな聖なる結界が張られている。その結界が、彼女の自我を保ち、未だマルクゥを退けられている要因のようだ。結界の大きさは小さいが、かなり力のある魔術師が施したのは解る。


「なるほど―――」


 カルナはようやく合点が行った。抵抗し続けている『女』。彼女が守る『主』こそ、女王ゼプテスの『器』となり得る魂の持ち主。そしてそれは、聖なる結界を張った人物なのだろう。


 黒い髪の吸血鬼の足元に、屍があった。身なりから、高貴な女性だというのが解る。額に抱く冠と、黄金の美しい髪。


(ヴァリエナとミルフィーネの……)


 カルナは飛び上がり、女とマルクゥの間に立った。


「よく持ちこたえた」


「っ……。あなたを、待っていた!」


 女は希望の瞳をカルナに向ける。カルナはその想いに応えるべく、呪文を唱え王妃の亡骸に火を付けた。


「貴様あああ! 我々の計画が! 女王の復活が!」


「残念だが、目論みは崩れた。覚悟しろマルクゥ」


 マルクゥの身体がワナワナと震える。怒りに顔を青ざめさせ、恐ろしい形相でカルナたちを睨み付けた。


「うぐっ」


 背後で、女の苦しむ声が聞こえた。先ほどの炎で、聖なる結界が壊れている。女の渇きが限界に達しようとしていた。


「フハハハハ! 自らの手で希望を殺せ! 器には役不足かと思ったが、勇者の血を得たそなたなら女王の依り代に相応しいだろう。さあ!」


 女が両腕を振り上げた。カルナの身体目掛けて一直線に走り来る。彼女の本能が、カルナの血を欲して叫び声を上げる。


「くっ」


 カルナは後ろに跳躍し、女との距離を取る。鋭い爪を剥き出しにし、赤い瞳を光らせる。女の口から鋭い牙が覗いていた。


「ぐ、うぅ……。殺、せ……。勇……」


 まだ抵抗しているらしく、女が呻く。カルナは攻撃を避けながら、剣を向けるのに迷っていた。未だ転化していない彼女を斬るには抵抗があった。


 だが、やるしかない。カルナが剣を構えた、その時。


「ヴァリ、エナ様……。約束を……守れず……」


 苦しげに呻く女の声に、カルナは一瞬耳を疑った。その隙を、女の爪が切り裂く。


 肩を大きく抉られ、カルナは仰け反った。その様子を、高みの見物していたマルクゥがケラケラと笑う。


「ハハハ! 良いぞ、私からもくれてやろう」


 そう言うとマルクゥが呪文を唱え始める。妖力が彼女の元に凄まじい勢いで集まっていく。月が顔を出し始めたとはいえ、十二剣の護法が効いている中で、これだけの力を使えるのは異常だ。どう考えても七階級分類の吸血鬼の力ではない。


(女王ゼプテスの封印石を持ってる―――か?)


 考えられるのはそれくらいだ。女王ゼプテスが封じられた封印石から、力を得ているのだろう。マルクゥの周囲に黒い妖気が溢れ出る。


『血塗られた凶刃!』


 呪文と共に、足元から幾つもの赤い刃が襲い掛かる。カルナはそれを避けながら、女吸血鬼の攻撃を剣で弾いた。マルクゥの魔法はカルナの動きを読むように、後から追尾してくる。耳障りな笑い声に、カルナは歯をギリリと鳴らした。


 致命傷は避けられているものの、全てをかわすのは難しい。床は幾つも穴が開き、ボロボロだった。腕や脚、顔に小さな傷が出来る。


「ぐあああ!」


 女吸血鬼が呻きながら、赤い瞳から涙を流した。


「あ、ああ……」


「今、楽にしてやる……」


 剣を構えながら、カルナは道具袋に手を入れた。最後の聖水が残っている。


 女が襲い掛かる瞬間、カルナは視線を女の方に向けたまま、マルクゥ目掛けて聖水を投げた。自分の方に攻撃が来ると思っていなかったマルクゥは、そのまま頭から聖水を被る。


 マルクゥは呻くが、一瞬の隙にしかならない。その隙に、カルナは女吸血鬼に飛び掛かり、馬乗りになる。


「くっ!?」


 女吸血鬼が驚いて瞳を見開いた。次いで、苦痛に顔を歪めながら、カルナに向かって微笑みかける。


 カルナは道具袋から取り出したベルトで、女吸血鬼の首を締め上げた。女が「かはっ!」と苦しそうな声を吐いて暴れだす。


 爪を振り回して暴れる女に、カルナは腕で防ぎながらなおも女の首を締め上げる。暴れる女の、吸血鬼としての力で、地面に大きく亀裂が入った。マルクゥの攻撃で弱くなっていた足場が、崩落する。


 寸でのところで崩落から逃げたカルナは、砂埃の中、女の姿を探した。崩落に巻き込まれたのか、女の姿はない。


「ぐううぅ、よくも……」


 カルナのすぐ側で、マルクゥの呻き声が聞こえた。黒い妖気を煙のように吹き出しながら、皮膚の焼けただれたマルクゥが憎悪の表情で睨み付ける。


 カルナは剣を振り、マルクゥを斬る。だが、マルクゥはヒラリと避け、右腕を掲げた。赤い稲妻が彼女の右腕にバリバリ音をたてて集まってくる。


「よもや、人間などにここまで邪魔されるとはっ……! 貴様だけは、完全に始末してくれるっ……!」


「人間を甘く見た末路だ。お前の主である女王ゼプテスを封印したのもまた人間だと、忘れたのか?」


「黙れ虫けらが!」


 凄まじい妖気のせいで、髪やローブが舞い上がる。瞳を細め、カルナは隙を窺った。大きな魔法だ、放つ瞬間に必ず隙が出来る。


 剣を構え、妖気に近づけずにいたカルナに、心話が届く。上空を旋回して様子を見守っているシルドラだ。


『カルナテクタ、その魔法は危険だ!』


「―――っ」


 カルナ自身、危険な予兆は感じていた。皮膚をざわざわとざわつかせる妖気が、膨大に膨れ上がる。側にいるだけで身体が焼け付きそうに熱い。


 ナイフを投げたが、ただのナイフでは意味をなさないらしく、マルクゥに届く前に塵となって消え失せた。


「くっ……」


 マズイ。このままでは、ウェルネス王国は跡形もなく消滅する。その上、マルクゥは大量の魂を手にゼプテスを復活させるに違いない。


 だが、剣の力ではカルナの身を守るのが精一杯で、近づくのが困難だった。


『アリューレクタ・ハガル! 黄泉より出でし銀腕の死神よ! 破壊と絶望を大地に降らせよ―――』


 マルクゥの呪文が完成する、その時。


 足下の瓦礫が吹き飛び、階下から黒い髪の女吸血鬼が飛び出した。女吸血鬼は蝙蝠の翼を広げ、空に舞い上がる。


 マルクゥがニヤリと笑った。


「ハハハ! これで打つ手なしだな、殺せ!」


 マルクゥが赤い瞳を輝かせ、女吸血鬼に命令を送る。


「望みのままに―――」


 冷たく瞳を輝かせ、女吸血鬼は杖を振り上げた。そのまま大きく腕を振り上げ、カルナ目掛けて金の杖を投げる。


 槍のごとく放たれた杖が、カルナの横を通り過る。


 そのまま、魔法を今にも放とうとしているマルクゥの胸に、突き刺さった。


 青い鮮血が吹き出し、宙を舞う。


「ぐ、はっ……?」


 何が起きたのか解らず、マルクゥは貫かれた胸を見る。聖なる力を宿した黄金の杖から、青白い稲妻が迸った。


 女吸血鬼はそのまま片腕を上げ、吸血鬼としての本能のままに妖術を操る。


『血の狂乱!』


 マルクゥの血が、黒い髪の吸血鬼に奪われ、彼女の周囲に幾つもの粒になって浮かび上がった。青い宝石を散りばめたような幻想的な光景に、カルナは目を奪われる。


「馬鹿な、わたくしの血が、奪われるだと……!? 下級吸血鬼の分際でっ……」


「私が得意なのは風の魔法。あなたの血は、全て喰らう……」


 吸血鬼の本能が、マルクゥから血を奪う。血を得ながらも、風の魔法で血液を空間に留めたまま、女は転化せずに人の魂を繋ぎ止めていた。


「バカな、あり得ない、アリエナイ……」


 マルクゥの身体が枯れ木のように萎んでいく。乾ききった身体のまま、マルクゥがガタガタとわめき散らした。


 動揺したマルクゥは、発動しかかった魔法のことなど忘れらかのように慌て、宙に浮かぶ自分の血を取り戻そうと必死に手を伸ばす。その光景は、溺れ慌てたようにも見え、滑稽だった。


ご主人様マスター、今です!」


 彼女の声に、カルナは剣を構えた。


「ここまでお膳立てされちゃ、失敗しようがないね」


 ニンマリと唇の端を上げ、剣を構える。カルナは大きく剣を振り、マルクゥの身体を切り裂いた。


「ひぎっ! いやああああああぁぁぁぁ!」


 絶叫と共に空に十字の亀裂が入り、マルクゥの身体が塵に変わった。


 断末魔が響く。マルクゥのいた場所に、赤い宝石が落下した。血を濃縮したような、深く濃い鮮血の赤だ。


 禍々しい気配に、カルナはそっとそれを拾う。女王ゼプテスが封印された石だろう。再度封印し深い眠りにつかせるには、カルナでは役不足だ。聖女に任せることになるだろう。


 街の様子を見れば、十二剣の護法の力で動けなくなっていた吸血鬼たちが、魂が抜けたように大人しくなっていた。マルクゥが死に、命令が失われた為だ。


「マスター……勇者カルナテクタ……」


 女の声に、カルナは振り返った。黒い髪の女吸血鬼は、月光の下で見ると酷く疲れて見えた。一人で戦ってきたのだ。


 彼女を労うように微笑み、カルナは床に落ちた金の杖を拾い上げた。女は戸惑いながら、杖を受け取る。


「支配の魔法で渇きは押さえられているが、無くなったわけじゃない。杖は、持っていた方が良い」


 カルナの言葉に、女は首に手を当てた。女の首には、カルナが巻いた武骨な首輪が嵌められている。魔物使いがモンスターを使役するのに使われる、支配の首輪だ。吸血鬼に使えるか自信はなかったが、上手く行ったらしい。これで彼女はカルナの命令なしに誰かを襲うことは出来ない。


「私は、既に人間ではありません。どうして……」


「ヴァリエナの、少ない友人を殺したくなかった」


「ヴァリエナ様―――。もしや、ヴァリエナ様が教会に助けを?」


 カルナは少し迷って、曖昧に笑った。


「そうとも言えるし、違うとも言えるかな。ヴァリエナに聞かなければ、ウェルネス王国のことはまだ解らなかったかも知れないから」


「ご無事、なんですね?」


 女の赤い瞳が濡れる。カルナは大きく頷いた。


「ああ。ミルフィーネも一緒だ」


「良かっ……! 良っ……!」


 嗚咽をあげながら泣きじゃくる女に、カルナは何と声を掛けて良いか解らず頭を掻いた。そこに、上空を飛んでいたシルドラがフワリと舞い降りる。竜の登場に女は驚いて顔を上げた。


『この者を捕らえたのか、カルナ』


「非難がましく言わないでよ。他に方法を思い付かなかったんだ」


 カルナはそう言いながら、地面に座り込んだ。王国に蔓延っていた妖気はすっかり消え失せ、月が青い光を放っている。あとは司祭たちが残った下級吸血鬼たちを倒し、二度と闇の眷属として復活しないよう聖なる火で焼くだけだ。


 全て終わったと、身体から力が抜ける。どこもかしこも傷だらけで、服もボロボロだ。しばらくすれば痛み止めの効果が消え、水薬の反射作用で全身が動かなくなるだろう。


 その前に、カルナは言わなければならない。


「僕は、希望を持たせるようなことは言えない。君は人の輪から外れ、魔物になった。転化していない不完全な姿とはいえ、吸血鬼である事実はこれからも変わらない」


「はい、解ってます。ですが」


 人の輪廻から外れた彼女は、寿命も人間の倍以上になり、姿は永遠に変わらない。


 女は凛とした晴れやかな笑顔で、カルナを見た。


「主と故郷をを奪った魔族と、戦えます。私を、どうぞお使いください、ご主人様マスター


「まあ、そう言うつもりでもないんだけどね……。まあ良いや。よろしく、えーと」


「サテュルースです」


「よろしくサテュルース」


 そう言って、カルナはサテュルースと握手を交わした。




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