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第7話





 新鮮なミルクと一緒に新聞を受け取ると、ヴァリエナたちは会釈して馬車へと戻った。その様子を、ミストナーク村の住人たちは憧れのような視線で見送る。森の小さな村には、新聞を読むのは村長くらいだ。皆、新聞よりも噂話の方が得意だった。


 ヴァリエナたちが新聞を入手するのは、二回目だ。つまり、カルナが旅に出てから一週間が経過したことになる。古城の生活は特に問題はなく、ヴァリエナたちは日々、掃除や裁縫、庭の手入れなどをして過ごしていた。


「さ、城に戻りましょう」


「はいよ」


 リィザの御者も板に付いたものだ。ミストナークまでの道を、安心して走っていける。最近は御者台の横にミルフィーネが乗りたがり、今日も横に連れていた。景色を眺めながら、梢の向こうにいる鳥を探している。


 ヴァリエナとリィザの二人は、逃げ出そうと言う相談をしなくなっていた。カルナを信じたわけではないが、外の世界よりも安全なのは、身をもって知っている。その居場所を与えたカルナと、一週間も連絡を取っていない。胸騒ぎは日々大きくなり、ヴァリエナは夜遅くまでカルナの帰宅を待つようになった。


(手紙くらい送って下さっても良いのに……)


 カルナが手紙の魔法紙をたくさん持っているのは知っている。たったの一通も送れないほど、切羽詰まっているのだろうか。情報が無さすぎて、悪い考えばかりしてしまう。


 新聞には、世界中のあらゆる情報が載っている。『世界聖母』とも呼ばれる聖女が、救済の演説を行った話や、ウルヴァート王国の王女が初の外遊を行った話、ベクサナ国が魔族に対して軍を投入した話など、様々だ。


 特に関係のない記事ばかりが並ぶのを、ヴァリエナは焦燥しきって眺める。そんな中、小さな記事が目に入った。


「あ―――」


 ヴァリエナの呟きに、御者台のリィザ気づいて振り返る。ヴァリエナは首を振った。移動中に新聞を読むなんて、はしたないことだ。だが、記事が気になり、手に取って見てしまう。


(湖の小国ウェルネス王国壊滅か、大聖教所属の調査機関が調査に乗り出す―――……)


 ヴァリエナは胸のざわめきを押さえきれず、新聞を抱き締めた。




   ◆   ◆   ◆




 壊れた民家のドアの後ろで、カルナは立ったまま瞳を閉じていた。浅い眠りから目を覚ますと、気配を消したまま周囲を確認する。


 まだ見つかって居ないようだ。


 カルナが結界の中に入って一週間。物陰で気配を消しながら、五分ほど仮眠する。そんなことを繰り返しながら、少しずつ攻略を進めていた。


(赤い珠はあと一つ……。まあ、順調だな)


 固形食料を口に放り込み、奥歯で噛み砕く。飲用水代わりに水薬ポーションを飲むのは、いい加減、怪我が酷いからだ。小さな裂傷は数える気が起きないほど身体中についているし、左足は大きく抉られ、包帯で処理したが血が滲んでいた。それに肋骨が一本か二本折れている。気にしたら余計に痛くなりそうだと、意識しないでいるのだ。怪我はいつものことだが、慣れるということもない。


 道具袋から痛み止めの葉を取り出して噛み、苦さに顔をしかめる。だが、眠気覚ましには丁度良い。


 珠三つ破壊した時点で、司祭二人には脱出してもらった。残る三つをカルナが破壊して回っているのだが、流石に魔族の数が多い。眷属化した街の人間を合わせれば数万の敵を相手にしているのだ。怪我も多くなる。


(あー、甘いミルクたっぷりのシチューが食べたい。肉汁たっぷりのグリルしたチキンに、果汁が滴るロダの実)


 投擲用のナイフを研ぎ直し、切れかけている靴紐を新しいものに変えながら、そんなことを思う。滋養のある魔物の内臓と薬にもなる虫を磨り潰し、獣の血で固めた固形食料は、体力と魔力を回復させ、疲労を軽減する効果が有るものの、この世の物とは思えない味と臭いがする。齧る度に二度と食べたくないと思うものだ。


(ヴァリエナのパイ、美味しかったなぁ……)


 最後のまともな食事が、遠い過去のようだ。


「さて、と」


 短い休憩を終え、カルナは気を引き締めた。大量の下級吸血鬼に加え、上級吸血鬼の数が増えている。残る一つの珠を何としてでも破壊させまいと、敵も本気で来るはずだ。


(しかし、器とやらの情報が、ろくに得られていないのが気にかかる)


 下級吸血鬼が「あの女の命運」と言っていたのが気にかかる。外からシルドラと司祭たちにも調べて貰っているが、有益な情報は見つかっていない。


(とにかく、破壊を優先。器はその後探そう)


 吸血鬼が警戒する中、カルナは再び通りへと飛び出した。




   ◆   ◆   ◆




「光精ルフナー、闇を切り裂き唄いて来たれ。白虹の閃光は降雨となり洪水となり、紅涙流るる荒涼たる広大なる光景―――ル・ネル・ルフナー・ス・オード!」


 カルナの放った閃光が、刃となって前方の魔族の身体を切り裂いた。断末魔が絶えず響く光景は、地獄絵図のようだった。


 頬についた血を拭い、カルナは塔をかけ上がる。背後から来る吸血鬼を何度も振り払い、炎で焼いているが、時折足や肩を掴まれ引きずり下ろされる。


 何時間もかかって、ようやく一階分かけ上がれるといった調子だった。


 剣で前方の吸血鬼を切り捨て、荒い息を整える。反り血で視界が霞むのに、カルナは目を細めた。


 細い通路だけに、なかなか進むことが出来ない。傷は増え、魔力も大分減っている。少しで良いから休憩をしたかったが、敵はそんな余裕を与えるつもりはないようだ。次から次へと、数が多いのを良いことに物量で攻めてくる。


 襲ってくる下級吸血鬼の多くは、元々はウェルネス王国の国民だっただろう者たちだ。エプロンを身に付けた主婦や、鎧を着た兵士。子供も老人も吸血鬼に変えられ、自我のないままに襲いかかってくる。


 元々人間だった彼らを殺すことに、抵抗はない。呪縛の呪いから解放し、女神の元へ送る方が彼らのためだ。


 迷いなど一切ない剣を振りながら、カルナは階段をかけ上がった。


 上から来る吸血鬼の首を切り落とし、背後から追いかけて来る吸血鬼たちを魔法で吹き飛ばす。他の吸血鬼を盾にして生き延びた吸血鬼には、懐から取り出したナイフを投擲した。


 そのまま壁沿いに背を向け、前方に聖水の入った瓶を投げる。聖なる力に、弱い吸血鬼たちは黒い煙を吹き上げて倒れ込む。敵が吸血鬼だと解って、十分に数を用意してあった聖水だが、残り僅か三つだけだ。


 呻く吸血鬼たちを靴底で踏みつけ、カルナは走りながら水薬を飲み干す。唇の端から溢れた水を拭い、息を吐いた。


「今日で何日目だっけ?」


 心話の魔法で、耳の奥の水晶に語りかける。もうすぐ幾度目かの夕闇が迫る。夕映えが塔の窓から覗いていた。


『今日で十一日目の夜が来る。月が昇る前に破壊しろ、カルナテクタ』


「簡単に言ってくれるよ」


 溜め息と共に吸血鬼を突き刺し、足を掴もうとした吸血鬼を蹴り倒す。オーダーに間に合うかは、ここからの踏ん張りだ。


「グギャアア!」


 奇声を上げて襲いかかる吸血鬼に、剣を振りながら魔法を放つ。


 疲労と眠気のピークが過ぎ、魔力が底をつきそうになって、カルナの集中力が一定を超える。自我が薄れ、時間が曖昧になる。意識が浮遊し、どこか客観的に身体を動かしているような感覚になる。


 フロー状態に突入したカルナに、吸血鬼たちが本能的に恐怖し、動けなくなる。動いた瞬間に、四肢がバラバラになると、本能で理解していた。


 最小限の動きで身体を動かし、回廊を昇る。邪魔をする吸血鬼は、一瞬で肉塊に変わった。


 扉を開き、塔の屋上に躍り出る。夕映えの眩しい光が、カルナの頬を赤く染めた。風が強い。髪とローブが大きく膨れ上がる。


 塔は、宮殿に一番近い場所にあった。すぐそばに、瓦礫となった城が見える。剥き出しになった部屋は玉座があったのか、赤い絨毯と金色の椅子が見てとれた。夕日を反射し、目映く輝いている。


 赤い珠を確認しながら、カルナは視線を玉座にやった。何故なのか、その上空にも多くの吸血鬼たちが集まっていたからだ。


(なんだ?)


 何かあるのだろうか。疑問に思いながら、邪魔をする上級吸血鬼の首をはね飛ばす。


「これで、最後だっ……!」


 カルナは剣を振り下ろし、赤い珠を破壊した。


 珠が砕け、鮮血が周囲を赤く染める。呪いによって集められた赤い血液は、女王ゼプテス復活に使われるもののようだ。結界は卵の殻で、赤い珠は栄養だと考えれば良い。


「おのれ、人間! よくも!」


 空から吸血鬼が三人、襲いかかって来た。どの吸血鬼も青白い肌をしている。青い血液を持つ魔族の真なる吸血鬼で、人間から転化した者ではない純血の吸血鬼だ。その強さは上級吸血鬼を遥かに凌駕する。教会は通常彼らを、危険度の階級として、七階級に分類している。即ち、人口五千人未満の『街』一つを滅ぼす程度の脅威だ。


「ようやくお出座しか」


 カルナは姿を現した真祖の姿に、剣を構える。彼らは吸血鬼の特徴である赤い瞳を輝かせながら、憎々しげに顔を歪めていた。


「侮るべきではありませんでしたね、イーラン」


「どうやら、ただの人間ではないようだよ? イーヴィン」


「これもあの女のせいよ。イーラン、イーヴィン。わたくしはあの女を始末して来ます。お二人はこの男を血祭りにして下さいませ。これ程の力を持つのです。案外、失った生け贄よりも質は高いかも知れませんよ」


 そう言って、三人の中から一人、白い長い髪の女が離脱した。


「じゃあ、こっちは任せたまえマルクゥ」


「私たち兄妹の姿を見て、生きて帰れた人間は居ませんのよ? フフ」


 残ったのは銀の髪をした兄妹だ。双子らしく、同じ顔をしている。妹のイーヴィンは杖を構えた。兄イーランは細剣を抜く。


「主犯はマルクゥという奴か」


 カルナは目の前の脅威二人より、引いた女吸血鬼のほうが上位だと判断する。


(『あの女』ね。どうやら、『器』の件といい、なにやら関わっている人間が居るようだ)


 何者か解らないが、その人物が彼らの目的を阻害しているのは間違いない。早急に双子の吸血鬼を倒し、その人物の元へ向かうべきだろう。


 マルクゥが飛び去った先は、先ほど違和感を感じた玉座の間だ。


「死ね!」


 イーランの放った一撃を、カルナは剣で受け止めた。細身の身体からは想像つかない程、剣が重い。魔族の力は見た目では判断できないものだが、想像より重く僅かにふらついた。


 その隙を狙うように、イーヴィンが呪文を唱える。人間が使う魔術とは根本が異なる体系の魔法は、不快で悪質なものが多い。


『毒蛾の演舞!』


 カルナの周囲に、赤い蝶が纏わりつく。蝶からハラハラ舞い散る鱗粉が皮膚や服に貼り付いた。皮膚が燃えるように熱くなり、ジクジクと鈍い痛みをもたらす。


「あら? 皮膚を溶かす猛毒ですのに」


「手抜きしたな、イーヴィン」


「してませんわよ!」


 カルナは飛び退き、身体に聖水を振りかけた。シュウシュウと白煙を吹きながら、毒が中和される。大型の熊を即死させる毒程度なら、身体に慣らしてあるカルナだが、イーヴィンの魔法毒は強力だ。革の胸当てが一瞬でボロボロになって崩れ落ちた。


「なら、この魔法はいかが? ―――『放つ千本の針』!」


「っ!」


 カルナの身体めがけて、妖術で生み出された千針が襲い掛かる。地面を転がり寸でで躱す。カルナが先ほどまで立っていた場所が、大きく抉れ、崩れ落ちた。


「素早いネズミだな!」


 体勢を立て直そうとするカルナ目掛けて、イーランの剣が頭上から振り下ろされる。剣で受けるにも、避けるにも間に合わない。懐から聖水を取り出し、宙に投げる。イーランが反射的に瓶を切り裂いた。


 バターのようにスパッと斬られた瓶から、聖水が零れてイーランに降りかかる。イーランの皮膚が焼かれた。異臭とともに、白い煙が吹き上がる。イーランは顔を押さえて呻き声を上げた。


「クソッ!」


「よくも!」


 怯んだイーランに、剣を向けるがイーヴィンが魔法で横槍を入れる。イーヴィンに向けナイフを放ったが、イーランが弾き飛ばした。


「八つ裂きじゃ済まさねえ!」


「生まれたことを後悔しなさい!」


 瞳を煌々と赤く光らせ、双子たちが妖気を身に纏う。お遊びは終わりということだろう。攻撃の手が、さらに激しくなった。


(まずいな)


 双子だけあって、連携が上手い。イーヴィンの魔法が脅威だが、彼女に近づこうとすれば、イーランの攻撃が来る。イーランは一撃が重いのに、素早さはカルナより上だ。


「ちょこまかと逃げやがる!」


「イーラン、早くやっちゃって下さいませ!」


 詠唱を圧縮した魔法を幾つか撃ち、手数を増やす。そうしても、なかなか決定打にならない。双子の吸血鬼たちは真なる吸血鬼だ。勇者の力を持っても、簡単には倒せない。


 太陽が地平線の端で、最後の光を放っていた。あと数分で、夜が来る。


「ハハハ! 残念だったな、人間よ。これよりは夜の時間―――!」


 イーランが笑いながら剣を振る。その動きが、一瞬止まった。


 王国の周囲を、十二の光の柱が包む。光は上空で白い魔法陣を描き、王国を破邪の魔法で包み込む。


「なにっ!?」


「くっ、力がっ……」


 イーランとイーヴィンが、苦痛に顔を歪ませた。


『カルナテクタ。十二剣の護法を発動させた。我々の支援は以上だ』


 耳の奥から、上級司祭の声が響く。それと同時に、空から雷のような嘶きと共に、白い鱗の竜が舞い降りた。


『待たせたわね、カルナ』


 シルドラは首を伸ばし、白い炎を双子の吸血鬼めがけて吹き掛ける。


「きゃああ!」


「イーヴィン!」


 カルナは剣を真横に振り払った。イーヴィンに駆け寄ったイーランの身体が、真っ二つに切り裂かれる。


「残念だが、お前たちの夜は来ない」



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