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第6話




 白い竜に跨がって、空へと消えるカルナを見送ったヴァリエナたちは、しばらくの間青い空を眺めていた。


「行っちまったな」


「……ええ」


 ヴァリエナは胸の前で手を組んだ。


 カルナという人物が何者かは、まだ解らない。だが、手紙の様子から、何か良くない事が有ったのだけは想像がついた。


(異端者だとしても、死んで欲しいわけじゃないわ……)


 魔王に与する、おぞましい人間である異端者たちは、ヴァリエナにとっては敵も同じだ。否、人類の敵だと言っても良い。だからといって、ヴァリエナは彼らを捕まえ、石で打ち、首を切り落として欲しいとは願っていない。


 異端者たちには罪を改め、贖罪のために人々に尽くして欲しいと思っても、死んで許しを乞うことは望んでいないのだ。


「ミルフィーネ、カルナ様のお部屋からお皿を下げてきて貰える?」


「はい、わかりました!」


 不安そうにしていたミルフィーネにそう言い、ヴァリエナは家の扉を閉めた。戸締まりをするにはまだ日が高いが、何となく落ち着かずそのまま鍵を掛ける。


 ミルフィーネが居なくなったのを確認して、リィザが小声で問い掛けてきた。


「どう思う? 結局のところ、あのご主人様は異端者なのかね」


「解りません。ですが……魔物の王である竜を従え、謎の文字を操る御方ですから……」


「そうだね。『良い奴』の面を被った悪人なんて、それこそ星の数ほどにいるもんな。あんな大金をポンと出せる癖に貴族じゃないんだ。怪しいと思った方が良いよな」


「あるいは」


 ヴァリエナの言葉に、リィザが首を傾げる。


「他にあるのかい?」


「どこかの御落胤―――。表向きは認知されていない、高貴な御方の可能性も」


 リィザが口笛を吹いた。


 もしも、どこかの王国の御落胤だったなら、有り得なくはない話だ。王族ならば魔法に秀でている血も納得出来るし、あの何処か常識のない所も、物怖じしない性格も、納得がいく。


「そう考えたら、そんな気がしてきたね。なるほど、認知されていない王子さまか」


「あくまで仮説です。もしそうなら、今回の旅の目的は、権力争いに巻き込まれたのかもしれません」


 最悪、処刑もあり得る。ヴァリエナは嫌な想像に首を振った。


 預かった手紙は魔法で封じてあるため、読むことは出来ないが、恐らく相手はカルナの味方ではあるのだろう。ヴァリエナが手紙を送るタイミングは、カルナの命運を握っている可能性もある。


 ヴァリエナは、もしそうならば、西の大国ルーグナー辺りかも知れないと思った。ルーグナーでは竜から卵を奪い、育てることで竜騎士なるライダーたちを養成している。シルドラも同じように、卵から育てられたのだろう。


「何れにしても、何か大きいことが起きる気がします」


「だね。このまま待つのも、落ち着かないねえ」


 リィザの溜め息に、ヴァリエナは思案した。推測ばかりしていても、状況は変わらない。何が起きても大丈夫なよう、情報を知る必要がある。


 ヴァリエナの手元には、カルナ置いて行った多すぎるほどのお金と武器。


「三日に一度、新鮮なミルクと一緒に新聞を買いましょう」


「良いね。それなら、多少の情報が入ってくる」


 スーリエルダ大聖教が発行する新聞は、世界情勢を中立的な視点で書いている。ヴァリエナも王女だった頃には、義務のように読んでいた物だ。価格は一部で銀貨一枚。安くはないが、必要経費だ。


「私たちは、私たちに出来ることをしましょう」


「ああ」




   ◆   ◆   ◆




 シルドラの羽ばたきを感じながら、空を旅する。生身の肉体で雲よりも高い気流に乗るのは、常人には出来ない芸当だが、カルナは身体の周囲に風の魔法を纏うことで、気圧と気流から身を守っていた。


 それでも、皮膚をビリビリと震わせる空気の振動や、打ち付ける風の強さは襲いかかってくる。さらに、上空の気温は身を凍らせるほどに寒い。


 耐熱の魔法が施されたローブで身体を包み、ゴーグルで視界を確保する。このまま一昼夜飛び続けるのは過酷だが、休んでいる時間が惜しかった。


「シルドラ。無理をさせるね」


 首を撫でながら、相棒に語り掛ける。シルドラはサファイアの瞳をカルナの方に向けた。


あるじが無茶をするのはいつものこと。それより、飛ぶのは私に任せて、今は休むと良い』


 シルドラの声が直接心に響く。上位竜であるシルドラは、魔物ではなく精霊の一種だ。彼女は魔法で会話をする『心話』を会得している。こうして空の旅をしながらも、会話出来るのはカルナには嬉しいことだ。


 まだ日は高いが、シルドラに甘えて休ませてもらうことにする。ウェルネス王国にたどり着けば、寝ずに戦う日々が待っているのは確実だ。カルナはシルドラの背を優しく撫でると、座ったままに瞳を閉じた。


 カルナが浅い眠りについたのを見届け、シルドラはスピードを上げる。カルナを振り落とさない精密な飛行で、真っ直ぐウェルネス王国のあるアナト山脈へと向かった。




 肌を震わせる妖気に、カルナは瞳を開けた。遥か下界にはアナト山脈が美しい山影を作っている。丸一日と半分ほど飛んでいたのだろうか、空はオレンジの太陽が地平線に飲み込まれる所だった。


 吸血鬼が活動する夜に到着したのは残念だが、朝まで待つのは時間が惜しい。どのみち、一夜で攻略など出来ないのだ。腹を括って携帯食料を口に入れ、水で流し込む。栄養だけを考えた固形食料は、臭いも味も最悪だ。泥を齧った方がマシだと、カルナは思う。


「あれがウェルネス王国か」


 上空から見下ろしたウェルネス王国は、城壁や石畳、家々の屋根が崩落し、瓦礫の山だった。かつては美しかったであろう壮麗な城も、大きな穴が空いている。


 王国の周囲を囲む城壁の見張り塔の部分に、六つ赤い珠が浮かんでおり、そこから六角形に赤い稲妻が走っていた。司祭が言っていた、結界だろう。強力な妖気が、離れていても伝わった。


 カルナは双眼鏡を取り出し、森の方角を確認する。白い衣装の一団が居るのを見つけ、シルドラの腹を足で叩いた。シルドラはすぐに速度を緩め、ゆっくりと森の中へと着地する。


 勇者の登場に、結界を破ろうとしていた司祭たちが振り返った。


「来たか、カルナテクタ!」


 シルドラから飛び降り、白衣の一団近づく。何度か交戦しているのか、司祭たちは泥と血にまみれていた。木陰に蹲り治療を受けている者、包帯を巻かれ横たわる者の姿もあった。


「状況は?」


「結界を守ろうとする下級吸血鬼から、定期的に妨害を受ける。お陰で作業は進んでいない。斥候が三名、破った結界の隙間から侵入したが、連絡が途絶えた。これ以上の投入はまずいと判断して、今は防御に徹している」


「懸命な判断だ」


 カルナは頷いた。無闇に敵地に人を送っても、眷属に変えられるだけだ。無謀な人間が居なかったようで、カルナは安心した。


「女王ゼプテスを確認した者は?」


「未だ姿は見せていない。完全復活にはまだ時間がかかると、本部は見ている。結界はその為だろう」


「そうだな。結界を破壊し、女王ゼプテスに力が注がれるのを防ぐのが先だ。僕と共に二名、結界内部に入って欲しい。陽動する間に反対側の球体を破壊して欲しい」


「了解した」


 カルナはそう言うと、青い水晶を耳の中に押し込んだ。通信用の水晶で、『心話』の魔法を受信し、振動して音を伝える魔道具だ。教会本部からの指令と、現場の司祭からの連絡を受信するのに使うものだ。


「満月までは?」


「十一日と言うところだな」


 あまり時間がない。カルナは溜め息を吐いた。


 魔族は満月に力を強くする傾向がある。吸血鬼も例外ではない。出来れば満月までにけりをつけたかったが、厳しいかもしれないと思った。


 打ち合わせを終え、カルナは翼を休めるシルドラを振り返る。


「行ってくるよ。怪我人を守ってやって」


『気を付けよ、主。そなたには、今や待つヒトが居るのだからな』


「そうだね」


 シルドラの励ましに、カルナは笑みを浮かべた。


 家で待つ三人を思い出すと、勇気が沸いてくるようだ。帰らないわけには行かない。心配させてはいけない。


「なるほど、責任重大だ」


 いつもより、気合いが入る。心地良いプレッシャーだ。


 カルナの表情が柔らかくなったのが司祭にも解ったのか、司祭の緊張も幾らか和らいだ。


 カルナは腰の剣を抜く。勇者だけが扱えるという剣は、青白く冷たい光を帯びていた。


 軽く十字に振り抜くと、結界に大きな裂け目が走る。その裂け目に、カルナは滑るように飛び込んだ。後から神官が二人、カルナの後を追って入るのを見届け、カルナは予定通り西側へと走る。


 右手に剣を持ったまま、左手に魔力を集中させた。


「火の精リフィティス、火の粉が如く踊りて来たれ。炎天の円卓に在る冤枉えんおうの才媛、怨嗟宿しし火焔が焼く妖艶なる饗宴―――イル・ニス・リフィティス・ス・ソーラ!」


 圧縮も省略もしない、音を正確に紡ぐ魔術は、最大出力で放たれる。カルナの紡いだ魔力が炎を呼び起こし、巨大な爆炎を伴って空に放出された。


 赤い稲妻が光る空に、一際眩い炎の柱が吹き上がる。突如空を焦がす炎に、警戒して空を飛んでいた蝙蝠の翼を持つ魔族が、一斉にカルナの方を見た。


 カルナは瓦礫を蹴り飛ばし、通りへと躍り出た。元々は商店が軒を連ねていたのだろう通りには、割れたガラスや壊れた樽、陶器の欠片が転がっている。大きな音を立てながら走るカルナに、赤い瞳の魔族たちが一斉に襲いかかった。


「ギギャ! ニンゲン!」


「ドコカラハイッタ!?」


 黒く長い爪を伸ばし、魔族が大きく腕を振る。カルナは剣を横に凪ぎ払い、振り返りもせずに真っ直ぐ路地を走った。


「ギ……、ギ?」


 魔族は自分が切られたことにも気づかず、絶命して地面に落下する。それを見ていた他の魔族が、憤怒顔を歪めてカルナを襲った。


「うるさいな」


 カルナはまるで羽虫を相手にするかのように、軽く剣を振るう。雑魚を相手にしている暇はない。襲い来る魔族を次々と切り伏せ、赤い珠がある方角へひたすら走っていく。


 カルナの背後には、黒い死体の山が積み重なった。


 通りを幾つか折れながら、目的の場所へと走るカルナの耳に、司祭からの連絡が入る。


『カルナテクタ殿、東塔に侵入しました。いつでも破壊できます』


 ほぼ同時に、もう一つの塔からも連絡が入る。カルナの陽動により、無事に塔に登ることに成功したようだ。


「解った。合図があるまで待機。万が一、敵に見つかったら破壊を優先」


『了解した』


 珠を破壊すれば、必ず敵が戻ってくる。そうなれば、司祭たちの命はない。だが、同時に破壊してしまえば、敵も戦力を分散せざるを得ないだろう。敵も、破壊した人間を殺すより、残った珠を守ることを優先するはずだ。


 カルナはもう一度、火の精リフィティスの魔法を唱え、空に放つ。そろそろ、もう少し強い敵が現れるはずだ。


「騒いでいるのはお前か?」


 流暢な言葉で頭上から声を掛けられ、カルナは咄嗟に剣を構えた。カルナの行く先の道に黒い刺が地面から生える。そのまま進んでいれば、串刺しだっただろう。


「ほう、勘が良いねえ」


 視線の先に、女が浮かんでいる。赤い瞳を煌々と光らせた妖しい雰囲気の女だ。歪められた赤い唇の隙間から、鋭い牙が見えている。


「……下級吸血鬼か。女王ゼプテスの居場所を知るとも思えないが」


 挑発の意味を込め、わざとらしくがっかりして見せる。吸血鬼はプライドが高い。知っていれば何かしらの情報を漏らすかも知れない。もっとも、上級の吸血鬼になるほど駆け引きが上手くなるので、こうした手段が取れるのは下級相手だけだ。


「人間風情が、調子に乗るなよ! 器さえ手に入れば、我らが王は復活を果たすのだ!」


「器?」


 聞き慣れない単語に、カルナは眉を寄せた。下級吸血鬼はニヤリと赤い唇を吊り上げた。


「忌々しいあの女の命運が尽きるのも、もうすぐ。我らが王が受肉を果たせば、私もさらなる力を得るのだ。その前に、お前は我が糧としてやろう。丁度、街の人間も食いつくしてしまったところだからな」


「……」


 カルナは剣を構えたまま、下級吸血鬼を見上げた。黙っているのを恐怖と解釈したのか、下級吸血鬼はコロコロと甲高い笑い声を上げる。


(受肉だと? 成る程、女王ゼプテスは殆ど復活していない見える。何者かが、封印を破り女王の復活をさせようとしているのか)


 チッと舌打ちして、カルナは瞳を細めた。女王ゼプテスが目覚めていないのは良い情報だったが、別の勢力がいる可能性が出てきた。


 下級吸血鬼の言うように、女王ゼプテスが復活を遂げれば、その眷属である他の吸血鬼たちも力を増すことになる。そうなればカルナでも倒すのが困難になる。


「さあ、絶望を抱いて死になさい。貴方の恐怖と絶望が、魂の最高の調味料よ!」


 下級吸血鬼が腕を掲げた。ズゴゴ……と地響きのような音を立てて、妖気が下級吸血鬼の腕に集まる。赤い瞳が呼応するように、爛々と輝いた。


「死ね!」


 漆黒の粒子が、蝿の大群のようにごうごうと唸りを上げ、カルナに襲いかかった。生きながらに血肉を徐々に抉り取る、残虐な妖術だ。下級吸血鬼は悲鳴を期待し、舌舐めずりをした。


 カルナは周囲に取り付いた黒い粒子を一瞥すると、青白い光を帯びた剣を足元に突き刺す。破邪の光が内側から球状に広がり、一瞬で黒い粒子を掻き消す。


 驚愕に見開いた下級吸血鬼の顔に、垂直に赤が走った。


「バカ、な……」


 自分の身体が左右に分かれた事実に、下級吸血鬼は理解が追い付かない。


 カルナは指先に魔力を集中させ、呪文を唱えた。


 火柱が下級吸血鬼の身体を包み、一瞬で灰に変える。生命力の強い吸血鬼は、肉体を灰に変えるのが一番の対処法だ。


「悪いが、時間が惜しいんだ」


 カルナはそう言うと、赤い珠がある城壁の見張り塔へと登っていった。







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