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第5話




 ヴァリエナの姿を見送り、大広間に残ったカルナはワインをグラスに注ぐ。


「―――」


 落ち着いた様子でグラスを傾け一口含み、次いでカルナは頭を抱えた。


(重いっ! 思いの外ヘヴィな過去だった!)


 あんな辛い思いをしている彼女に『笑え』とか、自分は鬼畜なのか? と自問する。


「辛い思いをしながら、妹のために……。立派な女性だなぁ……ぐすん」


 酒を注ぎ足しながら、グズグズと美しい姉妹愛に心を打たれる。愛に飢えている『勇者カルナテクタ』にとって、こういう話は弱いのだ。


「しかも、勇者案件じゃないか。参ったな……。とりあえず、教会から情報を貰わないと」


 ヴァリエナにも言ったが、カルナが彼女にしてやれることは何もない。失ったものは取り戻せないし、時間は巻き戻らない。気休めや慰めなど無意味だ。カルナの勇者としての厳しさでは、『優しさ』は必要がなかった。


 失敗を許されない厳しさの中、任務をひたすらにこなしてきた彼にとって、慰めは『甘さ』や『言い訳』にしかならない。助けを求められ、救えなかったなら勇者の責任だ。


 『頑張ったけど駄目でした』は、勇者には許されないのだ。


 少なくともカルナは、聖女や司祭たちによってそう育てられた。


 その反動が、今起きているとも言えるのだが。


 一通りハンカチを濡らしながら泣いたあと、カルナは道具袋から青白い紙を取り出した。魔法の便箋であり、届けたい相手の元へ青い鳥になって手紙を届ける道具である。


 紙にウェルネス王国の情報を得たいという内容と、魔王の動きを報せるよう記入する。宛先はスーリエルダ大聖教の司祭マギーズ。長年世話を焼いてくれる老人だ。


(家のこと、どうしようか)


 定住を決めたことを、言うべきだろうか。本来なら、ちゃんと聖女や司祭に言うべきだろう。だが、『勇者でない自分』の居場所が失われるのは嫌だ。


 マギーズは父のような男だが、結局は大聖教の人間だ。彼にだけは教えても良い気がしたが、まだ迷いが強かった。


(そ、そのうち)


 後で報告しよう。何処に住んでいても、連絡は取れるのだ。城を貰ったことは知っているはずなので、いずれバレることも有るだろう。その時でも遅くはない。


 カルナは手紙を折り畳むと魔力を通し、鳥を空へと飛ばした。




   ◆   ◆   ◆




 キッチン脇のストック棚に荷物を詰め込み、ヴァリエナは大きく頷いた。ミストナーク村で買った品物の他にも、カルナが所持していた珍しい品がところ狭しと並んでいる。


 小麦などの穀類に、ゴマやナッツ、胡桃。ジャムにお茶にスパイス、塩、砂糖。異国のソースや塩漬けの肉や魚、チーズに野菜、芋そしてピクルス。(ビスケットまで!)


 見ているだけでワクワクしてしまう。今日は何を作ろうか。


 カルナに買われて一週間。ようやく日々使う部屋があらかた片付き、見えるところは綺麗になった。部屋が美しいと、気持ちもスッキリするらしく、ヴァリエナは奴隷に落ちてから初めて、心の平穏を感じていた。


 朝起き出すと同時に顔を洗い、身支度を整えて湯を沸かす。リィザがパンを切り分け、ヴァリエナは昨晩の残りのスープを温める。ミルフィーネがジャムやベリーの準備を整え、テーブルに花を添える。


 起きてきたカルナと共に朝食を取り、一日が始まる。


 ヴァリエナたちの仕事は、掃除と洗濯。カーテンの補修に服の直しなどの裁縫。炊事はカルナも好きなようで、夜にはヴァリエナたちが知らない料理を振る舞ってくれる。


 カルナは家中を補修して回った。壁に床、屋根にタイル。本職の大工さながらの働きを、淡々とこなしていく。


 時折、愛竜シルドラを連れて森に出ると、獲物を持ち帰る事もあった。既に猪に鹿、鳥や兎などが運ばれている。大量の肉は塩漬けにしても多いので、ミストナーク村へお裾分けに行く。代わりに、蜂蜜や魚を貰うのだ。


 規則正しい生活は、ミルフィーネに笑顔を取り戻させる。そうする間に、ヴァリエナは少しずつ、生きていることの後ろめたさが減っている気がした。


(昼食は、パイにしましょうか)


 木の実と肉のパイを作ろう。スパイスを利かせた具は食欲も涌く。


 ヴァリエナはカルナの様子を観察していた。何者なのか解らないというのもあったが、彼の様子が気になっていた。


 カルナは日に何度か、部屋に閉じ籠る。お茶を出すふりをして様子を見に行ったが、何かを真剣に調べているようだった。古い机に広げた地図と、難しそうな文献。手紙のやり取りをしているらしく、机には無数の紙が積み上げられていた。


 お茶を置きながらチラリと視線をやった手紙は、ヴァリエナの知らない文字で書かれていた。何となく、秘密を知るのが怖くなって、ヴァリエナは「お仕事ですか?」と尋ねられなかった。


(あの、文字……)


 何処かで見た気もするが、覚えていない。世界公用語と魔術語を操れるヴァリエナにも、馴染みがないのは確かだ。


(まさか、本当に、魔族の……)


 粉を折り畳むように生地を練りながら、ヴァリエナは不安になる。異端者の証拠を見つけてしまうのが怖い。


 このまま、何も知らずに、平和に暮らしていたい。


 カルナは今のところ、手をあげて打つことも、無体なことをすることも、蔑むことも憐れむこともしていない。ただ、居るだけだ。その距離が変わるのが怖かった。


「馬の世話終わりー。お、パイか?」


 考え込んで居たところに、リィザがミルフィーネを連れて帰ってきた。リィザとミルフィーネは手直しした生なりのシャツとスカートに、藍色のリボンを襟で結んだ服装をしている。ヴァリエナも同じく揃えた、カルナの城の制服なっている。統一感のある服装に、カルナは驚いた様子だった。


「ねねさま、手伝います」


「まずは、手を洗って来ような」


「ありがとう。リィザ、ミルフィーネ」


 ヴァリエナは笑みを浮かべた。ミルフィーネの世話を、リィザは率先して行ってくれる。馬を見たそうなミルフィーネを連れて、世話に行ってくれたりするのだ。ヴァリエナは彼女にも、妹が居るのではと邪推したが、敢えては聞かなかった。


 ミルフィーネにとっても、ヴァリエナ以外の人間と接するのは良いことだ。人見知りのままでは良くない。


「オーブン温めようか」


「お願いします」


 リィザが戻ってきて、オーブンの準備を始める。魔道キッチンの動力は、魔力を蓄積する魔法石が使われているらしく、一度魔力を充填すれば誰にでも扱える。リィザはすぐに操作を覚えたらしく、慣れた手付きでオーブンに火を入れた。


「こうやって、編み込んでパイに飾り付けるのやらなかった?」


「ええ、やりました。フフ、たくさん飾り付けしちゃいましょうか」


「教えて下さいませ!」


 リィザがささっと作った編み上げのパイに、ミルフィーネが興味を持つ。故郷では週末の安息日に食べる形だ。


「長閑なもんだね」


「ええ。このまま―――いえ」


 リィザが瞳を向ける。パイを整えながら、三人はしばし無言だった。


「考えても仕方がないさ。なるようにしか、ならない」


「……ええ」


 そう言ったリィザの瞳は、どこか諦めた色をしていた。きっと、自分なんかより、彼女は多くのものを諦めてきたのだろうと、ヴァリエナは思う。


(人生は、思うようにならないものね……)


 ミルフィーネの幸せを、何よりも願うヴァリエナだったが、リィザにもまた、幸せになって欲しいと、何となく胸に残った。





 パイの焼ける香りがキッチンに広がる。屋根裏で防水処理を行っていたカルナが、髪に付いたクモの巣を払いながら、階段から降りてきた。


「良い香りだね。すごい、凝ってる!」


「これはミルフィーネが、こっちはねねさま、これはリィザお姉さまが作りました」


 ニッコリ笑うミルフィーネに、カルナは「上手だ」と誉めながら席につく。すぐにお茶を煎れ、昼食の準備が整った。


「うん、すごく美味しいよ」


「恐れ入ります」


「スパイスが利いてるね。酒にも合いそうだ」


 カルナが誉めるのに、ヴァリエナたちは小さく微笑む。使用人と食事を取るのを許す、変わった主人ではあるが、だからと言って同じように食事をするのはマナー違反だと、ヴァリエナは思う。


 同じ食べ物を食べるのは、共同意識が芽生えると、軍では規律で決まっているように、ついそんな同調意識が芽生えそうになる。だが、それは失礼だ。


 ヴァリエナたちはカルナが口をつけるまで、食事に手を出さない。最初はカルナの方が訝しんだが、今は理解したようで、何も言いはしない。


 一通りカルナが口に運んだのを見て、ヴァリエナたちは手を合わせて祈ると、食事に手を伸ばした。


 食事の時間は静かだ。食器の鳴らす音だけが響き、時折窓を揺らす風の音がする。この辺りは湖畔からの風がよく吹く。日中は心地よい風を、夜は冷たい風を城に届ける。


 いつも通り、静かに食事を取っていると、カツン、カツンと窓を叩く音が聞こえた。自然と顔をあげ、そちらを見る。


 カルナが立ち上がって、窓を開けた。窓から青い鳥が入り込み、カルナの手の中で手紙に変化する。ここ数日、何度か見ている魔法の手紙だ。


 カルナは手紙に目を落とし、眉を寄せた。


「―――ゴメン、部屋で取るよ。三人はゆっくり食べて」


 そう言って、カルナはパイの載った皿を手にすると、自室の方へ足早に向かう。ヴァリエナは後ろ姿を目で追いながら、不安が胸に込み上げた。


(何かあったんだろうか……)


 リィザも食事の手を止め、カルナの部屋の方を見る。ミルフィーネの顔にも、不安が滲んでいた。


「……さ、早く食べちまおう、冷めちまう」


「そう、ですね。午後もたくさん、やることはありますから、食事を済ませてしまいましょう」




   ◆   ◆   ◆




 手紙を放り投げると、カルナは本棚に詰め込まれた分厚い本中から、深い緑の革が張られた本を取り出した。中には古い教会文字で、びっしりと文字が綴られている。記憶にあるページを探り、ある一文を見つけ出す。


「―――あった。女王ゼプテス」


 女王ゼプテス。魔王の配下であり、三階級に属する危険度の高い魔族。階級は教会が危険度ごとに七段階で決めており、女王ゼプテスは上から三番目に危険な存在だ。


 一階級は大陸を滅ぼすレベルの、二階級は複数の国を滅ぼすレベル、三階級は国一つを滅ぼすレベルの驚異とされる。


「雲のない空に赤い雷を伴って出現―――……」


 ヴァリエナの証言とも一致する。教会の報告では、上級司祭が八人集まっても突破できない結界が張られていたらしい。三階級の魔族の仕業なら、十分あり得る話だ。教会からの手紙では、至急出動するよう要請が書かれていた。


(厄介だ……)


 女王ゼプテスの最大の問題は、彼女の能力と習性にある。吸血鬼である女王ゼプテスは、支配した国の強い魂を持つ者を眷属と化し、支配地を拠点に周辺国へと被害を拡散する。


 以前出現したのは、三百年ほど前だ。その時は十万以上の人間が眷属にされ、周辺国六国が滅ぼされた。時の聖女により聖なる楔を打たれて封印されたが、三百年の時を経て復活したのだろう。封印されていたのはウェルネス王国に程近い、アナト山脈のに連なるミギリー山のようだ。ミギリー山では昨年、原因不明の雪崩が発生していることが、教会の調べで解っている。


(封印が解けて、活動を開始したのが一月前―――。今なら、まだ完全じゃない可能性があるか)


 調査していた地図を確認し、距離を測る。シルドラの速度なら、休みなく飛んで一昼夜というところか。今も結界を破ろうとしている司祭を思えば、悠長に構えている余裕はない。


 ぬるいパイを口に押し込み、道具袋に地図をしまう。クローゼットに押し込んであった服を引っ張りだし、着替える。見た目は簡素だが、聖女の祈りが織り込まれた繊維で作った、頑丈な服だ。その上に、革の鎧を身に付ける。


 王国の騎士のような重厚さのないこの格好が、勇者カルナテクタの正装だ。腰には勇者のみが扱えるという、聖なる剣。星のない夜空のような、漆黒のローブ。知らぬものからすれば、勇者という華やかな称号を持つようには見えぬだろう、簡素な見た目だった。


 カルナは腰に付けた懐中時計の蓋を開く。中には文字盤とともに、ゆらゆらと赤く揺らめく炎が見えた。『導きの灯火』という、聖女の力で灯った聖なる火は、念じた場所への道を正確に導く魔道具だ。魔族のまやかしにも強いため、今回のような戦いには役に立つ。


 ウェルネス王国の座標を登録し、蓋を閉じる。青白い光が懐中時計から淡く漏れ出した。北東を指して光る時計に、目的地が正しく示されたと頷く。


「さて、新居に越して初めての仕事だ」


 カルナは道具袋を斜にかけると、自室から出た。


 部屋から出ると、ヴァリエナたちは既に食事を終え、キッチンの片付けを行っていた。カルナが旅装で現れたことに、驚いた顔をする。


「お出掛けですか?」


 いつもの狩とは違うと、雰囲気で察したのだろう。ヴァリエナの顔がどこか強ばっていた。カルナは笑みを浮かべ、頷く。


「急用でね。しばらく家を空けるから留守を頼むよ」


「しばらく?」


 ミルフィーネが不安そうな顔をした。カルナは彼女の髪を撫で、安心させるように微笑む。


「姉さんたちいるから、大丈夫だね? ミルフィーネ」


「は、はいっ」


「長くなるのかい?」


「そうだな……。出来るだけ早く済ませるけど、そう簡単にはいかないかな。一週間……二週間……」


 うーんと唸りながら、カルナは首を捻った。以前三階級の魔族を倒したときは、一月の間寝ずに戦った経験がある。その時よりはカルナも強くなっているはずだが、確実なところは言えない。


「取り敢えず、ヴァリエナにこれを預けるよ」


「これは……。魔法の手紙、ですか」


 青い紙片を受け取ったヴァリエナに、簡単に使い方を説明する。


「宛先は設定されてるから、魔力を通すだけで良い。僕が一月経っても戻らないようなら、手紙を送ってくれ」


 宛先はマギーズ司祭だ。負けるつもりはないが、万が一自分に何かあったときに、彼女たちを任せる人間が必要だ。マギーズならば、悪いことにはならないだろう。


「それと、家の鍵と財布と……」


 道具袋から必要そうな物を取り出す。彼女たちだけでは不安があるが、仕方がない。何か武器も置いていった方がいいかと、ナイフを二振り、剣に槍、弓を取り出したところで、ヴァリエナが固い声を出した。


「カルナ様、危険な場所へ行くんですか?」


「え」


 カルナはキョトンとして、目を瞬かせた。


 ヴァリエナもリィザもミルフィーネも、心配そうな顔でカルナを見ている。


(―――参ったな)


 苦笑して、カルナは頭を掻いた。


 カルナが戦いに行くとき、送り出す人々の顔に浮かんでいたのは、必死な願いだ。カルナにしか出来ず、カルナにしか成し遂げられないそれは、希望であり、期待である。


 負けることは許されず、危険だからと言って、撤退することは許されない。


 カルナには、『勝利』以外は望まれていないのだ。


 初めての表情に、擽ったさと落ちつかなさが混ざりあった、不可思議な感覚がカルナの胸に満ちる。慣れない感情だが、悪くはない。


「まあ、念のためだよ。お土産買ってくるから、留守を頼むよ、皆」


「―――解りました。行ってらっしゃいませ」


 ヴァリエナがきっちりとお辞儀する。それに習うように、ミルフィーネとリィザも頭を下げた。


「行ってらっしゃいませ、カルナさま」


「行ってらっしゃい。遅くなるなよ、ご主人様」


 見送る三人に、カルナは気恥ずかしい気持ちを隠さず、はにかんだ笑みを浮かべた。


「行ってきます!」


 帰ってきたら、思いっきり「ただいま」と言おう。


 カルナが長年求めてきた、「ただいま」を言える場所が、ようやく出来たのだから。









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