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第2話

 朝日が森を照らす。澄んだ空気の、美しい朝だった。

 脚の壊れたベッドから起き出すと、カルナテクタは欠伸をして両腕を伸ばした。


「ふ、あー……。やっぱ、馬車は疲れるなぁ」


 シルドラの背に乗ればもっと速いし簡単なのだが、昨夜は女性が三人もいたのだ。仕方がないとはいえ、慣れない馬車は少し疲れた。ベッドの脇に起きっぱなしの荷物に被せておいた服を羽織り、簡単に身支度を整える。


「待てよ……。今日から彼女たちと過ごすんだな……。水浴びでもするか?」


 うーんと唸りながら、何処までキチンとしたら良いのか解らず、右往左往する。しばらく悩んで、手のひらをじっと見つめた。


(本当に、手に入れちゃったなぁ……)


 まだボンヤリとしか実感がない。生活感がない家も、彼女たちのことも。生活らしい生活とは無縁の生活を送ってきたカルナテクタにとって、初めて『家』と呼べるものを得たのだ。今は見てくれだけだが、ちゃんと環境を整えなければならないだろう。


 窓を明け放ち、空気を吸い込む。良い朝だ。


「女神スーリア。僕のことを咎めますか? でも、僕も人の子なんです」


 空に向かって、返事のない問いかけをする。


 金で、女性を買った。そんなことが知られれば、なんと言って糾弾されるだろうか。


 『勇者』にあるまじき、恥ずべき行為だ―――。


 頭の中で、民衆がカルナテクタを詰る声が聴こえてくる。


「でも、僕は―――。僕は、お帰りなさいと言って欲しいんだっ!」


 拳を握り、窓枠を叩いた。思いの外強く叩いてしまい、家がギシッと揺れる。カルナテクタはあわてて窓枠を押さえた。


「あ、危ない。危うくせっかくのマイホームを壊すところだった……」


 ふぅと汗を拭き、揺れが収まったのにホッとする。


 ―――カルナテクタは、勇者である。


 幼い頃、予言によって選ばれたカルナテクタは、これまで幾つもの国を魔王の魔の手から救ってきた。救った人々から、感謝されてきた。英雄と持て囃され、励まされながら、長い長い旅をしてきた。


 そんな彼が帰るのは、いつも旅先の小さな宿屋だった。誰もいない薄暗い部屋が、彼の帰る場所だった。


 勇者としての明るい側面の一方、本当の自分は誰も知らない。知り合などいない土地で、心の安らがないその日暮らし。金には困っていなかったが、友人と呼べるものも、家族もいない。

 カルナテクタを便利に思うものや、尊敬するもの、恐れるものはいても、愛してくれる人は現れなかった。


 転機は、ウルヴァート王国を救った際に、国の外れにある古城を譲り受けた事だ。当初は、城など貰ってもと思ったが、シルドラと出会い機動力を得たことで、夢が現実味を帯びた。


 マイホーム計画である。


 自分だけの『家』というのは、カルナテクタにとって憧れで、手の届かない夢だった。


 夕暮れの食事の匂いと、家からこぼれる柔らかな光。それが、カルナテクタの欲しいものだ。


 戦いに明け暮れ、疲れた身体と心を癒すもの。そのマイホームに必要なもの。


 カルナテクタを迎え入れ、「お帰りなさい」と笑顔で言ってくれる存在―――。


 それが彼女たちだ。


(ま、まあ、お店だって、お客様に笑顔で接客するんだ。仕事で愛想良くしてもらっても、別におかしくないはず)


 誰に聞かせるわけでもないのに、後ろめたさから言い訳を考えてしまう。そんなカルナテクタの希望を叶えるスタッフ、、、、に、奴隷を選んだのにはそれなりの理由があった。


 まず、カルナテクタが勇者だとあまり大っぴらにされるのは困る。家に帰ってまで『勇者』をやりたくない。だが、もし助けを求めて誰かが来たら、断れない。つまり、この場所は秘密なのだ。


 城は三百年ほど使われていないので、知るものは少ない。カルナテクタの所有になったのを知っているのは、ウルヴァート王家だけだ。


 彼女たちには働くにあたり、情報漏洩防止について遵守して貰わなければならない。口で言うのは簡単だが、人は案外守れないものだ。これまでも、内緒だと言いながら次の瞬間にはペラペラと喋られた。子供ならなおのことだ。人助けしようものなら、「黙っているなんて申し訳ない」と、一方的な都合で、大っぴらにされることすらある。


 普通、使用人を雇えば、定期的に里帰りをさせる必要があるが、奴隷の彼女たちはそんな事はない。そもそも、帰る場所がないから奴隷落ちしているのだ。


 人との交流が少なければ、リスクは減るだろう。


「しかし……ウェルネス王国か。参ったなぁ」


 迎え入れた奴隷姫たちを思い、頭を掻く。


 ウェルネス王国は、カルナテクタが未踏の地だ。ここスメラルダの森よりも北東に位置する国で、アナト山脈の向こうにあるという小国だ。滅びたという原因が魔王の手によるものなら、勇者が来なかったことを恨みに思っているかもしれない。


 アズケーン市の奴隷市場では、顔が割れては不味いと仮面を被っていたが、実際は勇者の顔まで知っている者はそう多くないはずだ。だが、名前はどうだろうか。


 勇者カルナテクタの名は、それなりに通っていると自負している。ヴァリエナやミルフィーネが、カルナテクタが勇者だと知ったら、どんな反応をするだろうか。


(うぅ……。ごめんよ、二人とも……)


 行くのが遅かった。もっと早く向かっていれば。そう思うが、どうしようもない。過ぎ去ったことは取り戻せないし、そもそも、カルナテクタがウェルネス王国の情報を知ったのは昨日、奴隷商人に言われてからだ。


 仕方がない。勇者とて完璧でないのはカルナテクタが一番知っている。


 せめて、これからの彼女たちは、自分が必ず守ってみせよう。そう、女神スーリアに固く誓った。


「さて、そろそろ行くか」


 彼女たちも起きている頃だろう。まずは自己紹介と、今後の生活のことを話さなければ。




   ◆   ◆   ◆




 昨晩ヴァリエナたちは身を寄せ会うようにして、泥のように眠りについた。あてがわれた部屋は掃除が甘いのか埃っぽかったが、三人で寝ても広いほど大きなベッドが置かれていた。


 朝日の射し込む光で目を覚ましたヴァリエナは、部屋の様子に驚いた。昨日は暗くて気づかなかったが、古めかしいとはいえ、王族だった自分が見てもかなり豪華な調度品たちだ。使われていなかったのか、多くの家具には変色した布が掛けられている。


 ミルフィーネとリィザを起こし、窓の外を眺める。奴隷市場のあったアズケーン市からどれほど離れた場所にあるのか、竜の速度で考えるのは難しそうだったが、周囲は森ばかりで集落は見当たらない。湖と森が側にある古城のようだ。


「ふぁー。おはよう」


「おはよう、リィザ。ミルフィーネ」


「おはようございます、ねねさま、リィザお姉さま」


 挨拶を交わし、ミルフィーネの乱れた髪を整えてやる。金色の髪は手入れをしていないせいで、くすんでしまっていた。櫛などないので、手で撫で付けただけだが、少しはマシだろう。


 身支度を整えていると、不意に屋敷がギシッと大きな音を立てて揺れた。天井から吊るされたランプが、大きくしなって音をたてる。


「地震かい? 嫌だねぇ」


「収まったみたいね……」


 ふぅ、と息を吐いて、ヴァリエナは立ち上がるとベッドを直した。柔らかいベッドなど久し振りだ。


「ご主人様のお部屋をお伺いしなかったわね」


「仕方がないさ。広間で待っていようぜ」


 リィザに同意して、ヴァリエナはミルフィーネの手を引くと扉に手を掛けた。扉の向こうには、傷んだ絨毯が敷かれた回廊が続いている。


「オンボロじゃないか」


「でも、調度品は素晴らしいわ。あれはルクレラ月光ガラスのランプね」


「お高いのかい?」


「とっても」


 リィザは溜め息を吐いた。回廊の壁には絵画も掛けられている。色褪せたものも多いが、どの絵も素晴らしい。


 大階段を降りると、エントランスに着く。家が何軒も入りそうな広間だ。この他にも奥へと部屋が続いているようで、溜め息しか出ない。


 この屋敷が、異端者の拠点なのだろうか。そう考えると、少しだけ気分が沈む。


 しばらく待っていると、一階の奥の方から、男がやって来た。ヨレヨレのシャツに茶色いパンツという出で立ちに、ヴァリエナは首をかしげた。使用人だろうかと思っていると、聞き覚えのある声で挨拶が飛んでくる。


「おはよう、皆。良く眠れたかい?」


 ヴァリエナは驚いて、目を見開いた。次いで、慌てて頭を下げる。


「おはようございます、ご主人様」


 リィザも頭を下げた。ミルフィーネは姉たちの様子を見てから、遅れて真似をする。


 ヴァリエナは視線を上げ、チラリと主の顔を見た。昨夜は仮面を着けていたが、今は素顔だ。傷があるとか、そういうわけではなかったらしく、穏やかな風貌の若者だった。歳の頃はヴァリエナとそう変わらないだろう。二十代前半といったところだ。貴族のような華美な衣装ではなく、簡素な服を着ている姿は、屋敷の主とはとても見えなかった。


 意外な素顔に驚いたのはリィザも同じようで、「へぇー」と不躾に呟いている。


「さて、これからのことや、この城のこと、僕のことを簡単に説明するね。質問もしてくれて構わない。僕は―――カルナ。名前で呼んで貰った方が良いかな」


 三人は神妙に頷いた。その様子を、カルナ満足げに頷く。


「この城は、手に入れて間もないんだ。三百年も放置されていたらしくて、補修も必要だ。補修については僕が少しずつ行うけど、掃除はお願いしたい。昨日は三人に一部屋を使って貰ったけど、部屋はたくさんあるから、まずは自分達の部屋を掃除してくれると良いね」


「場所は何処でも良いのかい? 例えば、昨日使わせて貰った部屋でも?」


「リィザっ! あの部屋は女主人の部屋よ」ニヤニヤ笑いながら厚かましい申し出をするリィザに、ヴァリエナは青くなってそう言った。カルナは平然とした様子で、「勿論」と頷く。


 リィザは最初からカルナの反応を見たかっただけなのか、唇の端を上げてニヤリと笑う。


「さすがに広すぎるかねえ。他を探すよ」


「遠慮はしなくて良いぞ。眺めの良い場所でも、便利な場所でも、好きな場所を選んでくれ」


「カルナ様、これだけの規模の城ですから、ちゃんと使用人部屋はあるはずです」


「そういうのは気にしなくて良いよ」


 笑顔でそういうカルナに、ヴァリエナはどう返して良いか解らなくなる。カルナの笑顔は、あまりにも邪気がなかった。本気で言っているらしい。


 リィザがこっそりと耳打ちする。


「使用人じゃなくて、愛人なんだろ。アタシら」


「そう、ですね……」


 爽やかな顔をしておいて、なかなかに欲にまみれたことを考える男だ。ヴァリエナは改めて警戒する。一人ならまだしも、三人。しかも一人はまだ幼いのだ。顔に似合わない鬼畜なのかもしれない。

 ミルフィーネが、おずおずとカルナに訊ねる。


「ねねさまと一緒でも……?」


「姉妹で使うなら、広い部屋が良いね」


 頷くカルナに、ミルフィーネはパッと明るく笑い、ヴァリエナを見上げた。妹も一緒の方が、ヴァリエナも安心だ。


「元々あった家具は古かったり、壊れてるんだ。危ないから、壊れてる家具には触らないで。新しいものはすぐに入手しよう。それと、一階にキッチンと浴室があるんだ。そこも早めが良いね」


「このお城にはお風呂が有るんですか? 給湯は魔道具でしょうか?」


 風呂は貴族には珍しくない風習だが、庶民にはあまり普及していない。灰を溶かした水で清めたり、泥を塗るのが一般的だ。この様子なら、キッチンも魔道具かもしれない。魔道具のキッチンは薪割りの仕事が要らなくなるので楽だが、灰は手に入らなくなる。それは残念だ。


「そうらしい。魔力の充填が時々必要になるだろうから、管理はヴァリエナに任せようか。そうだった」


 カルナはそう言って、奴隷商人に教えられていたパスワードを唱えた。三人の鎖が外れ、ヴァリエナの魔法封じ戒めが解かれる。


「!」


 驚いて、ヴァリエナは腕を見る。足元に重たい鎖が転がった。魔力を押さえ付けられていた圧迫感も取り除かれ、澄んだ水面のような感覚が満ちてくる。


「ご主人様、良いの? まだ早いんじゃない?」


「問題ないよ」


 何でもないようにカルナが言うのを、リィザは肩を竦めた。確かに、魔物も出るだろう森から女だけで脱出するのは難しそうだ。昨夜は竜がいたから無事だったのである。魔法が使えるヴァリエナだが、ミルフィーネとリィザ二人を守りながら逃げるのは難しい。


(この城は、牢獄というわけね……)


 自由だが、自由ではない。不便で屈辱的な生活が待っているのだと思うと気が重かったが、ミルフィーネとは離れなかった。それだけはカルナに感謝すべきだろう。


 ヴァリエナはそこまで思って、ふと白い竜のことが頭に過った。


「あの、竜―――シルドラのお世話は……」


「ああ、彼女のことは気にしなくて大丈夫。勝手にこの辺りの魔物を餌にしてるし」


 その言葉に、ヴァリエナはホッとした。竜の餌やりなど、自分が餌になってしまうのではと思う。シルドラは美しい竜だが、竜とは恐ろしいものだ。普通、竜種は誇り高く人間に使役されることはない。ぼんやりした人の良い顔をしているが、やはりただ者ではないようだ。


「早急に必要なものもあるからねぇ。今日は買い出しに行った方が良いかもしれないな」


 使われていなかったというだけあって、生活に必要なものは揃っていないようだ。掃除用具も無いだろう。当面は、ハウスキーピングが仕事になるのだろう。


 リィザが「ところで」と切り出した。


「ご主人様は、仕事は何をしてるんだい? 貴族には見えないけど、どんな伝でこんな立派な城を手に入れたのさ」


 それはヴァリエナも興味があった。商人にも見えない。


「仕事は―――今は、ナイショかな。でも、家を開けることが多いと思う。留守の間は任せるよ」


 質問に、カルナはそう言って困ったように笑った。これ以上は詮索するないうことだ。


(やはり、異端者なのだろう。異端者の中でも上の方の人間なのかも知れない)


 あれだけの金をポンと出せる人間だ。普通の人間であるはずがないのだ。ヴァリエナは覚悟を決めねば、生きることは出来ないのだと、漠然と思った。


 両親や死んでいった民を思えば、異端者に与するなど、おぞましいことだ。いっそのこと、自決することが姫として正しい姿なのかも知れない。


(けれど―――)


 ミルフィーネは、そんな苦労を背負わせたくない。妹が成人するその日まで、ヴァリエナが育てよう。そして、彼女が巣だった時には、愛する両親の元へいくのだ。それなら、母も許してくれるに違いない。


 悲壮な覚悟を決めている内に、カルナが「さて」と話を切り出した。


「何はともあれ、まずは腹ごしらえしよう。まだキッチンが使えないから、有り合わせだけどね」

 その言葉に、ヴァリエナはパンか何かの常備品が有るのだろうと推測した。取り敢えず、口振りから食事を与えない主人でないと、安心する。リィザも心なしかホッとしたようだ。


「ダイニングも埃だらけなんだ。悪いけど、屋外で我慢してね。ああ―――庭も手入れしなきゃ。やることが山積みだな」


 そう言いながら、カルナどこか楽しそうだ。


 ヴァリエナたちはカルナ後に続き、庭に出た。庭には手入れしていないせいで延び放題になっている木々や、草が生い茂っている。とても座れそうな場所もない。


 カルナは徐に、腰に差していた剣を抜いて横一線に薙いだ。周囲の草が一瞬にして刈り取られ、平らな地面が露出する。それを二、三回繰り返しただけで、庭はあっという間に整ってしまった。あとは余分な雑草を引き抜けば、見映えもグッとよくなるだろう。


 ヴァリエナは目を見開いて、カルナの背を見た。簡単にやってのけたが、かなり腕が立たないと出来る芸当ではない。それに、剣もかなり良い代物だ。それを草を刈るのに使うとは。ヴァリエナは目眩がしそうなのを堪えた。


 カルナは何処からか、大きな布を地面に敷き、ヴァリエナたちを呼び寄せて座らせる。次いで、次々とポットやらカップやら、食器が出てきた。


 湯を沸かすなら火を起こした方が良いだろうと、リィザが立とうとしたところで、カルナがポットに手を掲げた。魔力の波動を感じ、ヴァリエナはそちらを見る。


「……水と火の魔法を同時に……」


「沸かした方が美味しいんだけどね。旅の最中は便利だよ」


 軽く言ってのけるが、熟練の魔導師でも熱を操る魔術の対局にある属性を、同時に使うことは困難だ。しかも、火そのものではなく、熱を操っている。


「……カルナ様は、魔術にも剣術にも秀でていらっしゃるんですね」


 内心冷や汗を掻きながらそう呟いた。ヴァリエナは魔術が得意な方だが、同じことをするのは無理だと思う。試したことはないが。


 カルナは「そうかな?」と軽く首を捻りながら、再び何処から取り出したのか、小型の使い込んだスキレットを取り出し、卵を四つ落としていく。ミルフィーネが興味深そうにスキレットを覗き込むのを、カルナは微笑んで返した。


 ヴァリエナはその間、カルナの沸かしたポットを使って、お茶を煎れる準備をする。缶のなかに入っていたのは、南方で採れるお茶のようだ。スモーキーな薫りが鼻孔を擽る。


「たまご」


「パンもあるよ。リィザ、切って貰える?」


 スキレットに熱を通すと、たまごがじゅうじゅうと音を立てた。透き通っていた白身が白く変わっていく。パンとナイフ受け取ったリィザは、複雑そうな顔でナイフを見た。


「簡単に渡して」


 ブツブツと呟くのを、ヴァリエナも苦笑した。どうせ勝てない。それを見せつけられているので、ナイフで抵抗する気にもなれない。それはリィザも同じようだ。


 ミルフィーネだけは無邪気に、卵が焼けるのをじっと見ている。


「あまり近づくと、鼻が焼けちゃうよ」


「!」


「ほら、ミルフィーネ。妹は料理をするところを見たことがないんです」


 ミルフィーネは王宮の厨房に入ることはなかったし、落城してからはあっという間に奴隷商人に捕まってしまった。そこでは固いパンと水だけが与えられており、料理らしい料理は久しぶりでもある。リィザが切っているパンは、白い色をしたパンだった。白いパンはウェルネス王宮暮らしだった頃も、毎日は出てこなかったものだ。


「そっか。じゃあ、朝は余裕がないけど、夜はもう少しちゃんとした料理を作ろうか。朝は、あとこれね」


 そう言って、目の前に次々と瓶や金属の箱が並べられる。瓶に入っていたのはジャムだ。高級な品だけに、リィザ目の色が変わる。


「まさかジャム!?」


「木苺にルバーブ、オレンジ、くるみバターだったかな? 貰ったものだから」


(付き合いも広いのね……)


 砂糖を多く使うジャムは、高級品だ。王宮でも献上品として贈られて来ることがある。木苺は食べたことがあるが、他は試したことがない。


「あ、チーズもあったかな」


「カルナ様、食べきれる分で良いのでは」


「そ、そっか。大勢の食事は久し振りだから……」


 照れたように頭を掻いて、掻いては目玉焼きを皿に乗せていく。ちゃんと全員分ある。目の前におかれた皿に、ヴァリエナは空腹を感じ始めた。奴隷になって、あまり食事を取らなくなり、空腹が鈍くなっていたのだが、どうやら温かい料理の香りに、忘れていた感情を思い出したようだ。


 カルナは次いで、金属の箱に魔力を送る。暖めているらしい。暫くすると、箱の隙間から良い薫りが漂ってきた。我慢できずに、リィザが問いかける。


「それは何だい?」


「豚を繊維になるまでトロトロに煮込んだ料理だよ。パンに添えると絶品で」


 蓋が開くと、湯気とともに煮込まれた豚が現れた。豚の脂をたっぷり吸い、ワインやスパイス煮込まれたらしい料理は、思わず唾液が出てきてしまう。


「よし、食事にしよう」


「わ、私たちも同じものを食べて宜しいのですか?」


 自分が姫だったころ、使用人同じ料理を食べることはなかった。メイドのサテュルースが食べていた『賄い』が気になって、彼女を困らせたこともある。


「うん。勿論」


 笑顔でそう言うカルナに、ヴァリエナはドキリとした。


(本当に、異端者なのかしら―――……?)


 何となく、信じたくない自分がいて、ヴァリエナは戸惑う。そんなヴァリエナに、ミルフィーネが心配そうに顔を上げた。


「ねねさま?」


「大丈夫、何でもないの。頂きましょう」


(騙されては駄目。カルナ様も、リィザも、人と言うものは最後には自分の利を取るのだから、信じては駄目よ)


 また、騙される。


 今度は、そうはいかないのだ。


(ミルフィーネは、絶対に守るのよ。ヴァリエナ)



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