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第87話 これはこれで不運だった


 地下水道というのは何処もじめっとしていて、悪臭が漂っているものなのだろうか。フランは鼻につく臭いにうげぇと顔を顰めてしまった。


 ドブ水が流れている水道脇の通路を歩きながらフランは鼻をつまむ。前にいるアルタイルは慣れているようで顔色一つ変えていない。


 周囲を見渡してみるもカルロの姿はなかった。もう何処かに行ってしまったのだろうかとフランがアルタイルに声をかけようとすると、彼は指を指した。


 差された先、通路に豚ほどの大きさの薄汚れた灰色のネズミが倒れていた。これはドヴネズミだとフランは観察する。


 ドヴネズミは首根を深く切られて死んでいた。通路には溢れた血が溜まって流れている。ドヴネズミから視線を上げれば、さらに奥にも死体が転がっていた。



「これを追えば見つけられる」


「カルロさん。すっごい分かりやすいですね……」



 何度か彼を探しているが残骸が放置されているのでかなり分かりやすかった。今回もすぐに見つけられそうだなと、痕跡を辿っていく。


 少し歩いた先から人の声がした。それはもう楽しそうに、テンションの高い声が。これは聞き覚えがあるなとフランがアルタイルを見遣れば、彼は何度目かの溜息を吐き出していた。


 声はこの先の曲がり角のほうから聞こえるな。フランがそう思って角を曲がると、勢いよくドヴネズミが吹っ飛んできた。


 おわっと声を上げる間もなく、アルタイルが切り捨てる。その素早い動きにフランはおぉっと拍手してしまった。



「うーんっ! さいっこうに、良いきっぶっん!」


「カルロ」


「この先にも逃げていったやついたし、狩ろう~」


「このバカ」



 呼びかけに全く気づかないカルロをアルタイルが彼の頭に叩く。ぶへっとカルロは吹き出しながら頭を押さえた。


 痛いじゃんと眉を下げながら振り返って、アルタイルと目が合うや否や、「嫌だ!」と、声を張り上げる。地下水道に響く声にフランは耳を塞いだ。



「まだ、何も言っていないが?」


「どうせ、迎えにきたんでしょ! 知ってるんだからね!」



 カルロは「アルアルは余程の用がないとぼくちんを探しに来ないもん」と、それはもう自信満々に言った。それをアルタイルが否定することはない、本当のことだからだ。


 ぼくは今すごく楽しいと主張するカルロの言葉などアルタイルは聞かない。首根を掴んでさっさとギルドに戻ろうと引っ張っていく。



「待って、待って! あと一匹、見かけたんだって! あいつら、一匹でも逃がしたらまたすぐ増えちゃうから!」



 せめて見かけた一匹だけは駆除させてとカルロに頼まれて、アルタイルは仕方ないと掴んでいた手を離す。


 ドヴネズミがすぐに繁殖してしまうのは事実だからだろう。減らせるならば、減らしたほうがよい。それが終わったら帰るぞとアルタイルは太刀を抜いた。


 カルロを一人にしては一匹では済まないのを理解しているからだろう。自分も一緒に行くと言葉にしなくとも伝わる行為だ。


 ハンターであることを忘れてはいないので、カルロも逃がした獲物だけは狩りたいようだ。もちろん、もっと楽しみたいという気持ちも本心であるわけだが。


 どっちに行ったんだとアルタイルが聞けば、あっちと奥を指さす。さらに薄暗く、ランプなどの灯り無しでは先には進めそうにない。


 フランは灯火の魔法を使って淡い光の玉を浮遊させる。周囲が明るくなって奥のほうも見えるようになった。長い通路が水道脇に伸びているだけで、来た道とあまり変わりはない。



「多分、この先の隅の方に隠れてると思うんだよねぇ」



 ひょこひょこっと歩きながらカルロは奥へと足を踏み入れる。薄暗さや汚さなど気にもしていないふうに。アルタイルも彼に着いていくので、フランもロッドを抱きしめながら後を追った。


 少し狭くなった気がしなくもない通路からチュウチュウという鳴き声がする。ネズミだろうか、それともドヴネズミか。フランには判断ができず、二人の様子を窺う。


 ぎらりと光る何かが見えた。あれはとフランが声を出すよりも早く、カルロが駆けていく。灯火の魔法で作られた光の玉が照らしだしたのは、ドヴネズミだった。



「でっかい!」



 そのドヴネズミは他の個体よりも大きくて、フランは思わず声を上げてしまう。豚よりも少し大きいぐらいなのだが、丸々と肥えているのだ。


 ドヴネズミは逃げようと試みるも、カルロによって回りこまれてしまう。後ろを振り返ってまた逃げようとするも、アルタイルが太刀を向けていた。


 逃げ場がないと悟ったドヴネズミは鳴きながら近くにいるカルロへと噛みつく。けれど、蹴り飛ばされてしまった。


 どてっと倒れたドヴネズミの首根を狙ってカルロのナイフが向けられるも、寸でのところで避けられてしまう。


 転がりながらなんとか飛び越えてこようとするのをアルタイルが太刀を振って阻止して――



「ちょっ! 私を追かけてこないでくださいぃ」



 何を思ったのか、ドヴネズミはフランを追いかけ始めた。これにはフランもびっくりして反射的に走ってしまう。


 ドヴネズミがフランを追いかけていくので、カルロもアルタイルも迂闊な攻撃はできない様子だ。これはまずいとフランは立ち止まって、ドヴネズミと向き合うとロッドで思いっきり殴った。


 ごちんという鈍い音を鳴らす、紫水晶の部分で頭を殴られたドヴネズミが、眩暈を起こしたようにふらつく。瞬間、ナイフが首根を引き裂いた。


 血飛沫がべちゃりと飛ぶ。丸々と肥えたドヴネズミは声なき声で鳴いて倒れた。あまりの素早い動きにフランは目を瞬かせる。



「はい、おわりぃ。なかなか、楽しかったなぁ」



 うーんと背伸びをしてカルロはナイフを仕舞った。近づいてきたことにすら気づかなかったことにも驚いているのだが、それよりも。



「血塗れ!」



 フランはドヴネズミの返り血が直撃していた。それはもうびっちゃりと全身にかかっている。そんなことを気にせずにカルロは「フーちゃんよくやったぁ」と、何故か褒めてきた。



「あそこで足止めできたのよくやったよぉ」


「カルロ」


「思いっきり殴ったから眩暈が起きたんだよねぇ。さっすがぁ」


「カルロ、まずはフランに謝れ」



 ばしっと頭を叩かれてカルロは「なにぃ」と呟きながらフランを見る。黒い上着で見づらいが、顔にはばっちりと血がついていた。


 びちゃびちゃというほどではないが、濡れているし、生臭い。うぇとフランは顔を顰めてしまう。これはこれで不運だと言うように。



「あ、ごめんね」


「もう少し、考えろ」


「そんな怖い顔しないでよぉ。悪かったって! ごめんなさい!」



 アルタイルの怖い顔にカルロは真面目に謝罪した。フランは怒ってはいなかったので、そこまで気にはしていない。血生臭さには困っているが。


 これでは町を歩くことはできないので、急いで湯浴みをしなくては。フランがそう呟けば、カルロは「じゃあ、アルアルたちは先に戻っていいよ」と返答が返ってきた。


 えっとフランが顔を上げたのと同じく、アルタイルがカルロの首根を掴む。通路の奥へと行こうとしたのだ。



「もう済んだだろう。受付嬢も報告を待っているからさっさと行くぞ」


「えーん! もっと狩りたかったぁ」


「お前が随分と狩ったから暫くはドヴネズミの被害はでない」



 ほら、行くぞとアルタイルに引きずられていくカルロは「うわーん!」と、騒いでいるが無視されている。


 相変わらずだなとフランはそれを眺めながら、さっさと宿に戻ろうと彼らを追いかけた。



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