牙を向けたエアウルフが破裂し、飛び散る。ぴしゃっと血飛沫を顔面から浴びたフランは何が起こっているのか判断できず、困惑した。
一斉にエアウルフたちが後ろを振り返り唸り声を上げたのを見て、視線を向ければ茂みが揺れる。
「探してみれば、また面倒な……」
青年が一人、ゆっくりとした足取りで茂みからやってきた。左手に太刀を握り、右手でエアウルフの尻尾を掴み、引きずりながら。襟足の長い藍の髪が揺れる。端整な顔立ちによく映える緋色の瞳は猛禽類のように鋭くエアウルフたちを捕らえていた。
長身が目立つ黒を基調とした和装のコートの裾を翻し、掴んでいたエアウルフを投げ捨てる。どさっと転がった亡骸から血が滲んだ。
それは彼らにとっての挑発行為だ、仲間の亡骸を投げ渡すということは。リーダーの大柄なエアウルフが吠えてれば、周囲にいた子分たちが青年に向かって駆けていく。
しゅんっと一閃。振るわれた太刀の一撃にエアウルフの頭が跳ねる。一匹、また一匹と地面に落ちて青年の頬を赤が彩っていく。
「っがぅ!」
気迫。青年の圧と、倒れゆく仲間たちを見てリーダーの大柄なエアウルフが小さく鳴き、駆け出したのと同じく残りの子分たちも着いていく。
尻尾を巻いて逃げ出すというのはこのことを言うのだろうとフランはその様子を眺めていた。
「っチ。あぁ、面倒な……」
小さく舌打ちをして、青年は刃に付いた血を払うように一度、太刀を振ってからフランへと目を向ける。なんとも冷めた眼を向けられてフランはびくりと肩を震わせた。
見つめ合うこと暫し、青年はフランに近寄ると膝をつき、身体を起こしてやると手足を拘束していた縄を解き、口を塞いでいた布を取ってくれた。
その行動に助けてくれたのだなとフランがお礼を言おうと口を開くと、それはもう深い溜息が耳に入る。
「自分の身ぐらい自分で守れ」
冷たく放たれる言葉にフランはお礼の言葉を飲み込んだ。青年は地面に落ちている紙きれを拾い上げると、目を通して呆れたように息を吐く。
「そこに転がっている杖はお前のだろう」
「え、あっはい……」
「魔導士なら自分の身ぐらい守れ」
「それは、相手が依頼人で……」
「冒険者か、お前は」
青年の問いに「はい」とフランが頷けば、ますます呆れた顔をされてしまった。そんな態度をされても文句は言えないだろうとフランは俯く。
冒険者が自分の身を守れていないなど、信用に関わることだ。ランク降格だってありえることであるのは理解している。
いくら自分が不幸に遭いやすいからといって、失敗の言い訳にしていいわけではない。フランは落ち込みながらちらりと青年を見遣れば、彼は紙切れを読みながら眉を寄せた。
「冒険者ギルドを通していない依頼を受けたのか」
「はい……困っているみたいだったので……」
依頼人と会ったのは冒険者ギルドの傍だった。依頼内容は町の近くの森に群生している薬草を取りにいくための護衛が一人ほしいというものだ。
ただ、報酬金が少なくて人が見つからないのだと泣きつかれて、難しいことでもないからとフランが引き受けたという経緯がある。
結果、騙されて売られそうになったという話を聞いた青年は片眉を下げる。
「お前は冒険者に向いていない」
困っているからという理由でギルドを通さずに依頼を受け、自分の身も守れずに捕まるなど向いている以前の問題だと青年は現実を突きつける。
ぷつんと何かが切れた音がフランの中でした。ぷるぷると握っていた拳を震わせて、自分の中から沸いてくる感情が爆発する。
「そんなこと言われても仕方ないじゃないですかぁぁぁ」
うわんっと泣きながらフランは早口で喋った。
「冒険者だって修行になるからって言われて村の友達と入ったのに、『もうアナタは用済みだから』って見捨てられるしぃぃ。あいつ、親から逃げたくて私を利用しただけだったしぃぃぃ!」
そうだ、全ての始まりはあの子からだとフランは思い出す。村の中でも裕福だった彼女は親が決めた人との結婚が嫌で、フランを誘って冒険者ギルドに入ったのだ。
同じ師を持つ彼女は今ではそこそこに活躍する魔導士となっている。自分が良い位置についたのを把握してから、「もうアナタは用済みだから」と、パーティから外したのだ。
「他のパーティだってそうだよ! セクハラのオンパレードだし、我慢して明るく振る舞っていれば、調子に乗るしぃぃぃ。女性陣には嫌われてパーティから追い出されるしぃぃぃ」
冒険者になった以上は何かしら貢献しなければならない。世界を冒険して情報を渡すことや、常にやってくる依頼をこなしていくこと、ダンジョンの探索に、護衛。やれることをやり、冒険者ギルドに貢献しなければランクを剝奪されてしまう。
フランは師匠の反対を押し切って冒険者となっている。今更、村にのこのこと戻っても相手はされないのは、出ていく時の師匠の怒った態度で理解できることだった。
なんとか冒険者でいようと他のパーティに入れば、尻を触られたり、性的なことを冗談で言われたりというセクハラに遭い、それでも我慢していれば、女性陣の嫉妬を買って嫌われてパーティを追い出される。
「それを二回も三回も遭ってさぁぁぁ。もう一人でやっていこうとしたら、今度は依頼人にはあることないこと難癖をつけられて報酬金を減らされたり、依頼内容と違うことされたり、挙句に騙されて売られそうになるしぃぃぃぃ」
依頼内容通りにしたというのに「此処に傷がある」だの、「追い払うのではなく倒せよ」だのと難癖をつけられて報酬金は減らされて。素材採取の依頼だったはずが何故か依頼人たちの接待をやらされて、サービス扱いで追加料金すら貰えず。
それでもめげずに弱音も文句も吐かずに明るく振る舞って生きるためになんだってやってきたのだ。泥まみれになろうとも、傷だらけになろうとも。だというのにとうとう自分は依頼人に騙されて売られそうになった。
「自己防衛ができないってその通りですよ! 不幸続きでも、何されても厳しくできない私は弱い人間ですよ! でも、どうしろっていうんですかぁぁぁ」
どんなに気をつけていても起きるこの不幸をどうしたらいいっていうのだ。自己防衛ができない自覚はあるけれど、気をつけていないわけではないのだ。大なり小なり何かしら起きて、いつもボロボロになる。
売られそうになる経験はこれが初めてだった。自分の身すら守れなかったことも。悔しいし、悲しいし、他人に厳しく警戒しきれていない自分の甘さにも怒りが沸く。でも、それでも他人をずっと疑い続けるなんて自分には無理だという自覚があった。
「こっちだって頑張ってますよぉぉ。何も知らないくせにぃぃ。そこまで言うなら助けてくださいよぉぉぉ!」
フランは泣きながら怒っていた。誰に怒っているのか、それは自分自身でもあり、何も知らずに言ってきた青年にだ。フランはわんわんと涙を流して青年に縋りついた。
ぷつりと切れたのはフランの中でずっと感情を抑えていた糸だった。何も知らない青年の一言に糸は限界を達したのだろう。疲れた目元がますます疲弊してみえ、酷いクマは涙でより一層濃く見える。
「っふ」
声を殺すような笑う声がした。