「なんか……驚きました。昇さんがそんな人だったなんて…」
「はい?僕は何も悪いことしていないでしょう?」
「自覚がないんですか?とても失礼なことをしているって。普通は誰でも嫌がることを」
「それはあなたじゃないですか、萌さん」
「なっ、私が何を?!」
「夫の前で、平気で他の男のことを楽しそうに褒めちぎり、挙げ句、2人きりで泊まりがけで数日一緒にいるなんて宣言して……
これこそ誰もが嫌がることではないですか?」
「っ……」
そう言われてしまうと、確かに自分もおかしいかもしれないと思い、どう返していいかわからず戸惑った。
気が付かなかったが、自分も深く彼を傷つけていた。
「でも……仕事なのに…」
「相手が普通の上司ならば、男でも了承します。仕事のことは理解してますから。
でも今回の彼は、普段から親しくしすぎている人です。しかも明らかに萌さんに好意があるような…」
「絶対にそんなことは無っ」
「なので今回は承諾できかねます。」
キッパリとそう言われ、有無を言わさぬ雰囲気に包まれる。
萌は目を見開いて、しばらく茫然としてしまった。
正直この展開は、1ミリも想像していなかった。
「そ、そんな……」
「函館だろうが海外だろうがどこだろうが、僕が連れて行ってあげます。それで問題ないでしょう?」
「………。」
萌は何も言えなくなってしまった。
ここで何か言い返しても、最もな話を論理的に言われてこちらが上手く丸めこまれるだけで終わると思った。
こんなに普段から口が回る人に勝てるわけはない。
「もう……いいです…」
萌はスクッと立ち上がり、飲んでいたマグカップの紅茶を飲み干すと、風呂へと行ってしまった。
「え、萌さん?……はぁ……」
少し強めに閉められたドアの音を聞いてから、ついため息が出た。
自分は間違ったことを言っただろうか…?
どこにでも自分が連れてくと言ったのだし、好意のある男性を変に触発しないために出張はやめる……ここに問題は何もないはずだ。
けれど、萌のあの、悲しそうな顔……
あんな顔を見たのも、あんな声を聞いたのも、初めてだ。
「僕は…間違っているのか?…なぁ、チコ…」
傍に心配そうに寄ってきたチコを撫でると、慰めるようにこちらを見つめて座った。
犬は賢い、もしかしたら人間よりも。
人間の気持ちをとてもよく理解していると言われているからだ。
「さっきからチコも、ずっとこっちの様子を見てたよな…驚かせてごめんな。仲良くしたいんだけど……嫌われちゃったかな…」
昇はそう自分で呟きながら、ハッとチコを撫でる手を止めた。
「………え。」
「…くぅ〜ん?……ワンっ」
ちょっと待て…!
嫌われた?!萌さんに?!
あの態度は絶対に怒っている…!
いや、呆れてられている…?
いずれにせよ、
「どうしよう……嫌われたくない…!」
萌さんが風呂から上がるまでに考えろ!
仲直りの方法を……!
昇は立ち上がり、顎に手を当ててウロウロし始めた。
一気に思考が回転しはじめる。
その様子をチコは大人しく目で追っている。
「……出張は……いや、そこは譲れないっ…
万が一何かあったら嫌だ…絶対!
となると……別の方法で…萌さんの機嫌を…」
こういった場面の対処法には慣れていないので、何も良い考えが浮かばずただ右往左往してしまう。
そんな自分をとても情けなく感じる。
「今から花束とかデザートでも用意して…
いやそれはただ物で釣っているみたいで下衆だな……ますます嫌われそうだ……あーーー!」
ビクッと驚いたように跳ねたチコには目もくれずに髪をかきあげ、閃いたようにスマホを取り出し、電話をかけ始めた。
「……もしもし庵っ」
«どっ、どうした?切羽詰まった声出して……何かあったのか?!»
ひとまず事情を説明し、助けを求めた。
困った時に真っ先に思い浮かぶ顔は、やはり村田だ。
「嫌われたくないんだよどうしてもっ…」
«いや、もうそれ嫌われてるよ。»
「っっ!!そんな……」
頭を殴られたような、鈍い音が自分の中だけでリアルに響いた。
«気持ちはわかるが…その上司の男との光景を実際にお前が見たわけじゃないんだろ?なのにそうやってとやかく一方的に言うのはどうかと思うし、監視させてるなんてこと、言っちゃダメだろ絶対に。»
「そ…そうなのか……でも、代替案を提案したよ。僕がどこにでも連れてくからって。」
«は?お前と行ってどうすんだよ。一緒に仕事をしてる人間と共有するために行くんだろ?»
「……。でも……じゃあどうしたらいい」
«はぁ……ちゃんと承諾してあげて、誠心誠意謝る以外ない。そのくらい分かるだろう。»
「なっ…!そ、それは嫌だ」
«なんだと?子供かお前は?そもそもお前が謝ればいいだけのこんなことでいちいち連絡してくるな。»
なんとなく、電話した瞬間から少し不機嫌な様子の村田に気がついていた。
だから忙しい時にかけてしまったかと悪く思ったのだが、切らずに対応はしてくれたためそのまま話したのだが…。
「……今忙しいのか?」
«……取り込み中なんだよ今は。だいたいもう22時過ぎてんだぞ。早く謝って解決して寝ろ。じゃあまた明日。»
「えっ、ちょっと庵っ」
ブツっー……
電話を切った村田は、ため息を吐きながらスマホをソファーに放り投げた。
「ふふっ…。相変わらず忙しそうね、庵ちゃん。」
今はホテルの一室だ。
ベッドの上には裸の美女が妖艶に口角を上げてこちらを見ている。
もちろん、翼が半ば強引に紹介してくる女のうちの一人だ。
「いつまでもお坊ちゃまをあやすのは大変そうね…」
「……。」
庵はベッドに戻り、女を組み敷いた。
最近、やけにむしゃくしゃする。
原因はわかっている。
帰国したあの子の存在が、いつも脳裏にちらつき離れないからだ。
「んんっ……あっ、ん…っ…庵さんてホントにいいわっ……」
だから普段は絶対に手を出さないのに、まるで煩悩をかき消す作業のように、最近はこうして女を抱いている。
関係を持っても安全な女を抱いていれば、無駄なことを考えなくて済むと思ったからだ。
あーくそ。
俺も大概子供だな。