最初に起きたのは村田だった。
酒を飲むのは別に久々というわけではないし、潰れるなんてことはそうそうない。それなのに、今回はどうしたというのか。きっと気分がそうさせたんだ……こんなに楽しかったのなんて、久しぶりだったから……
そんなふうに思いながらソファーから起き上がろうとして、あることに気がついた。
自分の膝の上に、華子の頭が置かれているのだ。
可愛らしい寝顔でスースーと寝息を立てていて完全に爆睡している。起こそうか起こすまいか迷っているうちに、つい、ジィっとその寝顔を見つめてしまった。
“ どうしてですか?好きなのに? “
以前、ある人と恋人になりたいとは思っていないと言った時に萌に言われた言葉を思い出した。
本当に心の底から好きで、大切にしたいと思っていたら、相当な自信家じゃない限り自分のものにしたいなんて思わない。
だから昇は大した奴だと思う。昔っから、自分に自信が無いとか抜かしておきながら、好きな女には一直線で、決して諦めることをしなかった。
何年もずっと、捜して捜して……そうしてついには手に入れた。しかも、会った当日にだ。
こんなことってあるか……?俺には到底理解できない。
俺なんて……何年この子を知ってると思ってるんだ。
“もうとっくに気づかれてると思うけど、私、村田さんのことが好き。”
華子が留学に行く前に、そう告白された。
いつかはこんな日が来るような気がしていたから、特段驚きはしなかった。
だから当然、言葉もちゃんと用意していた。
“ そう言ってくれるのは嬉しいけど、俺と君とじゃ釣り合わないし、そもそもいいなずけがいる時点で付き合うなんてことできないから。気持ちだけ受け取っとくよ。”
当時まだ10代とはいえ、彼女もそんなことは分かった上で、ただ気持ちだけ伝えたかったのだろうと思っていた。だからこれで話は終わりで、向こうでとっとと俺のことなんか忘れて新しい恋愛を楽しんだりして最終的にはいいなずけの所に落ち着くんだろうとばかり思っていた。人の感情なんてそんなもんだ。特に若いうちなんて、ちょっと優しくされた経験があるくらいですぐに一目惚れという錯覚に陥る。
“私は今、告白したの。だから当然、付き合ってほしいって意味だよ?”
言葉を失った。
何を血迷ってるんだ、コイツは……と思った。
“ いいなずけのことなんて、別にどうにでもなる。私は加賀見家の跡継ぎじゃないし。だから私とどうしても付き合ってほしくて今こうして告白してるの。だって好きなんだもん、感情に嘘はつけない。仕方の無いことでしょ?”
強い意志を宿した真っ直ぐな瞳を、見ていられなくなって目を逸らした。
“ 華ちゃんは大人の世界をなんにも分かってないね……しかもこれから日本を出るってタイミングでそんなこと言って、どういうつもり?”
“ただ聞きたいの。この、離れるタイミングで、村田さんの気持ちが……”
俺はため息を吐いた。
なんだよ、それ……ズルすぎるだろ……。
“……じゃあ正直に言うよ。可愛い妹くらいにしか思ってない。優しくしてきたのも遊んできたのも、昇や加賀見財閥と俺の関係性維持のため。でももちろん、華ちゃんには幸せになってほしいと思ってるよ。だから、応援してる。……これでいいかな。”
泣くのを必死に耐えるような華子の表情が、今でも脳裏に焼き付いていて離れない。
でも俺だって必死に今、あえて冷たい無表情を崩さないように必死だ。
わかった。と、華子は言った。それなのに、最後に泣き笑いみたいな笑顔でこう言ったんだ。
“でも私、諦めない!だって、自分の本当の気持ちを大切にしたいんだもん!
これから先も、覚悟しててよね!”
「本当の気持ちを大切にしたい……か……。
だったら俺みたいな正反対の人間は軽蔑しろよ……」
ゆっくりと華子の頭をソファーに置いて抜け出て、テーブルの上の水に手を伸ばす。
既にぬるくなった水を喉に流し込みながら周囲を見渡した。
床には、昇と萌がくっついて眠っていた。
「どうしたら俺は……」
こんなふうに強く真っ直ぐ生きられるんだろう。