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第46話

昇の父・加賀見遥彦と、萌の母・本條靖子は今、電話を通して口論をしていた。

どちらかというと、靖子のほうが切羽詰まった様子で訴えかけていた。


「どういうつもりなんですか、加賀見さん。」


「ですから私の差し金ではないと言っているでしょう。息子とそちらの娘さんのことにおいて、うちは誰も一切関与していない。つまり、たまたまです。」


「そんなこと信じられるわけないでしょう!たまたまですって?!」


「事実なのだからこれ以上何も言うことがありません。こちらだって驚きましたよ。どういういきさつか聞けば、あなたの娘さんが酔って具合悪くなっているところを息子が助けたと…まぁいろいろと調べた結果、裏は取れたのでそれも事実です。」


「そんなことって…」


「そもそも別に問題は何も無いでしょう?むしろ、こちらにとってもそちらにとっても好都合です。」


「好都合?!馬鹿にしないでください!私はここ10年以上、再三言ってきました!こちらに関わるのはやめてくださいと!それなのにあなたはお金を振込み続けてきて……言っときますけど一切手をつけてませんからね!」


「はぁ……何故そう頑ななのです?」


「弱みを握られたり、誰かに寄りかかる生き方だけはしたくありませんから。そっくりそのまま返金します」


「弱みという解釈はおかしいです。それを言ったらもはや弱みを握られているのはこちらだ。

こちらは15年前のあのことについて、なんの精算もできないではありませんか。無論、金なんかで出来ることではないと重々承知ではありますが……」


「……もういいんですあのことは。とにかく、萌のことも、金に操られる人間にだけはしたくありません」


「ですから靖子さん、今回のことは本当に私は関係ないと何度言ったら」


「いずれにせよ、認めません。私たちのことはもういい加減忘れてください」


プツッー……



靖子は電話を切ったあと、長いため息を吐きながらソファーに腰を下ろした。

まだ勤め先の病院から帰ってきたままの格好だったと気づき、ワイシャツのボタンをひとつ外したが、そこから気力が湧かずに手を下ろした。


ぼーっと目の前の写真を見つめる。

成長し、大人になっていく萌との写真たち……

夫の聡介と、長女の楓との、15年以上前の写真も一つだけ飾ってある。


ある日突然生き別れとなったが、それは我々が望んだこと。

あれから私は女手一つで萌を育ててきた。

あんなに月日がたってもまだ、萌は父と姉を追い続けている。

いくら止めても聞かないが、見つかるはずは無いと思っている。

だって、私だって知らないのだから。今はまだ。


私は勤め先では、腕の良い医者として地位がそこそこ上だ。収入はそんなに悪くは無い。


それにしても……



加賀見の次男と、私の萌……

こんなことが起きようとは1ミリの想像さえしていなかった。


私はただ、萌が普通の素敵な家庭を築き、過去のことを忘れるくらい幸せになってほしいだけだというのに……。


萌は加賀見のことを何も知らないのだろう。



ピンポーーーン


「あら?……誰かしら。萌?」


仕事が終わって帰宅する時間を見計らったかのようなタイミングに、靖子は萌だとばかり思い確認もせずマンションのドアを開けた。


「っ!あなたっ…」


「こんばんは」


そこに立っていた人物に開いた口が塞がらない。

小綺麗なスーツに身を包み、整った美しい顔で真っ直ぐと見つめてくるのは、加賀見昇だった。


「お疲れのところ申し訳ありません。どうしてもあなたに、あなただけにお話したいことがあって参りました。」


淡々とそう言われると、それは聞かざるを得ない。それにもちろん、少しでも外部に漏らさない方が良い内容であろうと勘が働いた。


とりあえず部屋に招き入れ、アイスティーを差し出すと、いただきます、と言って一気に半分ほど減った。

相当喉が渇いていたのかもしれない。先程から少し、緊張した面持ちだ。



「それで……話って?

結婚の話なら、私は認めることはできません」


「今日はその話ではありません」


「え?それ以外の話……というと?」


加賀見昇は一瞬だけ言い淀む素振りを見せたが、すぐに凛々しい顔を貼り付けてゆっくりと口を開いた。


「私を、治してください。」


「………はい?」


空耳だと思った。


「私を治せるのは、あなたしかいない」


なおす……?なおすとは何?何のこと?



「私は……本條さん。

昔、本條家が開発した薬によって、子供の頃からある者に貶められました。厳密に言えば、実験されていたと言っていい。」


「っな!な…にを言っているの……?」


「大丈夫です。萌さんにも父にも家族にも、他の誰にもこのことは言っていません。

私は昔からただの、病弱な子供としてしか知られていない。」


靖子の驚愕の目に、執念深い光と闇を宿した瞳が突き刺さる。



「私の余命は……短いのです。けれど私は、私の人生を決して諦めたくありません。」



どこか独特のその瞳に真っ直ぐ見つめられると、吸い込まれるような、妙な気分になる。



「私はなるべく長く……萌さんと一緒にいたいのです。なるべく長く、萌さんと幸せを分かち合いたい。だからまだ……死にたくない。死ねない。生きたいんです。」



数秒の沈黙ののち、靖子はゆっくりと深呼吸し、目を瞑った。

瞼の裏には、ずっと願い続けてきて今も尚叶っていない、娘の幸せそうな笑みが浮かんだ。


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