「昇さん…本当に料理上手ですけど、よく自炊されてたんですか?」
「えぇ。早く家を出たくて大学と同時に一人暮らしを始めてからは、料理にハマったんです。昔から特に趣味がなかったので。あとはやっぱり、健康的な食生活を心掛けたいと思いまして。」
「へぇ…。尊敬します。私も自炊はしてきたけど、単純に面倒くさくて好きにはなれなかったですね。こんなに立派に作れませんし」
苦笑いしてワインを口に含む。
目の前の人のことを知れば知るほど、自分とは何もかもに差があるように感じる。
でも早くに家を出たかったってどうしてだろう?
「明日は何が食べたいですか?」
「えっ、いや…さすがに毎日お任せするわけには…。家事は好きじゃないと言いましたけど、こんなに何もかも至れり尽くせり状態なのは申し訳なさすぎるというか…」
予想外すぎて、自分の作っていたちょっとわがままな妻のキャラクターがブレつつある。
だってここまでだとは誰も思わないじゃないか。
もはや自分の存在意義すらわからなくなる。
「構いませんよ。誰かのために何かをするって、楽しいですから。」
「っ、でも…昇さんだって忙しいはずだし…
料理なんて特に、献立考えて食材買ってきて調理して盛り付けてって…大変なの知ってます」
「自分のためだけに料理するよりも、美味しいと言って食べてくれる萌さんのためにするのは、ただ幸せな気分になるので全く苦ではないです」
キッパリと即答され、"幸せ"という単語に鼓動が跳ねる。
私のために何かをすることが幸せと言ってくれる人……
それは誰もが夢見ている理想の相手だろう。
「それより萌さん、お仕事の方はどうでしたか」
「あぁ、はい…。皆にはやはりとても驚かれましたよ。でも別に…かと言って特に何も変わらなそうです。これまで通り、目立たずひっそりと頑張ります」
「何か目標があるのではないんですか?」
夢はあるけど、それはただの夢で、具体的な目標と言われると……
かつてはあった。
自分の理想の物語を書いて、たくさんの人に良い影響力のある有名な脚本家になること。
だけど、職場の実態を知ってからはほとんど諦めている。
「今の職場では…どうでしょう。」
「どういうことです?」
「どんなに頑張って成果を上げても、それはいつも私の功績にはならないんです。先日最終回を迎えたドラマも、その前の映画も……結局は私より権力が上の人たちや人付き合いが上手い人たちのものになるので。」
だからと言って、転職する勇気も気力もない。
新しい環境でまた1から自分の居場所を作ることほどエネルギーの要ることはないからだ。
「それは…勿体ないですよ。実力がある人が評価されない場所にいつまでもいるのは」
「でも、いいんですよ。さっきの明石くんみたいに、私を認めてくれてる人が1人でもいれば。私は基本的に世渡り上手じゃないですし。」
「しかし…実力に見合った評価は誰しも必要だし、萌さん自身そこでイキイキとできないんじゃ」
「私知ってるんです。出る杭は打たれるって。」
目を見開く昇さんから視線をずらす。
赤いワインに映る自分の表情は、なんだかやつれているように見えた。
彼の言うように、イキイキとはしていないなと気づく。
でも……
「打たれないように生きるのって、重要ですよ。打たれて全てを失った人生は、なかなか簡単に立て直せないですから。」