加賀見昇はとても行動力のある男だった。
新しく2人で暮らすマンションから引越し、全てを手配してくれて、自分はほとんど何もする必要がなかった。
そしてたった今、新しい住処に圧倒されている。
「どうですか?気に入りましたか?」
外観からして高級マンションだとは思ったが、まさか中までこんなに凄いとは思わなかった。
まるで最上階のホテルを何部屋も組み合わせたみたいな感じだ。
家具も何から何まで新品を揃えたようで、しかもどれも一流のブランド品に見える。
「な、なんか……落ち着かないです……」
正直な感想を述べると、彼は眉を下げた。
「あ…すみません。もっとしっかり本條さんの意見を聞くべきでした。是非お好きにコーディネートし直していいですよ」
「えっ、あっ、いえそういった意味ではなく!全ておまかせすると言ったのは私だし……ただこんなに贅沢な感じになると思わなくて……」
きっと、私が喜ぶと思ってこんなに素敵な部屋を用意してくれたんだろうなと思った。
だから急いで笑みを浮かべる。
「嬉しいです。ありがとうございます、加賀見さん。」
「あの……1つ提案なのですが……」
「はい?」
「お互い、下の名前で呼び合いませんか?
この婚姻届を提出したら、僕たちは夫婦として同じ姓を名乗るわけですし。」
そう冷静に言われ、ハッとテーブルの上の婚姻届を見る。
確かにいつまでもこんなふうに他人行儀はどう考えてもおかしい。愛で繋がったわけではないにせよ。
「そうですね。じゃあ……えっと……」
あれ……?
なんだろう、なんか恥ずかしいな。
「萌さん」
先に呼ばれてしまい、ドキリとする。
異性に下の名前で呼ばれるのなんてどのくらいぶりだろうか……
こんな小さなことにすら耐性がない自分を情けなく感じた。
「の…昇さん……」
恐る恐るみたいな感じで呟いてしまったが、昇さんはとても嬉しそうな顔をしたからまたドキリとなる。
いちいち中高生みたいにドキドキしてんじゃないわよ私!と心の中で自分を引っぱたいた。
しっかりしなきゃ。これからこの人とここで夫婦をやってくんだから。
「何か足りないものがないか、2人でチェックしていきましょうか」
昇さんに各部屋を案内されたのだが、どの部屋も広くて驚いた。
バスルームやキッチン、2人の寝室も書斎も。自分の部屋なんてとくに拘ってくれたようで、素敵なドレッサーや全身鏡が置かれていた。
つい、目を点にして黙り込んでいると、彼は楽しそうに目尻を下げた。
「萌さんがいろんな服や化粧品をたくさん揃えて楽しんでもらえるようにしました。」
「っえ……あぁ、有難いんですけど……私そんなにたくさん持ってませんよ。ほら、ご覧の通り、私の荷物少ないでしょう?」
隅に固まって置かれている自分の荷物の箱たちを指さした。
荷解きなんかも1時間あればすぐに終わるくらいに物が少ない。
「なら明日一緒に買い物に行きませんか?
僕も買いたいものがありますし」
頷いたはいいものの、なんだかまだまだ実感が湧かない。
でもどうせなら……存分に利用し、存分に楽しまなきゃ損だ。
決めたじゃないか。本気で生きるって。
それに約束通り、この人が私のためにどこまでできるのか、試してみよう。